兄弟が、サイファの指した場所を見ている。ウルフはまだ腕を押さえていた。顔を顰めているのは、痛みが強くなっているからなのだろう。すぐに済む、とサイファは意にも介さず壁を調べている。
「なるほど。巧妙ですね」
 シリルが感嘆したよう呟いた。
「まったくだ」
「ねぇ、なによ?」
「あのね、ここ見てごらんよ……って言ってもわかんないか」
「だろうな」
「アンタまで!」
 憤るアレクを手で制し、サイファは壁を探る。その間にシリルが説明をしていた。
「ここに転移の罠があるんだ」
「罠? だったらなんでアタシが……」
「魔法的な罠だからね、アレクでも無理だと思う」
「ふうん、なんか悔しいわね」
 サイファの指が、一点を見つけ出した。そこにはなにもない。目に見えるものはただの壁だった。だが、サイファの感覚は魔法を捉えている。
「こい」
 振り返ってウルフを呼び寄せればシリルが首を傾ける。それらサイファは首を振る。ウルフにやらせる、と。
「ここだ」
「どうしたらいい?」
「剣の……柄でいい。破壊しろ」
「大丈夫なの?」
「どういう意味だ」
「壊しても平気なのかなって。廊下ごと崩れたり、しない?」
「……その時はその時だな」
「そういう無茶を言う」
 言ってウルフが少し、笑った。サイファは顔をそむけ、そっと微笑む。まともにウルフの顔が見られなかった。彼の笑みを切望している自分と言うものを自覚して以来、気恥ずかしくてならない。そんなサイファをアレクが呆れたよう、見ていた。
「じゃ」
 ウルフが剣を反し、逆手に持つ。そしてそのまま壁に叩きつけた。
 どこで音がした。ここであったかもしれないし、遠くであったかもしれない。反響して聞き取りづらい音と共に廊下がぐにゃりと歪む。
「あ……っ」
 眩暈がしたのか、アレクが足許をふらつかせる。倒れる前、シリルがアレクの肩を抱き寄せた。
 苦しげな声はもうひとつ、上がっている。サイファはそちらを見もせずに手を出した。すがりつくのは硬い戦士の手。
「治まったか?」
「えぇ、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけ」
 言いながらもアレクはまだシリルの腕に抱かれていた。どこか、照れたような顔が羨ましい。そう思った途端、強烈に右手が意識され振りほどきたくなってしまう。
「サイファ、ありがと」
 それを感じ取ったわけでもあるまいに、ウルフは自分から手を離した。その物分りのよさが許しがたかった。
「倒れられたらシリルの手間が増えるだけだからな」
「そうだね」
「別にお前を助けたわけではない」
「わかってるよ」
 淡々とウルフは答える。本当に言葉通りだと思っているのだろう、サイファは口をつぐむより他になかった。
「あらあら、憎まれ口きいちゃって」
 アレクが聞こえよがしに言っては喉で笑う。それをウルフはどう聞いたのだろうか、と横目で見ればただ不思議そうな顔をしているばかり。
「アレク」
 たしなめながらシリルが兄を呼んでは肩を叩いた。そしてアレクを離して指を差す。
「あったよ、次」
「あ、ほんとだわ」
「こういう仕掛けだったんだね」
 肩をすくめてシリルが見つめるのは、廊下の先にある、階段。
「罠を突破しないと階段が見つからない、と言う仕掛けですね」
「仕掛け、と言うより侵入者を排除したいだけなのではないか?」
「……それを仕掛け、と言うんです」
「なるほど」
 上の空のサイファにシリルは呆れ顔をしてみせる。そんな顔はアレクによく似ていた。
「さ、行きましょう」
 シリルの促しに従って一行は階段に向かう。こつり、こつり、と階段に足が当たる音だけがする。二つの大きな足音。一つは小さい。そしてかすかに聞き耳を立てなければ聞こえないほどの音がもう一つ。
 緊張していた。階段で背後から襲われるなどと言うことはあってはならない、と。先行する兄弟に続くサイファの後ろをウルフが守っている。
 それが功を奏したのかどうか。何事も起こらず二階に着いた。まっすぐと伸びる広い廊下。右手は一段高くなり、回廊になっている。おそらく下は大広間なのだろう。遠くに部屋と思しき物があったが一向はそちらには足を向けず回廊へと目を向ける。回廊の反対側に階段を見つけたのだった。
「あっさり見つかってなによりだわ」
 皮肉げにアレクが言った。階下の罠を見つけられなかったのがよほど悔しいのだろう。いくらシリルが魔法的な物だから、と言っても彼曰く「遺跡荒らし」の誇りが傷ついたのは間違いなかった。
「まぁ、そう言わずに。ね?」
 まだシリルがなだめている。それを気にしながらサイファはウルフを見た。もう腕は押さえていない。
「大丈夫か」
 それでも尋ねた。話す、きっかけが欲しかっただけかもしれない。なにも話すことなどないはずなのに。
「大丈夫」
「そうか」
「うん」
「……痛むか」
「ううん。もう平気。これって、サイファにもらった腕輪の、だよね?」
「そうだ。お前がもっと早くに気づいていれば手間どらなかったものを」
「ごめん」
 非難する気などなかったと言うのに。ウルフと話しているとどうしてこんなことにばかりなるのだろうか。サイファはいぶかしくてならなかった。
 それ以上なにも言わなくなったサイファは目をそらす。以前だったらここでまたウルフが覗き込んでくるはずだった。それから少しも悪いと思っていない口調でごめん、と笑うのだ。
「ごめんね、サイファ」
 けれどウルフは追ってこない。ただ、向こうの階段を見たままそれだけを言う。視線を戻したサイファが見つめているのにも、気づかなかった。
「行くぞ」
 溜息を必死でこらえ、サイファは兄弟に言う。やり取りを聞いていたのだろう兄弟は、苦笑しながらうなずいた。
 上ってきた階段の真正面に位置する場所に、もうひとつの階段はあった。ゆっくりと段を上がり、回廊を進む。
「見て」
 アレクが下を覗き込む。
「やっぱりね」
 シリルが同じようにして下を見ていた。
「大広間の吹き抜けがここですね。正解だったようですよ」
「それは結構なことだ」
 素っ気無く答えるサイファにシリルは苦笑いし、視線を前に戻す。申し訳ないな、とは思うのだが今は兄弟にまでかまっていられる気分ではなかった。
 回廊は華奢な装飾で飾られていた。それが落下防止のための柵だと気づくのに時間がかかったほど、細く精緻でとても柵には見えないほどだ。
 サイファは柵に手を触れる。埃が溜まっているわけでもない。けれど時間の手触りがした。
「サイファ!」
 はっとして声のした方を見る。シリルが剣を抜いていた。一瞬、気を取られたのが悪かったらしい。前方に、何かがいた。先程まではいなかったもの、出現した、と言ったほうが正確だろう。
「すまない」
 サイファは答え、魔法がいつでも発動できるよう整っているのを確かめた。
「ウルフ!」
 シリルの声と共にウルフが飛び出す。いつ、剣を抜いたのかサイファには見えなかった。そして剣の軌跡も。何かが落ちる音がしたことで切り飛ばした、と知れる。
 それは巨大な剣を掲げた騎士のように見えた。甲冑に全身を包み、ゆらり、と立っている。その片腕がなかった。ウルフが切り落としたのだろう。
 騎士は痛みなど感じていないよう、残る片手を上げる。と、湧き出てきたのは白骨の戦士。
「アレク、気をつけて!」
「わかってるわよ!」
 兄弟が声を掛け合って、骨の戦士に向かって剣を振るう。ウルフがまた、騎士に突進した。騎士が剣を一閃する。風鳴りの音がした。ウルフが体を沈ませる。剣が空を薙ぐ。下から切り上げる。甲冑にあたる重い音。騎士がぐらり、よろめいた。
「よけろ!」
 そこに叩き込まれるサイファの魔法。ウルフは体をひねって避けている。魔法は命中し、甲冑が弾け飛ぶ。
「ぐ……っ」
 ウルフが呻った。甲冑の中はどろりと蕩けていた。以前は人体であったと想像できるだけに嫌悪感は凄まじい。死体が放つ臭いがサイファにまで届いた。
「気を抜くな」
 サイファの声に我に返ったウルフが剣を振るう。騎士も黙ってやられてはいなかった。巨大な剣でウルフのそれを防ぎ、押し返す。ウルフは押し返されているかと思えば、力のままに剣をくるりと反し、そして切り上げる。甲冑の、破れた場所に剣が突き刺さった。
 騎士が、手を伸ばす。最期のあがきに見えた。巨大な剣を捨て、ウルフを掴む。意外な素早さに、ウルフは避け切れない。
「くっ」
 胸倉を掴み上げられ、ウルフは足をばたつかせ逃れようと試みるも騎士に体を振り回されるのみ。
 サイファが魔法を叩き込もう、としたそのときだった。騎士の手が光る。ぼんやりとしたそれは次第に大きくなり、そしてウルフを包んだ。
「ウルフ!」
 悲鳴も上げられなくったウルフの体を、騎士は無造作に投げ飛ばす。華奢な柵が無残に壊れた。体が、落ちていく。
「な……」
 それが突然、消えた。まだ残る光。サイファは飛び出す。
「そこにいろ!」
 兄弟に向けた叫びだけを残し、サイファもまた虚空に消えていた。




モドル   ススム   トップへ