廃墟の中は、外観ほど荒れてはいなかった。一行にとって何よりありがたいのは壁と屋根があることだろう。野営に慣れたとは言え、たまには落ち着いて室内で眠りたいとも思うものだ。 「さて、と。なんかあると思う?」 サイファの話を聞いてからと言うもの、アレクは探索に期待を見出してはいないらしい。が、サイファの返事は違った。 「神人が物に執着したとも思えない。探せば有用な物もあるだろう」 「それは嬉しいわね」 一転して明るい声になるのをウルフは後ろでくすりと笑う。聞かれたのだろう、振り返ったアレクにいたずら半分、睨まれた。 「ごめん」 「いいわよ、別に」 ひらひらと手を振っている。よほど機嫌がよくなったらしい。これで何もなかったら大変なことになりそうだ、とサイファは己の迂闊な言葉に天を仰いだ。 「ねぇ、だいたいの部屋の配置とか、アンタわかる?」 「おおよそは」 「じゃ、任す」 その一言で決まっててしまった。諦めてサイファは先頭に立つ。当然のよう、ウルフが隣を歩いた。 「側にいなくともいい」 「でもさ」 「安全だ、と言ったが」 「念のため、ね?」 今までことあるごとに危険と言う概念はないのか、と説教してきた身である。必要ない、とはこれ以上言えなかった。 サイファは肩をすくめ、黙々と階段を探す。一行に必要な物、と言えばまず武器防具。ならば武器庫か宝物庫を探すべきだった。たいていの場合、それは地下にある。だからサイファは階段を探していた。 「あったよ」 不意にウルフが言う。見れば彼の指の先に階段があった。 「なぜだ」 「なにがさ」 「私がなにを探しているか、なぜわかった」 言ってなど、いない。それなのにどうしてウルフが。不安でならない。何が変わってしまったのか、サイファにはわからない。 「だって、階段探してたんじゃないの?」 「だから、どうしてわかった」 「そう言われてもなぁ。サイファの視線とか、そんな感じ?」 逆に問われてしまった。本人にもわからないものをサイファがわかるはずもない。そのことにほっとする。 「降りるぞ」 後ろの兄弟に声をかける。階段の下は暗かった。覗き込んだサイファは魔法の明りを灯し降りていく。長い廊下の両脇に扉がひとつずつ。 「アタシの出番ね」 嬉々としてアレクが扉の前に立った。さすがにここは罠がない、とはサイファには言いきれない。アレクに任せて見守るばかり。 「あった、あった」 細い針金で鍵穴をいじっていた、と思ったら何を見つけたものかアレクが喜びの声を上げる。 「ちょっと下がってて」 言われるままに一行は扉の前から離れた。アレクは半身になって鍵穴を操作している。繊細な作業なのだろう。細めた目が真剣だった。普段の茶化した態度からは想像できない。それをシリルが見つめていた。 「惚れなおしたか?」 そのせいだろう、サイファがアレクのよう、茶化してしまったのは。シリルがどう答えるか興味もあった。 「えぇ、まったく」 が、サイファの期待は無残に打ち砕かれた。ここまではっきり言われてしまっては何を言い返すこともできない。呆れてシリルを見ていたらかちり、音がしてアレクが振り返った。 「なに馬鹿いってんだ。……もしかして、惚れたか?」 くっと喉を鳴らしてサイファを見てはアレクが笑う。この変身振りを見慣れたとは言え、こうも頻繁に変わられては混乱するだけだとサイファは溜息をつきたくなる。が、溜息をついたのはシリルだった。 「アレク。話をややこしくしないで」 「あーら、ごめんなさぁい」 わざとらしく女笑いをしてアレクがちらり、ウルフを見た。目をそらしているウルフはなにを考えているのだろう。サイファはそのことのほうが気になっていた。 「で、罠外したけど。開けていいかしら?」 「ここに立ってても仕方ないしね。入ろう」 「じゃ開けるわよ」 兄弟はさっさと話を決めて扉を開ける。自分たちで面倒を起こし、それを放り出して次に進んでしまうのはいつものこと。苦笑してサイファは続こうとした。 「どうした」 ウルフがついてこないのをいぶかしんでサイファが振り返る。 「別に」 それだけ言ってウルフが困ったような笑みを浮かべて後ろに続く。 「本当か」 「うん」 あまりにもあっさり答えたせいだろう。どうにも信じがたい。それが顔に出たのだろう、ウルフはかすかに唇をほころばせサイファの肩口に一瞬だけ額を埋めた。 「どうした」 「ちょっと、疲れたかも。気にしないで」 明らかな嘘だった。剣が伝えてくるものと一致しない。が、ここまであからさまでは追及もしかねた。サイファは無言でうなずき、ウルフの目を覗き込む。 「サイファ」 「なんだ」 「……照れるでしょ」 ふっとそらした視線。さては兄弟にあてられたか、とサイファは苦笑する。 「馬鹿」 言ってサイファはウルフを置いて室内へと入った。あとからはどこか曖昧な笑みを浮かべたウルフが黙って従うのだった。 「はずれね」 中ではがっかりと肩を落としたアレクがこちらを見ている。サイファは室内を見回す。確かに棚はあった。しかしその棚には何も乗ってはいない。これが普通の廃墟ならば埃でも積もっていることだろうが、ここにはそれさえもない。 「あっち、行ってみましょ」 「そうだな」 「元々期待はしてないから」 薄く笑ってアレクが言う。そのことにサイファは感謝の笑み浮かべる。何もなかったら、とそのことが気にかかっていたのだ。 「サイファ」 それを見たのだろう。またウルフが側に来た。何か言いたいことがあるらしいのだが、口を開けないでいる。どうした、問いかけてやめた。黙って、手を出す。シリルがそこにいるのは知っていたが、気にはならない。 「サイファ」 ふっと笑った。手をとって握る。シリルがアレクを追った。サイファも息をつく。気にならないと言いつつも意識していたらしい。 「俺、馬鹿だからさ」 「自分で言うな」 「うん……」 指が絡む。温かい。指だけでなく、手だけでもなく。 「それで?」 「……馬鹿なこと、聞いていい?」 「そういう言い方は好きではない」 「ん。どういうこと?」 「馬鹿だと思っているならば聞くな。聞きたいならば素直に聞けばいい」 「そっか……。じゃ、聞く」 「あぁ」 何を聞きたいのだろうか。どこか、不安でたまらない。ウルフの指が冷たかった。緊張、だろうか。強く握られる。汗が、滲んでいた。 「アレクと、俺とさ……」 「馬鹿か」 思わず言ってしまった。呆れて物も言えない。けれどその途端に後悔する。ウルフが唇を噛んでうつむいてしまったからだった。 「だから言ったじゃん」 震える少し前の、声。こらえているのは何か。力を入れられすぎた手が痛かった。けれど、離せとは言えない。 「比べるな」 「え?」 「アレクはアレク。お前はお前だ」 「俺、ガキだもん」 「わからない奴だな……」 大きく長く、嘆息して見せる。あてつけのよう。胸をかき乱されるのは好きではない。ウルフがさらにきつく、唇を噛んだ。 「そのままでいい、と言っている」 はっとウルフが顔を上げた。そこに浮かぶ表情は、何だろうか。サイファにはわからない。また手が、温かくなった。確かなのは、それだけ。 「馬鹿で、ガキだよ」 「知ってる」 「未熟だし」 「よくわかっている」 「でもいいの?」 「いつまでも子供のままではない、と言ったのはお前だ」 「……そのときにはサイファ、いないって言ったじゃん」 「追いかける、と言ったのは誰だ?」 私は何を言っているのだ、サイファは混乱する。まるで兄弟のようではないか。そんな意思はない。まったくない。自分自身の意思とは別の何かがこの口を借りて言っているようだ、そんな理不尽なことを思う。 「うん……」 また、唇を噛んだ。追いかけられる自信など、ないのだろう。当然だった。半エルフが本気で姿を隠そうと思ったならば、人間ごときが探し出せるはずなどないのだから。 「切れるぞ」 知らず、手を伸ばしてしまった。思わず、言ってしまった。ウルフの唇に気づけば触れていた。 「サイファ」 手に手が重なる。見上げてくる目。何を言いたいのか、わからない。わかりたくないのかもしれない、ふと思った。 「離せ」 静かに言っただけだった。なのにウルフは弾かれるよう、手を離した。いぶかしい思いで見ればあらぬ方を見た頬が赤い。照れたらしい、と気づいたサイファのほうが今度はとてつもない羞恥に襲われていた。 |