手始めに、とサイファは昨夜の香り草の場所を確認する。生命力の旺盛な香り草は昨日ちぎった場所からもう小さな芽を出している。思わず微笑んでしまうような光景だった。
「すごいね」
 ウルフがサイファの手元を覗き込んでは言う。彼もまた、香り草の持つ強さを見たのだろう。
「向こうに行ってみるか」
「ん」
 返事とも言えないような返事。それがいまは心地いい。サイファは歩き出しながら足元を確かめている。
 それを見つけたのは、野営場所からさほど離れていない空き地だった。
 二手に分かれる、と決めたときに約束をしてある。決して野営地から遠く離れたりはしない、仲間が駆けつけられない所には行かない、と。
 そうでも約束しなければ間違いなく危険だった。この荒地の外れはあまり危険と遭遇しそうには思えない。だがこことてシャルマークの内。なにが危険かはわからないのだ。
「サイファ?」
「いいものがあった。シリルが喜ぶ」
「へぇ、なに?」
「薬草」
 ただそれだけを答える。細かく説明しても理解できないと知ってのこと。ウルフも説明は求めなかった。
「俺、まわり見てるよ」
「離れるな」
「わかってるって」
「どうだかな」
「信用、ないね」
「あると思っていたのか」
 冷たく言えば華やかな笑い声。これでは本当に溜息をつきたくなる、と言うもの。
 とは言え、ウルフもサイファの視界から外れる場所には行かなかった。彼は彼なりにサイファを守ろう、と思っていることはわかる。呪文を唱える時間を稼ぎ出すのが戦士の務めだからだ。
 もっとも、本当はどちらがどちらを守っているのかは明白。さすがにサイファもそれを口にすることはない。説教として言うことはあっても、それを軽口にしてしまってはウルフの立場がない。その程度には、馴染んでいた。
「戻るぞ」
 手にしているのは各種の薬草。切り傷に効く物、火傷に良い物、打撲に効果のあるもの、と様々だ。多少の怪我ならばこれで充分だった。いつもいつもシリルが魔法で治していては効率が悪すぎる。そろそろ持参の傷薬が底をつき始めていたからここを見つけられたのは幸運だった。
「ちょっと待って」
 言いながら駆け戻ってくる。あまりにも子供じみていてサイファは溜息をついた。
「ごめん」
「なにをしていた」
「内緒」
 言って唇の端で笑った。どうせ良からぬことを企んでいるに違いない、と思ってサイファは気にしないことにした。
 旅をはじめたころはもう少し純だった気もするのだが、仲間にアレクと言う悪い例があればウルフも感化されてしまうのだろう。
 思ってサイファはウルフに見えないよう、笑う。決してアレクを嫌ってはいない。が、ウルフとの対照として考えたとき、彼は悪い、と思ってしまう自分がおかしい。
「サイファ?」
 むせこんだサイファをウルフが心配そうに見ている。なんでもない、と首を振った。
 なんでもないわけがない。自分が自分で理解できなくなりそうだった。まるでこれではウルフのことを格別に思っているようではないか。
 間違いなく格別ではある。今まで知り合ったどんな人間よりも精神が幼くて行動に緻密さが欠ける。放っておいたら絶対に死ぬ、と言い切れる人間なのだ。
 だから、そういう意味でならば格別、だった。それ以外に意味はない。サイファは自分に言い聞かせていた。
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だ」
「風邪ひいたとか」
「人間ではない」
「……半エルフって風邪ひかないの?」
 不思議そうにウルフが尋ねる。サイファにとって人間が興味深いものであるならば、半エルフはウルフにとって面白い生き物なのだろう。
 もっともそれはウルフが半エルフを恐れないどこか緩んだ人間だから、とも言える。そこまで思ってサイファは兄弟も同じか、と内心で笑った。
「ひかないわけではないが、人間ほど簡単には病気にならないからな」
「ふうん。いいね」
「そうか?」
「病気でさ、寝てるのってつまんないもん」
「そういうものなのか」
 ほとんど病気になったことのないサイファに、その感覚はわからない。かかったとしても一晩か二晩寝ていればたいていは治る。半エルフが人間のように寝込む、などと言うことはまずない。
「熱がある時にさ、果物とかむいてもらって口に入れてもらうのは好きだったけどね」
「ほう?」
「……子供のときだよ」
 言ってウルフはわずかに顔を曇らせる。総じて彼の過去と言うのは明るいものとは言えないようだ。
「今でも子供だ」
 だからサイファは軽い口調でからかった。かっとして言い返そうとするウルフはそのサイファの目に出会う。黙って見つめ、そして目をそらす。
 サイファも何も言わなかった。ゆっくりと、先程歩いてきたときに見つけていた草を採集しながら進む。
「サイファ」
「なんだ」
 かがんで見つけた草を採る。眠る前、茶にしてやったらアレクが喜ぶだろう。
「大好きだよ」
 草をちぎった手が止まる。しかしサイファは殴りも蹴りもしなかった。まして言葉も。
 それほど今のウルフの言葉は重い。言葉自体の意味は今までと変わらない。本人はまるで理解していない。
 だが、今の言葉には力があった。何度となく言っているのと同じであって確実に違う。視線を背中に感じた。
 不意に言葉の意味を問いただしたい衝動に駆られた。唇を噛んでやり過ごす。ウルフは黙って立っている。抱きついてもこなければそれ以上なにを言うでもない。不安だった。
「行くぞ」
「いいの」
「もういい」
 サイファはウルフを見ない。ウルフもまた同じ。違うのはためらいがち、手の中にウルフのそれが滑り込んできたこと。
「離せ」
 言うだけ言った。サイファは苦く思う。自分の言葉には意味がない。本心から離して欲しいとは、思っていなかった。
「ちょっとだけ」
 ウルフが手を握ってくる。乾いた、戦士の手だった。
「お前のそれは……」
「信用できない、でしょ。だからいいじゃん」
「どうしてそうなるんだ!」
「結局サイファは許してくれるじゃん」
「嘘をつけ」
「ほんと。いつだってサイファは」
 それ以上、言わせなかった。きつく睨みつければウルフが笑い出す。サイファとて身に覚えがないわけではない。かといってわざわざそれを口に出されるのは不快だ。そっぽを向いたサイファの髪をウルフが反対の手で撫でていた。
「兄弟、まだかな」
 ウルフが辺りを見回す。まだ帰ってきた様子はなかった。二人は元の野営地に戻っている。それまでにウルフが一つ二つ蹴りを食らったことは言うまでもない。
「まだのようだな」
 サイファは薬草をひとまとめにし、香り草を集めにかかる。今度はウルフにも手伝わせた。おかげで集まるのが早い。
「これくらいでいいんじゃない?」
「そうだな」
 サイファはうなずく。必要以上に採集しても駄目にしてしまっては無駄と言うもの。これもまた種類別にまとめて置いた。
「サイファ」
 嬉々とした声。警戒したが遅かった。香り草の密集して生えた、深い草地にサイファは倒れ込む。いったいどうやって倒されたものか。未熟な戦士もだいぶ成長したらしい。
「なにをしている」
 問いただす声には棘がある。首尾よく押し倒したウルフはそのサイファの上にいるのだ。言外にさっさと降りろ、と含みを持たせたのだが、通じた様子はまるでない。
「降りろ」
「やだ」
「私も嫌なのだが」
「いいじゃん、ちょっとだけ」
「私がどう思うか、言うまでもないはずだが」
「サイファ」
 冷たい声に返ってきたのはとろりとした声。盛大に溜息をついて見せても効果はなかった。
「聞いているか?」
「全然」
 言ってウルフはサイファの上に伏せた。
「重い!」
「ごめん」
 謝ったかと思えば、顔の両脇に手をついて自分の体を支えるだけ。降りようとは微塵も思っていないようだ。
「サイファ」
「なんだ」
「目、閉じて」
「そんなことができるか!」
 言った途端、ウルフが顔を真っ赤に染めた。体の上でおろおろとするウルフと言うのは中々の見物だったが、何度も見たいと思うようなものでもない。それよりもさっさと降りて欲しかった。
「サイファ! そんなってなに想像したんだよ!」
「……お前が想像したようなことだ」
「ずるいな、サイファってば」
 言ってひとしきり笑う。笑いすぎて苦しいのだろう、体の上に倒れてきた。頬に赤毛が揺れながら当たる。くすぐったいような、心地いいような感触だった。
「いいから、さっさと降りないか」
「もうちょっと。目は開けてていいからさ。恥ずかしいのサイファだよ?」
 その言葉には乗らないとばかりにサイファはしっかりと目を開けたままウルフを睨み返す。ウルフはひとつ小さく吹き出して、指につまんだものを差し出す。
「なんだ?」
 黄色い果実。いつのまに見つけたのだろう、ウルフはそれをつまんでいた。
「口、開けて」
 言うがサイファに従う気はない。そんな恥ずかしいことができるか、この体勢で、そう言い返しかけたときウルフは悟ったのだろう笑みを浮かべたままサイファの唇の間、果実を押し込んだ。
「な……」
 言葉を発した瞬間に果実を噛んでしまった。口中に甘い香りと味が広がる。驚くほど美味だった。
「ひとつだけ熟してたからさ。サイファにあげたかったの」
 ウルフはサイファの唇の端についた果汁を指で拭い、微笑んだ。その指をそのまま自分の唇に運んだりしなかったならば、手加減くらいはしたものを。
 後になって唇の端を青く腫らしたウルフの手当てをしながらサイファは思うのだった。




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