慣れた手順でアレクが罠を調べ、鍵を解除する。振り返ったアレクの目にあるものを見て、シリルがウルフを呼び、アレクが下がる。シリルがそっと扉を開けた。
「意外と手間取らなくって助かるわ」
 小剣を振り、アレクが血を飛ばして嘯いた。戦闘は瞬く間に終わっていた。それだけ一行に力がついている、と言うことなのだろう。
「そういうこと言わないでね」
「なんでよー?」
「アレクが調子に乗ると、あとで強敵が出てくることが多いんだよ」
 言ってシリルが笑い半分、溜息をついてみせる。アレクはさも憤慨した、と言わんばかりの態度でシリルに殴りかかり、そしてひらりとかわされた。
「もう、じっとしててよ」
「やだよ、殴られるじゃんか」
「ずるいわ、シリル」
 ことさら女の媚をあらわにアレクがシリルをねめつける。シリルが天を仰ぎサイファに向かい、苦笑して見せた。
「楽しそうだな」
 思わず皮肉を言ってしまう。すぐに馬鹿なことをした、と思った。
「楽しいわよ? アンタも遊べばいいのに」
 そう、アレクが言うのはわかりきっていたことなのだから。ちらり、ウルフを見れば、そっぽを向いていた。聞こえていないはずはないのに、理解したくないとでも言いたげな顔つきが癇に障る。
「ま、いいわ。行きましょ」
 小さく、溜息をついたのが聞こえた気がした。そうしたいのは自分だ、サイファは思いながら兄弟に続く。
 長い廊下だった。右手には、いくつもの扉が等間隔にずっと続いている。石の床に一行の足音だけが響いた。
「なんの部屋でしょうね」
 わずかに顔を傾けてシリルが問う。
「さてな」
「あら、安心したわ」
「なにがだ」
「アンタにもわからないことって、あるのね」
「当然だろう」
 呆れてサイファは言い返す。なにもかもがわかるのならば、こんな事態にはなっていない、そう思いながら。
「僕も安心しましたよ」
「お前までそういうことを言うか」
「すみません。でも……あなたも普通なんだな、と思って」
「よく意味がわからんが」
「旅をしているとね、忘れがちなんですよ。あなたが魔術師リィの、最後の高弟と謳われた偉大な魔術師だってことをね」
 そう、シリルはからりと笑う。茶化しているのでもなく、ただ彼の知っていることを述べているに過ぎないのだろう。そう思えばそれほど腹は立たなかった。
「訂正しておこうか」
「なにをです?」
「私は最後の弟子、ではないぞ」
「え……そうなんですか?」
 シリルが驚きの声を上げて振り返る。ついには立ち止まってしまった。この好奇心の強さは、神官よりもむしろ魔術師の方が向いていたのではないか、そんなことを思ってサイファは微笑む。
「私はリィ師の最初の弟子で、最後の弟子だ」
「……サイファ」
「なんだ」
 声音の、その揺らぐ響きにサイファはウルフを見た。そして失言を知った。彼が師をどう思っているかはわかっていたはずなのに、なぜ師の話をしてしまったのか、と。
「ずっと、一緒だったの?」
「違う」
「だって」
「師から独立を許されてからは離れていた時間のほうが長い。最期を看取ったのは私だが」
 自分で意図したより、声に苦味が強くなる。サイファはそれに唇を噛んだ。
「……ごめん」
「いい」
 言ってサイファは横を向く。
 ウルフに顔を見られたくなかった。嘘を、ついた。ウルフを傷つけたくないからだとしても嘘であることに違いはない。
 師から離れている時間は、長くなどなかった。師の生きていた間、ずっと一緒だったと言っても過言ではないほどに共に過ごした。
 師の塔に限らず、共に住み暮らしたのは修行時代と師の晩年だけではあった。それは嘘ではない。だが、いつもつかず離れず側にいたのだ。
 むしろ、師がサイファを危ぶんで共にいてくれた、と言うほうが正しい。だが、それを言えばさらにウルフは傷つくだろう。
 だからサイファには言えない。嘘をつくか、あとは黙るしかない。
「サイファ」
「なんだ」
「……どれくらい一緒だったか、聞いてもいい?」
「あまり、聞かせたくないのだが」
 サイファはそう溜息をつく。言わねばまた落ち込むだろう、聞いても落ち込むのは間違いがない。もうどうしたらいいのかサイファにはわからない。あからさますぎて、嘘にもならない事実を誤魔化す方法などありはしない。
「どうして?」
「それは……」
「サイファ」
 絶句してしまったサイファにウルフの視線が突き刺さる。剣から伝わってくる感情などなくとも、まるで我がことのように胸の奥が痛くてならない。
「あーら、坊やってばやっぱりお馬鹿」
「なんでだよ」
「サイファがなんで言いたくないか、ほんとにわかんないの?」
「わかれば、聞かないよ」
「でしょうねぇ」
 アレクは言っておかしげに一人、何度もうなずきを繰り返していた。
「サイファはね……」
「よせ」
「やめないもーん。サイファはね、アンタが悲しいだろうな、と思って言わないの」
「え……どうして……」
「それはサイファに聞きな、坊主」
 くっと笑ってアレクは男になる。目まぐるしいことこの上ない。最後に茶化してくれたことに感謝しはするのだが、なぜか釈然としないサイファだった。
「サイファ」
「なんだ」
「……ほんと?」
「知るか!」
 大袈裟にあらぬ方を向き、サイファは立ち止まってしまっていた仲間を促した。こんな所で止まっていては、いつになっても辿り着けないではないか。一人腹立たしく歩くサイファにウルフが追いつき、兄弟が追い越した。
「サイファ」
「なんだ」
 足音高く歩くサイファをたしなめるよう、シリルが声をかけてくる。それにサイファは渋々といった体で足音を静めるのだった。
「相変わらずですが。兄がすみません」
「なぜお前が謝る、と以前も言った気がするが」
「同じようにお答えしますよ。監督責任、というやつですね」
「……はじめてお前に会ったとき、深く同情した。私はなんと愚かだったのだろうか」
 聞こえよがしの溜息をつけば兄弟が揃って笑う。なぜか隣でウルフまでもが小さな笑いを漏らした。笑われたくせにサイファはそのウルフの声に安堵している自分を見つけた。
 また、聞きたいと思っている。あの馬鹿な笑い声を。子供同然の無防備な笑顔を。なにも考えていないとしか思えない話し声を。どこまで馬鹿なのだろうか、と思う。こんな人間の若造のどこが良かったのだろうかと疑問でならない。サイファが再び漏らした溜息を勘違いしたものか、仲間たちがまた笑い声を上げた。
「サイファ、お勉強になったわね?」
「どうも知りたくもなかったことばかり覚えた気がしてならんがな」
「あら、そんなこと言っていいの?」
 目許を緩ませ、ちらりアレクがウルフを見た。サイファは失言に継ぐ失言に顔を覆いたくなってくる。
「誰がそんな話をしている。お前たち兄弟の複雑さなど、知る必要がどこにあった?」
 勢いよく言い放った分だけ、嘘が滲む。ウルフがほっと肩の力を抜いた気がした。それにサイファは自分までほっとしていて、それが妙に新鮮だった。
「まぁ、それはそれとしてですね、サイファ」
 シリルが立ち止まってこちらを向く。怪訝に思いサイファはその顔をうかがっていた。
「ちょっと、長すぎませんか、この廊下」
 言われてみればそのとおりだった。無数に続く小部屋など、いくらシャルマーク王宮だとて、確かに異常だ。
「少し油断したな」
「おしゃべりがすぎるからよー」
「誰のせいだ、誰の」
「アンタのせい以外に誰がいるのよ」
「その辺にね、アレク」
 シリルが兄を制し、そして周りを見渡す。サイファも同じよう、周囲をうかがった。
 どこも変わらないように見えた。背後にも廊下は長く、そして前方にも同じく小部屋が続いている。
「ゆっくり、歩こう」
 シリルの提案に従う以外なかった。一行は速度を落とし、警戒しながら足を進めた。
 サイファは視界の端でウルフがこちらをうかがっているのを感じる。ちらり、見ては促した。それにウルフは首を振るばかり。
「言え」
「なにを」
「気が散って探索が進まん。言いたいことがあるならさっさと言え」
「たいしたことじゃないよ」
「いいから言え、と言っている」
「……あんたが好きだな、と思ってただけ」
「殴られたいのか?」
「言えって言ったのサイファじゃんか!」
「こんなときになにを考えている、馬鹿!」
 軽く、殴ったつもりだった。危険な場所で怪我をさせるつもりなど毛頭ない。そっと赤毛を掠める程度に殴るふりをしただけ。それなのにウルフは腕を押さえた。頭ではなく。
「どうした」
「ん……さっきから、なんかちょっと腕が……」
「……早く言え」
「え、なんで?」
 不思議そうな顔をするウルフにかまわずサイファは足を止める。
「シリル、見つけた」
 しばし精神を凝らしたあとシリルに示したのはなんの変哲もない壁の一点だった。




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