サイファは何に、と言うわけでもなく黙って首を振る。ただ、話をそらしてしまいたかっただけかもしれない。
「シリル」
「どうしました」
 ウルフをおいて、振り返る。まだ何か言いたそうにしているのを聞く気はなかった。
「二階に上がれば、個人用の寝室が残っているかもしれない」
「あぁ、それはいいですね」
「だから、新しい鎧を身につけてしまってはどうだ」
「あ、そうか。なにもこれ、つけてなくてもいいですものね」
「そういうことだ」
 ちらり、シリルが置いたばかりの鎧に視線を走らせる。やはり楽しげだ。ウルフが何をどう言おうと、武器防具が戦士の玩具であることに違いはない。そのことを確認してサイファは詰めていた息を吐いた。
「ウルフ、君もそうしなよ」
「わかった」
 ウルフの声。もうあのようなことを言ったとは思えないほど明るかった。誰を見るともなくサイファは室内を見回す。
 青い床。緻密に彫刻された壁の飾り。在りし日はどこまでも白かったのであろう壁の色。目に馴染みのある神人たちの館。彼らはどこから来て、どこへ去っていったのだろうか。父、と呼ぶこともなかった神人を思い出しても懐かしい、とは思わない。懐かしいのならばむしろ、師。自然、唇がほころび瑠璃色の石をまさぐっていた。
「どう、シリル?」
 金属の音がしていた、と思ったらもう用意は整ったらしい。ウルフがシリルに問いかける声は、まさしくおもちゃを与えられた子供のそれだった。
「いいんじゃないかな。軽いね、これ」
「ん、ほんと。すごい軽い」
「多少、体が慣れるまでは気をつけないとね」
「わかってる。調子狂いそうだもん」
 言ってウルフが笑った。振り返れば真の銀の鎧をつけたウルフ。知らず息を呑みそうになった。銀よりは、透徹な色合いをした真の銀が美しく映えている。肩の板金に赤毛が映りそうで映らない。剣の位置を調えているのだろう、体をひねった拍子に鎧が鳴った。
「坊や、黙って立ってたら良いとこの坊やねぇ」
「なんだよ、それ。酷くない?」
「だって中身が中身だもの」
「アレクだって黙ってれば、綺麗だよ」
「アタシは喋っても愛らしいもの」
「……自分で言う?」
「じゃ、誰が言ってくれるのよー。坊やが褒めてくれる?」
「シリルに頼みなよ!」
「あら、それもそうね」
「ウルフ! 僕に押し付けないでよ」
「ちょっと、シリル? 押し付けるって……」
「その辺にしておけ。騒がしい」
 うっかりと口を挟んでしまった。そしてアレクの目を見て、嵌められたと悟る。自分を介入させるために口論をして見せるのはアレクのいつもの手だと知っていたはずなのに。浮かんだ苦笑もそのままに、軽くアレクに手をあげて見せればやはり、にやりと笑われた。
「サイファ」
「なんだ」
「これもつけといた方がいいかな?」
 アレクとの間にウルフが割り込んでくる。本人が意識しているのかどうか、微妙な所だとサイファは溜息をつきたくなる。おかげでシリルにまで微笑まれてしまった。
「どれだ」
 諦めてウルフの手を見る。すでに籠手に覆われているウルフの腕はいつも以上に戦士らしく見えた。
「これ。額冠」
「つけておいて邪魔になるものでもあるまい」
「そっか。じゃそうしよ」
 胸が騒いだのなど、嘘のようだ。嬉々として武装を調えるウルフを見ていると所詮、子供だとしか思えない。
 ウルフが両手にそっと額冠を持つ。神人の細工らしい、繊細な造形だった。細い輪を何本か束ねてより上げひとつの輪にしている。その一本ずつの間に小さな珠が飾りつけられている。よく見ればそれが透かし彫りになっていることがわかっただろう。
「これでいい?」
 ためらいもなく、ウルフが額冠を頭上に戴いた。慣れた仕種。額に光る銀の輪。赤毛の間にも、銀色がのぞいていた。
「いいだろう」
 何かが喉に引っかかっているようだった。うまく声が出ない。戦士なのだから当然だ、そう思いはしても神人の武装があまりにも身に付きすぎる、そんな気がしてならなかった。
「じゃ、探検ね」
 アレクがシリルの腕を取っていた。目が何かを言っている。さり気なく近づけばシリルから離れた。
「なんだ」
 小声で問う。戦士たちは無邪気に互いを賞賛しあっている。
「今があればいい。過去も未来もどうでもいい」
「どうした、急に」
「別に。アンタに言っておきたいと思っただけ」
「なぜ、私に」
「なんでだろうな。同類の忠告、と思っておけよ」
「……そうしよう」
 理解したわけではなかった。何を言いたいのか真意も掴めない。けれど、アレクの言葉は体に染み透るよう、入ってくる。だから素直にうなずけた。
「じゃ、今度こそほんとに探検だ」
 くっと、アレクが笑った。妙に男らしい笑顔で、一瞬たじろいだ。それをアレクが見たかどうか。すでにサイファはそれどころではなかったのだった。
「なにをする!」
「なに内緒話してんのかな、と思って」
「わかっているなら離れろ!」
「やだ」
 ウルフが背後からじゃれ付いていた。完全武装した戦士に抱きつかれるなど、痛くてかなわない。胸にまわってきた腕は今までと違って籠手に覆われているのだ。
「離れろ。わかったな」
 痛みの原因になっている腕を掴んで引き剥がす。顔だけ振り向けて睨みつけてもウルフはまだへらへらと笑っている。何を考えているのか、と意識せずに剣を探った。
 伝えてきたのは苛立ち。もやもやと、何に対してかわからない感情の強い波。それなのにウルフは笑っている。剣を通じてわかってしまった。ウルフらしいとは言いがたい作り笑いだった。
 おかげでサイファにまで、その苛立ちが移ってしまう。サイファは膝を上げ、そしてそのまま後ろへと振り抜いた。
「痛っ」
「当たり前だ!」
 見事に脛に当たったのだろう、さすがにウルフは座り込んで足を抱えている。それを見ては兄弟が笑っている。薄情ではないか、と苦情のひとつも言いかけ、痛めつけたのが自分であることを思い出しては口をつぐんだ。
「立て。行くぞ」
 多少は哀れになってウルフに手を差し伸べる。その手を取る力は強かった。サイファは文句を言いたくなってきた。たいしたことはなかったではないか、と。
「サイファ」
「なんだ」
「もうちょっと、手加減して?」
「蹴られるようなことをお前がしなければ何の問題もない」
「……そりゃそうなんだけど」
 膨れ面になったウルフにどう答えていいのかサイファにはわからなかった。苛立ちと笑い顔と、ウルフの心がなぜそれを選ばせたのかがサイファにもわからない。
「はいはい、行くわよー」
 困惑の度合いが深くなった所でまたアレクに救われてしまった。ほっとして淡い笑みを浮かべればウルフが目をそらす。今は、なにも理解したくなかった。
「ねぇ、サイファ」
 さっさと歩き出したアレクが顔だけ振り向けて尋ねてくる。
「上ってなにがあるの?」
「基本的には個人の部屋と客室だな」
「ふうん、人間と変わらないのね」
「人間が神人に倣った、と言った方が正確だ」
「あぁ、そうか。それもそうね。じゃ、この階は?」
「それも人間の館とそれほど変わらない」
「なら、いいものがあるといいなぁ」
「なにを期待している」
 変わらない、と聞いたせいだろう、今度は兄弟が先頭に立った。懲りもせずウルフは隣を歩いてサイファの手に触れてくる。何度か払って、結局させるままにした。
「目ぼしい物はない、と思うが」
「あら、物じゃないの」
「では?」
 先に立って歩くアレクは何かを探しているようだった。あちらこちらを視線がさまよっている。不意にわかった。
「アレク」
「なによ」
「ついてこい」
 それだけを言って歩き出そうとした手が引かれる。まだウルフが持っているのを忘れていた。
「サイファ」
 情けない声を出すな、そう怒鳴りそうになった。
「お前も」
 代わりにそう言った。それだけで目に見えて顔が明るくなる。
「うん」
 まるで兄弟のよう、手を繋いで歩くのは面映い、と言うよりできることならば卒倒してしまいたいほど恥ずかしい。まして後ろで兄弟が密やかに笑う声が聞こえているのだ。
「離してくれ」
 どこから出たのかといぶかしむほど掠れた声。ぎょっとしてウルフが覗き込む。なんでもない、と首を振った。ウルフの接触に慣れたはずなのに、今日に限ってこれほど羞恥に襲われるとは我ながら思っても見なかったのだ。だから、ウルフに対して説明のできようはずもない。
 一度ウルフは手を握り、そして離してくれた。なぜ、と問うこともせず。視線で質せば困ったような顔をするばかり。
「サイファに、嫌われたくないから、さ」
 ぼそり、言ったのはそれから少し経ってのことだった。なにを意図して言ったのか、サイファにはついにわからなかった。
「アレク」
 振り払うよう、彼を呼ぶ。ある程度は聞こえていただろうに、何も聞かなかったふりをしてくれるのがありがたい。
「これだろう、探していたのは」
 扉を開けた。一行の顔に吹き付ける大量の湿気。蒸気には、仄かな匂いがついていた。




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