鋭い舌打ちの音がした。アレクがそのまま剣を振るう。がつり、あたって崩れた体勢もそのままにボーンゴーレムを蹴り飛ばす。細い柵にあたって砕け、そしてそのまま階下に落ちた。ぐしゃり、床でつぶれる音がする。
「まったく無茶をする!」
 この場にいないサイファに向かいアレクは罵り、骨の戦士の攻撃をかわした。
 シリルは無言で騎士に対峙している。じっと機会をうかがっているように見えた。かすかに左手の短剣が揺れる。騎士の死んだ視線がわずかに動いた。と、シリルの剣が一閃する。騎士は腕でそれを防ぐかに見え。だがシリルの剣はそこにはなかった。宙で反転させた剣は勢いよく騎士の腹にめり込んだ。
「……がっ」
 それは声だったのだろうか。騎士が音を発する。シリルの剣は甲冑の破れ目から入り込み死体の肉をえぐる。剣を反した。ずぶり、肉の崩れる音。
「アレク!」
 シリルがそう兄を呼んだとき、激しい音がする。騎士は床に叩きつけられていた。もう、ぴくりとも動かない。
「さっさと来い!」
 演技の余裕もなく、アレクは叫ぶ。きりがなかった。叩き潰しても後から後から湧いて出るように思える。
 額に汗が滲んだ。小剣を持つ腕がだるい。疲労に、鈍い痛みが走っていた。そのせいだろうか、集中を欠いたのは。
「兄さん、後ろ!」
 はっとしてアレクは振り返る。骨の戦士が迫っていた。
「兄さんて呼ぶなって――」
 剣の腹で殴りつける。反した柄でさらに一撃。ぐらり揺れた白骨を、アレクは柵まで押し返す。もがいた。腹に膝を叩き込む。そのまま落とした。
「――言ってんだろ」
 階下でもうひとつ、骨が壊れた。ちらり、それに視線を飛ばしアレクは笑みを浮かべる。女のものではありえない、だがぞっとするほど美しい笑みだった。
 また一体、かかってきた戦士を蹴る。壁に当たって崩れたところを剣の腹で粉砕した。
「アレク」
「なんだ」
「……惚れ直したよ!」
「馬鹿言ってんじゃない。来るぞ」
 それでもアレクは莞爾と笑う。振るう剣の重さを感じなくなった。あと何体。見回した。思ったよりずっと数は減っていた。
「シリル」
「なんだよ」
 シリルもまたも剣を振り続けている。頬や手に細かい傷が無数についていた。数が多すぎて、左手のマンゴーシュではさばききれないのだ。
「ご褒美やるから、なんとかしろ!」
「言われなくっても!」
「じゃ、いらないな」
「冗談! 楽しみにしてるさ」
 無駄口を、叩く余裕が出てきた。言葉をかわしながらも兄弟は着実にボーンゴーレムを減らし続けた。
 疲労に膝が崩れる。そう思ったとき、シリルの腕が差し伸べられた。
「なにを……」
 目がかすんでいる。シリルの顔がよく見えなかった。微笑んでいるように見えたのは、だからアレクは気のせいだと思った。
「終わったよ」
「え?」
「終わった、ほら」
 言われて回廊を見た。白いもので埋まっている。砕けた骨が散らばっていた。どれも動きをやめた白骨の戦士。
 アレクはその場にへたり込みそうになるのを必死でこらえ、自分の足で立つ。そして大きく息を吸った。
「たいした数だな、これは」
「なんとかしちゃったけどね」
 軽くシリルは言う。ウルフが消え、サイファを欠いた自分たちにとって、数そのものが強敵だったことはアレクが一番よくわかっている。
「で、どうする?」
「サイファはここで待てって言ってたからね」
「とは言え、こんなとこにぼーっと立ってたら殺してくださいって言ってるようなもんだろ」
「ま、お任せあれ」
 茶化した口調でシリルは言う。その顔に深い疲労があるのをアレクは見逃さなかった。
 こんなとき、小剣を使っていることを後悔したくなる。長剣が使えないわけではない。むしろ、多く訓練したのは長剣だった。小剣を使うのは、ただの我が儘な好みに過ぎない。それでシリルを危険にさらしている。そう思えば忸怩たるものがあった。
「アレク」
 呼び声に従う。疲れ切った頭で考えるのはろくでもないことばかりだと、アレクは知っていた。だから今はなにも考えない。後悔につながるようなことは、なにも。
 シリルが連れて行ったのは、回廊の端。一行が見つけた階段の側だった。
「こんな所で?」
 いぶかしく思って問う。ここにいようが今の場所にいようが、たいして違いはないではないか、と。
「文句を言わない」
 ちらり、シリルは笑いを見せ、そして両手をあげてなにかを呟く。と、周囲が一瞬、輝きを見せそして静まる。
「……結界?」
「そう」
「お前もできたんだ」
「馬鹿にしないで欲しいなぁ。これでも……」
「武闘神官だよ、か?」
「そうそう。これくらいは、ね」
「でも、見たことなかった気がする」
 言いつつほっとしてアレクはその場に座った。腰を下ろしただけで疲労が泥のように体中を満たしていく感覚がする。呼吸を整えているうちに、戻るだろう。
「使う必要がなかったからね」
「そうだったか?」
「だって、サイファがいたでしょ」
「それより前は……そんな危険なとこは行かなかったな」
「うん、だからね」
「そうか」
 隣に座ったシリルの腕を取った。見上げてくるシリルの額にそっとくちづける。
「いまのがご褒美?」
 言って笑った。
「まさか」
 アレクも笑う。それから唇にわずかに触れた。もどかしいくちづけに、シリルが自分のそれを押し付けてくる。アレクはじらすよう、体を引いた。
「ん……」
 不満げな声。こんな風に求めてくれるとは。疲れも何も忘れて歓喜が体に染み渡る。舌で唇を割り、這入り込ませた。迎え入れ、受け入れてくれる。強く抱き寄せ、片手でシリルの頭を抱え込む。深いくちづけに、呼吸が苦しくなったころ、ようやくアレクはシリルを解放する。とろり、繋がった唾液の糸を軽いくちづけで吸い取った。
「よく頑張りました」
 照れくさくて、茶化してしまった。シリルは黙って笑うだけ。アレクはもう一度シリルを座りなおさせ、その背後に回る。
「なに?」
「いいから」
 言って、鎧の上から軽く叩き始めた。疲労が早く流れるように、と。
「もういいよ、大丈夫。ありがとう」
 シリルが言っても、アレクは自分が納得するまでそれをやめはしなかった。
「アレク」
 シリルが膝に上で横になっていた。それを階段に背中を預けたアレクは幸せそうに見下ろしている。
「どうした?」
「二人、大丈夫かな」
「じゃないか?」
「けっこう、あっさり言うね」
「サイファがいるからな」
「ウルフじゃ……」
「坊主じゃちょっと力不足ってとこだな」
「それは可哀想だと思うけど」
「サイファに比べればって話さ」
「まぁ……確かに」
「剣の腕は立つけどな、坊主は死にたがってる。だから危ない。うっかりするとサイファごとってことも」
「不吉なことを言わない!」
 下から伸びてきたシリルの手が、いたずらにアレクの口を塞いだ。それに軽くくちづけ、指の一本を甘く噛む。
「もしもってことさ。サイファがいるから、たぶん平気だろうよ」
 その指にアレクは自分のそれを絡め、残る片手でシリルの髪を撫でている。シリルはその言葉に納得したのかどうか。見上げる目には不安があった。
「アレク」
「なに?」
「もうちょっとで嫉妬するところだったよ」
「はい?」
 思わず間の抜けた返事をしてしまった。それにシリルが膝の上、体をよじって笑っている。嫉妬など、誰にするというのか。ウルフではあるまいに、アレクは愛しい弟を呆然と見ていた。
「だってサイファのこと。すごくかまうじゃんか」
「あぁ……あれは……」
「なんだよ」
「なんと言うか、その。見てられない? 危なっかしくって背中を叩きたくなるというか」
 しどろもどろに言い募ったアレクをシリルが愛おしそうに見上げ、その目にアレクはからかわれたのだと知る。絡めた指をほどき、軽く叩いた。
「馬鹿」
「ごめん。でもさ、危ないならウルフのほうだよね?」
「あの死にたがり。なんとかしないとなぁ」
「どうして死にたがってるのか、わかる?」
「サイファ」
「あぁ……」
 その一言で納得したのだろう。懸念を浮かべてシリルはうなずく。
「可哀想だよね」
「誰が?」
「サイファ」
「どうして?」
「だって……絶対ウルフのほうが何をしたって先に死ぬ」
「……幸せだと、思う。少しでも一緒にいられれば、それでいい。そんな風にも思うことだって、あるさ」
 自分と重ねていた。以前の自分はそう思っていたのだ。シリルと少しだけ一緒にいられる。それでいい、と。
 だが、今となっては。シリルを失うことなどできない。彼が死んだらきっと自分は後を追うだろうとも思う。
 だからアレクは理解していた。幸せだと思う、そう言った言葉が仮初の、慰めにもならない薄い言葉であることを。




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