扉の前、シリルが振り返ってうなずく。サイファも黙ってうなずき返した。そのままサイファはウルフの背中を押し前に出す。 「サイファ?」 「出ろ」 「……わかった」 渋々言ってウルフがアレクと入れ替わる。下がってきたアレクがにやり、笑った。 「行くよ。いいね?」 待ち伏せの気配を感じたのだろう、シリルが緊張を滲ませて言う。仲間は答えを返すことなく、彼が扉を開けるのを待っていた。 戦士たちが剣を抜く。ざらりとした鞘鳴りの音が響いた。戦士は目を見かわし、そしてシリルが扉を蹴り開けた。 「気をつけて!」 予想通り、待ち伏せがあった。白骨が一行に襲い掛かる。あの湖のほとりでの悪夢が蘇った。 「竜牙兵ではない。叩け」 サイファが声を飛ばす。ウルフに言ったはずが、うなずいたのはシリル。かすかに苦笑し、サイファは横手から飛び掛ってきたボーンゴレームを蹴り倒す。 「大丈夫?」 「あぁ」 アレクに返事を返したとき、彼もまた小剣を収めて骨の戦士を蹴っていた。 シリルとウルフは剣の腹でボーンゴーレムを叩き壊している。今の一行にとって、難敵とはとても言いがたかった。 「サイファ!」 油断したわけではなかったが、背後から近づいてきた敵に気づかなかった。アレクの声にはっと振り向く。視界の端に驚愕に目を開いたウルフが映った。 サイファは骨の戦士を蹴り飛ばし、壁に叩きつけられたそれは一撃で破壊された。 「すまん」 「アンタって、魔術師とは思えないわね」 「どこがだ」 不機嫌そうにサイファが答えアレクが笑う。戦闘があっという間に済んでしまったからこそできることだった。 「おい」 機嫌の悪さもそのままに、サイファはウルフを呼び寄せる。体を硬くして近づいてくるウルフの頬をサイファにしては軽く、張り倒す。 「サイファ……」 「戦闘中に余所見をするな」 「だって」 「この程度の敵に困るような私ではない」 「でも」 「気をそらすから、怪我をする」 言われ、唇を噛んだウルフがわずかにうつむきかけ、そしてサイファに言われたことを思い出したよう顔を上げた。 それにサイファはわずかばかり、唇を緩めた。ほんの少しだけウルフの頬に切り傷がある。触れた。治すまでもない、そんな傷をわざわざ治した。その意図が、彼に伝わるのかどうか、危ぶみながら。 「サイファ」 「なんだ」 「……疲れない?」 「この程度では、疲れない」 「そっか」 なにを考えているのだろうか。ウルフは黙ってうなずく。それから意を決したよう、サイファを見た。 「ごめんね」 なにに謝られたのか、わからなかった。傷を治したことに対してか、それとも怒ったことに対してか。ウルフも、わかっていないのかもしれなかった。 「シリル、進もう」 サイファは小さくうなずき、返事に代えてシリルを促す。その声にアレクが弟の元に戻り、ウルフがまた隣に帰ってきた。 「大広間、ですね」 辺りを見回し、シリルが言った。冷たい石を隠すようかけられた綴れ織りの壁掛けは、だらりと床にわだかまり、窓から通る光をとりどりに染めていただろう色硝子は砕けて落ちている。 ぼんやりとした魔法の光の中で見るそれは、なにかの悪い幻想のようだった。 「行きましょ」 胸が悪くなったよう言うアレクにウルフもまたうなずいている。それをサイファが制した。 「どうしました」 「見ろ」 「あぁ、なるほど。あそこを目指しましょう」 サイファが指差した先。それは天井だった。正確には二階部分の回廊、と言うべきか。 大広間の天井は吹き抜けになっている。そこを巡るよう設置された回廊は、おそらく別のどこかに通じているはずだった。 「行くぞ」 まるで遠くを見るような目つきをしているウルフに声をかければ驚いたよう目を瞬いた。 兄弟はかまうことなく歩いている。入ってきた扉のちょうど右手にもうひとつ扉があった。それを開けようと言うのだろう。 「サイファ、俺」 アレクが扉の前でかがんでいる。手元を明りで照らし、罠を見つけようと苦闘していた。 「言うな」 「……ごめん」 「謝るな」 「だって……!」 「役に立っているから謝るな、と言っている」 「あ……」 見上げてきた目が、揺らいでいた。まだ抜き身のまま持っている剣の切先が一度、振れた。 「役に、立っている」 もう一度、サイファはゆっくりと言う。今度こそウルフはうつむいた。その赤毛に触った。柔らかい、手に快い髪だった。ウルフが以前していたように、それよりもっと感情をこめてサイファはウルフの髪を撫でる。 「サイファ……」 顔を上げた。なにを言いかけたのだろうか。唇を噛みしめて閉ざしてしまった言葉はわからなかった。 「開いたわよ」 「いま行く」 「早くね」 「……すまない」 アレクの声が含んだ笑いの気配にサイファは肩をすくめて答え、ウルフの腕を取って歩を進めた。 「開けるわよ」 「大丈夫なのか?」 「待ち伏せはない、と見たわ」 「なるほど」 アレクが言い、シリルがそれを支持するならば確実だと考えていいのだろう。一行はいつもの隊列を取り、扉を開けた。 アレクの言葉の正しさはすぐに証明される。何者もいなかった。 細長い部屋だった。奥へ奥へと続いているその壁の両側に、肖像画が無数にかかっている。 「気色悪いわね」 アレクが顔を顰めてそれを見ればシリルも同感だとうなずいた。 「歴代の王家の肖像、かな」 「でしょうね」 「こっちが新しいのかな」 「みたい、ほら」 言ってアレクが指差す。向こうの絵とこちらの絵とを。明らかに朽ち方が違った。 「なるほどね」 シリルがうなずいて絵を見比べる。珍しい物ではあるのだろう。衣装も髪型も時の流行に則って描かれたそれは、奇妙でいて新鮮、と人間の目には映るだろう。 サイファにはそのような興味は湧かなかった。いくつかは、その目で見てきたことなのだから。半エルフでしかも魔術師となれば着る物など何世紀経とうがたいして変わりばえはしないのだ。 「サイファ」 ふと思いついたよう、シリルが呼んだ。 「なんだ」 「思ったのですが。最後のシャルマーク王の顔を知りませんか?」 「知っているが」 「あ、では。どれです?」 喜んで尋ねるシリルになぜだと問い返すこともできずサイファは黙って一枚の肖像画の前に歩いていく。ウルフは当然のよう、ついてきていた。 「これだな」 それは、特別に禍々しい一枚だった。 「これが……」 シリルもまた息を呑む。否、シリルだけではなかった。アレクも、ウルフも。あるいはそれは、最後のシャルマーク王が為したことを知っているからこそ、感じる恐怖なのかもしれない。 「怖い、顔だね」 ウルフが怯えたよう、言ってサイファの腕に手を添える。その手の上、サイファは自分の手を重ねた。 「サイファ」 「黙れ」 「うん」 ようやく、触れてきた。自分から触れてきた。恐ろしさのあまりであったとしてもかまわない。ローブ越しのぬくもりを、今は離したくなかった。 「行きましょ」 けれど用事は済んだ、とばかりにアレクは歩き出す。サイファは彼の背中に苦笑して、後に続いた。 「サイファ」 小さく呼び声。答える間もなく手が包まれた。戦士の荒れた手のぬくもり。 サイファは軽く握り返す。それに意を強くしたよう、ウルフはサイファの手を取ったまま歩き出した。 「サイファ、これは誰です?」 シリルが指したのは女性の絵。線の細い、影の薄い女だった。 「最後のシャルマーク王……名をブレズ・フェビアと言ったが、その王の一番目の王妃の肖像だ」 「ブレズ・フェビア……」 「聞いたことがあるか?」 人間の間に伝わっている名ではないことを知っていたサイファはシリルの反応につい、尋ねてしまう。 「僕は――神官ですからね」 「あぁ、そうか。失念していた」 「あなたが?」 言ってシリルが微笑った。どこか誤魔化しの気配がない、とは言えなかったが、あるとも言えずサイファは黙って騙されることにする。それを感じたのだろう、やはりシリルが申し訳なさそうに目を細めた。 「ねぇ、これは?」 アレクの問いにサイファは答える。ブレズ・フェビア王の王妃の肖像が十二枚を超えた辺りでアレクが呆れたよう、問うのをやめ後は散発的に時折、問うだけになる。わかるものもあればわからないものもあった。そうしているうちに、ひとつの扉が見え始めた。 |