なんなく階段を見つけた。実際はそれほど長い廊下ではなかった。先程は罠があったせいでいつまでも続いていた、それだけだった。 警戒しながら階段を上る。兄弟はどうしただろうか、ふと思った。ウルフが放り出されたおかげで兄弟を置いてきてしまった。無事でいるといいのだが。思ったところでいまさらどうなるものでもない。 上りきった所で見回す。あたり一面、白い物で覆われていた。 「派手だなぁ」 自分の無謀が招いたことを省みもしないでウルフが笑う。ボーンゴーレムの残骸を踏みしめれば乾いた音がした。 「あ、いた」 ウルフの声にサイファはそちらを見た。反対の階段を背後にして兄弟が結界を張っていた。ウルフが振る手に答えてシリルが手を上げる。 「行こうよ」 顔だけ振り向けてウルフが言ったそのときだった。頭上から降ってくる数体の白骨。すでに剣を構えている。 その骨の戦士に向かって吹き荒れる炎。その場の誰にもサイファが呪文を唱える瞬間を捉えることは出来なかった。無駄な高速詠唱に一瞬にして白骨は燃え尽きる。 ウルフが剣を抜く暇もない。サイファはなびいた髪もそのままに収まりかけた炎の中を歩いていく。慌ててウルフがそれを追った。 「ご機嫌ねぇ?」 シリルが解いた結界の中、サイファたちは入り込み休息をとる。ちらりシリルを見てはサイファはうなずき、今度はサイファが結界を張った。 「なんのことだ」 「ようやく仲直りかな、と思って」 「仲直り?」 「だって、アンタたち痴話喧嘩の最中だったでしょ」 「な……」 サイファは絶句した。言われてみればそのとおりなのだが、言われたくはない。兄弟の前で羞恥に襲われるなど、決して見せたくないのだ。 「違うよ、アレク」 「あら、どこがよ?」 「俺が怒られてただけ。喧嘩じゃないよ」 「……お馬鹿にしてはよくわかってるわねぇ」 呆れたよう、アレクは言い、それから手を伸ばしてウルフを小突いた。 「元気になってよかったわ。心配してたの」 「ごめんね、アレク。シリルも」 殊勝げな言葉に兄弟が笑った。彼らは彼らなりにウルフを心配していたのだろう。ちらり、ウルフが視線を送ってくる。 「だから言っただろう」 兄弟には死にたがっていることが知れていると言ったのを覚えているか、そんな意味をこめて言う。 「うん」 それにウルフは素直にうなずく。少ない言葉で通じたのがサイファは嬉しかった。 「あら、なによ?」 「なんでもない」 「サイファったら、隠し事? やらしいわぁ」 「誰がだ!」 「アンタが」 軽口を叩きあう二人の間にまぁまぁとシリルが割ってはいる。けれどその顔が笑っているだけに説得力が薄いのは致し方ない。 「で、サイファ」 「なんだ」 「どうやって仲直りしたのよ?」 問われた瞬間、後悔した。はっと顔が赤くなるのを止められなかった。不意打ちであっただけにそむけるのも遅れた。にんまりと笑ったアレクの顔まで、見てしまった。 「うるさい!」 怒鳴ることで気を紛らわせるが、どうにも紛れた気がしない。腹立ち半分、ウルフの頭を殴りつけた。 「痛いでしょ」 「そうだろうな」 「なんで俺を殴るんだよ」 「そこにいるからだ」 「んな、理不尽な!」 抗議をしながら笑っている。当たり前のよう、隣に座っている。この世には、こんな充足があるのだと、こんな場所でしみじみ思う。 「あらあら仲のいいこと」 くっと喉でアレクが笑う。茶化しているようでその実、本心からそう思っていることはサイファにはよくわかっている。もっとも、だからと言って礼を言う気にはならないが。 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「ここから帰ったらさ、どうするの?」 突然とも言える問いだった。ウルフが覗き込むよう、サイファを見ている。曖昧な答えはできそうになかった。 「特に決めてはいない。しばらくは塔にいるつもりだが」 「じゃあさ、一緒に旅に出ようよ」 「どこに?」 怪訝な思いで問い返す。そのサイファにウルフは嬉しげな顔をして答えた。 「俺と一緒に、半エルフが最後に出る旅ってのを、探そうよ」 「それで?」 「そこだったら、俺だって一緒にいられるかもしれないじゃん」 そんなことは考えたこともなかった。ウルフが死ぬまでの短い時間を共有し、それから一人で旅立つのだと、思い込んでいた。 「どう?」 期待に輝く目。半エルフの安住の地ならば、共に過ごせるかもしれない。いつまでも。そんな根拠のない希望が彼の目を見ていると湧いてくる。 「……悪くはないな」 「もう、素直じゃないんだから」 「……もう一度、言ってみろ」 咄嗟に手を伸ばし、サイファはウルフの喉許を締め上げていた。 「苦しいってば」 「そのまま死ぬか?」 「殺したいの?」 茶化してウルフが問う。できないことを知っていて問う。たちが悪い。アレクの悪影響に違いない。舌打ちひとつ、サイファは手を離す。 「坊や、聞いていいかしら?」 にやにやしながらやり取りを見ていたアレクがウルフに尋ねる。 「なに?」 「この暴力魔術師の、どこがよかったの?」 「どこって……」 「ははぁ、ないとか?」 「違うよ! 暴力って言うけど致命傷にはしないしさ、それにサイファ、可愛いよ?」 アレクが吹き出すより先に、サイファの拳が飛ぶ。重い音がしてウルフがうずくまった。 「サイファ、いまのはほんとに痛かった」 「当たり前だ!」 「そういうとこも可愛いけ――」 最後まで言わせずサイファはもう一度ウルフに殴りかかる。慌ててよけるウルフの頬に、今度はそれでも手加減した手形が赤い跡を残した。 アレクに続き、シリルまでもが盛大に吹き出す。非常に不本意だった。こんな所で馬鹿をやっていていい物だろうかと疑問に思う。兄弟を楽しませるためにからかわれるなど、御免だとも思う。が、反面それでも良いかとも思う。 「ほんとにアンタたち見てると飽きないわ」 結界の中で笑い転げるアレクを見て、サイファは仲間とはいいものだと思わざるを得ない自分に気づく。こんな場所で、否、こんな場所だからこそこうやって気分をほぐす何かが必要だった。 「ウルフ」 ふとシリルが剣を上げる。二人を待っている間、何をしていたものか剣は抜き身でシリルの傍らにあった。 「なに?」 「君も剣を研いでおいたほうがいいんじゃないかな?」 「あ、そうか」 言ってウルフも剣を抜く。横から覗き込めばだいぶ刃毀れしているようだ。先程の無茶な戦闘がそれに拍車をかけたのだろう。 シリルは同じよう置いてあった砥石を、ウルフは荷物から自分のそれを取り出し手入れを始める。それは誰からともなく感じ始めた決戦への気配であったのかもしれない。 「お前たちはどうするんだ?」 手持ち無沙汰になったサイファは、ぼんやりとシリルの手許を見ているだけのアレクに向かって問うた。 「どうって、この後?」 「そうだ」 「んー。とりあえずそうね、故郷に帰るかしら」 言われて少しサイファは驚く。彼に故郷と言う言葉は似つかわしくなく思えたせいだった。 「シリルよ」 「ん?」 「シリルが司教様から司祭にならないかって言われてたんですって。知ってればアタシも飛び出したりしなかったんだけど」 「どうだかな」 「あら、言うわね?」 だが、そう凄んで見せたアレクのほうが笑い出す。自分でもわかっているのだろう。シリルを得る見込みのなかったアレクはその話を知っていたとしてもおそらく冒険に出たのだ、と。 「アレクはなにをしでかすかわかったものじゃないからね」 「シリルまで! 後で……酷いわよ?」 にたり、シリルに向けて笑って見せる。砥石を動かすシリルの手が止まった。絶句して乾いた笑いを漏らしては天を仰ぐ。どうやらその後を想像してしまったらしい。知らずサイファは顔を伏せ、笑っていた。 「サイファまで笑わなくってもいいでしょう!」 「すまない」 謝りはしたものの、まだ衝動が収まらなかった。どさくさに紛れてウルフが寄りかかって笑っている。肩に触れる鎧の感触。気がつかないふりをしてサイファは振り払わなかった。 「まったく、酷いですよ!」 言ってシリルは剣を目の高さに上げて確かめる。口ほどに怒ってはいないらしい。それよりもいま気にかかるのは剣の具合、と言うことか。 見れば立ち直ったウルフも同じようにして剣を確認している。その目が真剣で思わずサイファは見つめてしまう。 「サイファ」 ウルフが剣を見ながら名を呼んだ。生真面目な声にぎょっとする。 「なんだ」 身構えてしまったサイファに向かい、ウルフは視線を動かさず言い放つ。 「そんなに見つめたら、照れるでしょ」 無論、サイファは無言で腕を上げる。ウルフの頬にもうひとつ、平手打ちの跡が加わった。 |