廃墟を出て、振り返った。誰からともなく、皆が。崩れ落ちた栄光の名残。ここに、大陸に暮らした神人たちはもういない。
「行くか」
 サイファが言えば、仲間たちがうなずく。緊張、と言うほどのものではない。新しい場所に向かっての、昂ぶりが兄弟の口を閉ざしていた。ウルフは変わらず。サイファはちらり、横目で見ては溜息をつく。
 廃墟は西向きに建っていた。その裏手から湖を渡ればちょうどシャルマークの王宮のあった場所につくことができる。
「サイファ、また?」
 シリルが首をかしげる。来たときと同じように渡るのか、と言うのだろう。
「ちょっと、あれは派手じゃない?」
 アレクが異を唱える。
「派手は、派手だな」
「でしょ。なにもわざわざ到着を知らせてやることもないと思うわ」
「それはどうかな?」
「なによー。アンタ、なにが言いたいのよ」
「多眼の球魔を殺しただろう? もう我々がここにいることは知られていると思って間違いはない」
「はぁん、なるほどね」
 アレクはそれでうなずいた。彼のことだから湖の対岸から見張られている可能性と言うものも考えているのだろう。視線が対岸を見つめていた。
「だから、隠れるのは無駄だな」
「じゃ、派手に行きましょ」
「なにもわざわざ……」
「だって知られてるんだったら、いいじゃない。アタシそのほうが好きだなぁ」
 言ってはくっと喉で笑った。女の声で話しているくせに笑う目つきは男のものでサイファは眩暈を覚える。それがアレクなりに気持ちを引き立てようとしてくれているのだと、わかってはいるのだが気色悪いことに違いはない。
「……よせ」
 苦く笑って言ってしまった。隣で気配が痙攣した。そっと天を仰いでサイファは密やかに嘆息する。
「では、この前と同じように、と言うことで」
 事態の収拾を図るシリルにサイファはうなずきかけ、そして待て、と手振りで言った。
「アレク」
「なによ」
「いつも身につけている物、なにか寄越せ」
「えー、どうしてよ?」
「分断されたときのことを考えている。探すのに目印があったほうがいい」
「なるほどね。これはどう?」
「充分だ」
 サイファはアレクから短刀を受け取る。小さく実用的なそれは持っていても邪魔にはならない。
「サイファ」
 小さな、声が聞こえた。
「なんだ」
 振り返ったサイファの目に映る、どこか怯えたような目。うつむいた拍子に赤毛が揺れた。
「シリルは、いいの?」
「必要ない」
 それだけを言い、何かを彼が続けるのを待つ。ウルフはなにも言わなかった。
「仮に、全員が分断されたとする。シリルはアレクを容易に見つけることができる」
「定めし者、だから?」
「そうだ。後は私がアレクを見つければ合流は可能だ」
 淡々とサイファは説明する。無機質な声はまるで今のウルフのようだ、と自分で思いながら。そのウルフはまだなにも言わない。ひとつ、聞きたいことがあるはずなのに問わない。サイファもまた、言えない。もどかしかった。
「サイファ」
「なんだ」
「ウルフはどうするのですか」
 だが、もどかしい思いをしていたのは当人たちだけではなかった。
「あーら、どうするかなんてシリルだってわかってるくせに」
 茶化した口調でアレクが言うのを、ウルフが驚いて見上げる。跳ね上がった赤毛の下で目を見開いていた。
「なによ、坊やったらわかんないの?」
「ウルフにはちょっと無理だと思うよ」
「……馬鹿だから」
「坊主。いい加減にしろよ」
「……え?」
「坊主が馬鹿なのは承知の上だがな。卑下するのはやめろ、目障りだ」
「アレク。言いすぎだ」
「アンタは黙ってな。どうせ自分じゃ言えないんだろ、サイファ?」
「こっちの問題に首を突っ込むな」
「うるさいなぁ。アンタが坊主を見つけるのは簡単だって、言ってやりゃ済むことだろ? なんでそれくらい言ってやんないんだよ。言ってやれよ」
 危害を加えるつもりでないことは知れている。だが、アレクはサイファの胸倉を掴み、締め上げていた。紫の目が揺れている。口調の激しさと裏腹に、苦しげな目だった。まるで、自分が抱え込んでしまったようだ。
 あるいは、アレクにはわかるのかもしれない。自分の経験として、言いたくても言えない、その苦しさやつらさがわかるのかもしれない。理由はまったく違うとしても。
「……サイファ?」
 ウルフがそのアレクの腕をそっと押さえた。そして有無を言わさず手を離させる。息苦しさを感じていたサイファはほっと息を入れた。
「なんだ」
「……アレクの言ってること、本当?」
「本当だ」
「どうして?」
 ちらり、アレクを見た。口許が緩んでいた。自然に会話をさせるための、半ば以上は演技だったのだろう。困ったものだ、と思いながらサイファは感謝の視線を送り返す。
「剣」
「え?」
「お前の剣にエンチャントした」
「ん。覚えてる」
「私と魔法的に繋がっている。紐でつないであるも同然ということだ」
「サイファと、俺が?」
 意外な事を聞いた、とでも言いたげな顔をした。それから口を開きかけ、閉ざす。なにを飲み込んだのかはサイファにもすぐにわかった。
「嫌ではないし面倒でもない。そもそも今までもずっと繋がっている。いまさら解除する気もない。わかったか!」
 言うだけ言ってサイファは一人、湖のほとりまで歩いていった。
 腹立たしくてならない。言わねばわからないなど、なんと面倒な生き物なのだろうか。ウルフは当然のこと、言わせる形を作ったアレクにさえ、先程の感謝も忘れサイファは苛立つ。馬鹿らしい、思いながら足許の小石を蹴り飛ばした。
「ほら、坊や。行ってやんなさいよ」
「でも……」
「いいから! 早く」
 背後から、声が風に乗って届く。聞こえていないとでも思っているのか。
「坊や!」
 明るい笑い声。サイファは戸惑って首を振る。聞こえていることなど、アレクはわかっているのだ。それでいて堂々とあんなことを言う。
 人間がわからなくなった。複雑で、不可思議な生き物。面倒で煩わしくて、そしてすぐに死んでしまう生き物。
「サイファ」
 おずおずと声をかけてくる。黙って横に立てばいい。前からそうしていたように。
「俺……」
 なにも言うな、とサイファは首を振った。目は前を見つめ続けている。ウルフなど、見もしなかった。
 ようやく、滑り込んできた手。ためらうよう、絡んだ指。サイファは拒まない。
「あんたが……あんたを、守るよ。できるだけ」
 言いたいことは違うはずだった。言えばいいのに。わずかに顔を傾けてウルフを見れば、彼はもう黙って湖を見ているだけだった。
 あの、鬱陶しいほどの熱はどこに行ってしまったのだろう。抜け殻など、欲しくなかった。
「死ななければ、それでいい」
「……できるだけ」
「最善を尽くせ」
 畳み掛けるサイファの言葉にウルフは答えない。絡んだ指に力をこめた。言え、そう促した。
「できるだけ、ね」
 サイファにしては執拗だった問いにもウルフははぐらかすよう答えるのみ。指をもぎ離した。顔をそむける。
「サイファ」
「うるさい!」
「できるだけ、死なないから」
「お前なんかどうなろうと知ったことか。勝手にしろ!」
「サイファ……」
「うるさい、と言っている!」
「……聞きたく、ないだろうけどさ。俺、あんたが好きだよ。だからできるだけ、あんたの目の前では、死なない」
 それが聞きたいと言っているのに、いまさらなにを言うか。サイファは黙ってウルフを睨みつける。きっと、自分で意図したほど厳しい顔をしてはいないと思いながらも。
「あんたが、好きなんだ」
 手を、取られた。ウルフの両手の中に包み込まれる。荒れた戦士の手。ざらついて痛い。けれど、温かかった。
「ごめんね」
 そのままウルフが指先にくちづけた。触れるだけ。サイファには、触れたかどうかすらわからなかった。目を伏せたウルフから、彼の剣から痛いほどの感情が伝わってくる。
 恋情と、後悔と。それから圧倒的な苦しさが。馬鹿なことに悩んでいる、と思う。受け入れられないと思い込んで、一人で孤独ぶって悲しんでいるのは、ウルフではないか。そう怒りに似たものがサイファの心を占めていた。
「仲直りが済んだらなら、行きますよ」
 ゆっくりと追いかけた来た兄弟が近づく。様子を見て取って安心だ、と思ったのだろう。
「こんなとこで痴話喧嘩してるんだから仲良しさんねぇ」
「違うよ、アレク」
「違わないのよ、坊や」
「でも!」
「アタシが違わないって言ってんだから、違わないの! いいから行くわよ」
 強引に言ってアレクが笑った。アレクの視線はシリルと違い、サイファを非難していた。また言わなかったと、非難していた。




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