少しはしゃぎすぎた、と一行の足が速まる。別段に急ぐ旅ではないが、取り立ててのんびり進む必要もない。
 そうは言っても兄弟はいつもどおり軽口を叩きながら歩いている。それを後ろからサイファは苦笑いしながら見ていた。
 まだウルフは釈然としない顔をしていた。アレクに絡まれたのが不愉快だ、と思っていることは確かなのだが、どうして絡まれるのかが理解できない、そんな顔だった。
 必死で考えているのだろう、足が遅れがちだ。サイファはウルフの足が遅くなるたび、彼の腕を引いて促す羽目になっている。おかげでサイファもあまり機嫌がいいとは言えなかった。
「サイファ」
 何度目かに腕を引いたとき、ウルフが見上げてくる。勢いよく跳ね上げた赤毛が額の上で揺れていた。
「なんだ」
「さっきの……」
 言いかけた口を掌で塞いだ。兄弟に鋭く声をかけ立ち止まる。
「どうしました」
 シリルが小声で尋ねる。緊張を感じ取ったのだろう、シリルの声も真剣だ。
「なにかが来る」
「魔物、でしょうか」
「いや……」
 サイファは答え、耳を澄ませる。そしてゆっくりとフードをかぶった。
「たぶん、人間だ」
「人間? こんな所で……」
「野盗の類ってことはないかしら」
「どうかな」
「そう思って準備しとこうよ、シリル」
「では、君はサイファの横に」
 簡単な言葉のやり取りで戦士たちは迎撃の準備を整えた。サイファは一歩下がり、踏み分け道から外れた木の側に立つ。ウルフがサイファを守るよう陣取り、兄弟が静かに剣を抜く。
 風が木々の葉を鳴らす音だけがしていたこの場所に、耳障りな鞘鳴りが響いた。
「きた」
 シリルが注意を促す。いままで半エルフの耳にしか聞こえていなかったもの、数人の足音が、はっきりと聞こえ始めていた。
「五人、かな」
「そうね」
「敵?」
「そう思っておくのね、坊や」
 ちらり、振り返ってはアレクが言う。かすかに浮かぶ口許の笑み。戦いを前にしてアレクの頬に淡く血の色が差している。
「綺麗だよね、アレク」
 どこか茶化すような口調でウルフが傍らから声をかけてくる。ただの事実で、実際サイファもアレクを美しいと認めている。だが、どこか不愉快でならなかった。
「でもさ」
「黙れ」
「ちょっとだけ」
「うるさい」
「俺はサイファのほうがずっと綺麗だと思うよ。大好きだからね」
 黙れと言っているのがわからないのか、言いかけて諦めた。怒鳴ろうとして見たウルフの顔が笑っていたせいだった。
「サイファ」
「いい加減に黙れ」
「焼きもち、妬いた?」
 笑いの気配。敵が来る前に屑肉に変えてやろうか、と思った。さすがに思いとどまり音がしないよう、軽く頬を張り倒すにとどめた。
「馬鹿かお前は」
 溜息をつき、サイファは小声で罵る。
「まぁね」
 返ってきた声はまったく反省の色もない。それどころか、まるで慰めでもするよう、そっと腕を叩かれた。
 はっとした。いまさらながら自分が神経質になっていた、と気づいたからだった。久しぶり、と言うほどでもないはずなのだが、いまここで見知らぬ人間に出会おうとしている。
 人間。半エルフに強く憧れ、ゆえに憎む生き物。野盗の類でないとしてもサイファは人間に会うだけで危険、と思わざるを得ないのだ。
 ウルフはその緊張をほぐそうとしてくれていた。冗談を言い、サイファを怒らせ、いつものとおりに、と。うっかりそれに乗せられてしまったわけだ、とサイファは内心に自嘲する。
「きたよ。シリル、いい耳してるね」
 ウルフが囁く。シリルが聞き取ったとおり、人間は五人いた。驚いたよう、立ち止まる。当然の反応だろう。こんなシャルマークの奥地で人間同士が出会うなど、考えにくいのだから。
 五人の人間はみな手練のようだった。鎖鎧に板金を取り付けて防御力を増強した鎧をまとい、腰には剣を差している。警戒をしていなかったのだろう、剣はまだ鞘の中だった。
「何者だ」
 いささか間の抜けた問いだった。それは向こうも言った途端に悟ったのだろう、剣の柄に手をかけてこちらをうかがっている。
「冒険者ですよ」
 シリルは言い、けれど構えた剣は外さない。
「英雄予備軍って言いたい所なんだけどね」
 アレクがわざとらしく混ぜ返した。
 けれど五人は目に見えて緊張を解いた。反ってそれで拍子抜けするほどに。サイファはフードをかぶったことを喜ぶ。どうやら腕は立っても普通の人間のようだった。
「ならば情報交換、と行かないか?」
 向こうの一人が言って剣の柄から手を離す。その手を顔の側まで上げ、掌をこちらに向けた。害意はない、と言う証だった。
「そっちも冒険者ってことかしら?」
「まぁ……そのようなものだな」
「そのようなってどういうことよ?」
「我々はラクルーサの騎士だ」
 はっとシリルが体を硬くした。それをアレクが小突いている。
「騎士?」
「そうだ。もっとも、下級の若い騎士ばかりだがな。おかげで王子方の顔もわからん」
 言って男は笑う。確かに支配階級によく見られるある種の傲岸さが見て取れる。ウルフは黙って彼らを見ている。サイファは兄弟の反応こそが気にかかった。
「ふうん、騎士様がねぇ。どうしてこんな所に?」
「尋ね人、と言うところだな」
「あぁ、あれね」
「なにか知っているのか!」
「知っているもなにも三王子行方不明の件は有名じゃない。いま自分で言ったでしょ、王子様の顔もわからないって」
 呆れ顔でアレクが言う。ラクルーサ王国の騎士が尋ね人、と言うならばむろん王子を探しているに違いないのだ。
「それほど有名か……」
 落胆を隠せないよう騎士は肩を落とす。できることならば王国のためにも隠しておきたい事実なのだろう。
「アタシたち冒険者の間だけでかもしれないけどね」
「そうか……。それでお前たちは王子をどこかでお見かけしなかったか。消息だけでもいい」
「そう言われてもねぇ。三王子の噂さえ聞いてないわ」
 首をかしげるアレクに騎士は渋面を作る。
「三王子、と言わないでもらおう。我々がお探ししているのはラクルーサの二人の王子方だ」
「あら、ごめんなさい」
「それで、どうなのだ。全然聞かないのか」
「ずいぶん前に一度聞いたわ」
「それで!」
「噂だけだった」
 がっくりと、その場に騎士は膝をつきかねなかった。こんな所まで探してきているのだ、よほど苦労したに違いない。騎士の目に苦悩の色が走る。あるいはもう、と。
「そっちの男。どうだ、お前は知らないか」
 ふ、と騎士は後ろにいるウルフに気づいて声をかけてくる。何か小さな手がかりでもいい、わずかな何かでもいい、とその目は言っていた。
 ウルフは黙って首を振る。騎士の目がサイファに向かった。
「フードの者。お前は」
 サイファもウルフに倣い首を振る。ウルフが口を聞かなかったのは、おそらくサイファが黙っていても不自然ではないよう見せるためだった。
「せめて顔を見せろ。無礼だろう」
 騎士は落胆が怒りに変わりかけたのか声を荒らげる。ウルフが無言のままサイファの前に立つ。
「騎士殿」
 冷静なシリルの声が二人の間に割り込んだ。
「なにごとか」
「仲間は半エルフです。あなたのために、フードをかぶっています。おわかりですね?」
 シリルはゆっくりと正確に発音した。それは騎士の怒りに水をかけるに充分だったようだ。はっとして騎士は踏み出しかけた足を引く。
「半エルフ……」
 呟きは大きくはなかった。けれどサイファの耳に確実に届いた。そしてウルフにも。
「侮辱するつもりなら、相手になるよ」
 一歩踏み出す。はじめて言葉を発したウルフの声には静けさがある。その中に含まれた怒りが感じられないほど、騎士は愚かではなかった。
「すまない。謝罪する」
 潔く頭を下げる。ほっと兄弟が息をつくのが聞こえた。ウルフはまだ不愉快な顔をしてはいるものの、とりあえずは、と剣を収める。
「じゃあ、そっちの情報を聞かせてもらいましょうか」
 わずかに振り返ったアレクはサイファがうなずくのを確認してからそう言う。サイファはウルフの腕に手をかけ、無言のまま引き戻している。
「サイファ」
 小声でウルフが不満を表す。まだ剣の柄を握っている手に手を添えてサイファはうなずいてみせる。感謝だ、とわかっただろうか。ウルフが口許をほころばせた。




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