むっつりと不機嫌なまま、サイファは横目でウルフを確認する。鎧はきちんとつけ終わっていた。手を振りかけ、一度止める。
「開けるが、いいか」
 壁の向こう、まずは声だけ通す。こちらが手間取った分、兄弟がなにをしているかがわからない。あられもない所に出くわすのは避けたい。
「えぇ、かまいません」
 シリルの声が返ってくる。どうやら兄弟はうまくいったようだった。そのことにサイファは少し笑みを漏らした。
 上げていた手を振り下ろせば壁はなかったように消え去った。兄弟が、寄り添って座っている。そのアレクの顔を見れば、どれほど満ち足りた時間だったかわかるというもの。
「おはよう」
 言葉とは裏腹にアレクはにんまりと笑って見せる。遅かったじゃない、と言っているようだった。
 サイファがそれに言い返すより先にシリルが立ち上がり、寄ってくる。
「昨日はすみません。面倒をかけてしまって」
「たいしたことではない」
「おかげさまで……」
 言って少し頬を赤らめた。サイファもまたわずかに視線を下に向ける。あまり面と向かって言いたいことでもなかろうし、聞きたいことでもない。
「まぁ、なにより、と言っておこう」
「はい」
 ほっとシリルが息をつく。サイファの性格から考えてありえないことではあるが、色々と聞かれるのはいやなのだろう。
「ねぇ、坊や?」
「なに」
「そのほっぺ。どうしたのー?」
 言いながら立ち上がったアレクが、嫌がるシリルにかまいもせず、その腕に絡みつきながらウルフをからかう。
「……別に」
「ってことないでしょ? 手形、ついてるわよ」
「いいでしょ、放っておいてよ」
「だって、心配じゃない?」
「アレク」
「なぁに?」
「顔が笑ってるよ」
「あら、ばれた?」
 くっと喉を鳴らした、と思ったら飛びのいた。ウルフがアレクを殴りつけるのと同時だった。当然、掠りもしない。追いかけあいを始めた二人をサイファとシリルは溜息をついて見ている。
「変わらないようだな?」
「変わって欲しくはないですが、多少は大人になって欲しいと思っています」
「どちらがだ?」
「聞くまでもないでしょう」
 もっともだった。ウルフに大人になれ、と言うのはそれこそ言っても無駄、の見本のようなものである。
 二人、顔を見合わせて苦笑いをしてしまう。その間も走り回る彼らは騒々しい。
「ほら、二人とも!」
 シリルがいい加減、制止にはいる。ウルフがどれほど手を伸ばしても捕まえられないアレクをさっさと捕獲し、ウルフは軽く蹴りつけて止められた。
「シリル」
「なに?」
「俺とアレクでずいぶん差がない?」
「愛情の差だと思って」
 言ってシリルが朗らかに笑った。その腕の中、アレクが満足そうな顔をしている。これを見てはウルフもさらに苦情を申し立てる気がなくなったのだろう、サイファの横に戻ってくる。
「ほら、朝食にしようよ」
 シリルがサイファを見上げている。サイファは無言でまだ鍋がかかったままの石組みを魔法で温めた。すぐに昨夜の残りのスープは温まる。それが朝食だった。
「ねぇ、サイファ」
 満腹したのだろうアレクが呼ぶ。ほどけていた髪は先程シリルが編みなおしたせいでもう綺麗に整っている。その編み下がりを指で弄んでいた。
「ちょっと」
 手招きに従って隣へと移動する。アレクに話しかけられたとき、ウルフは大概ついてこない。今朝もやはりそうだった。
「ねぇ、そっちはどうなのよ」
 小声でアレクが言う。
「どうとは、どういう意味だ」
「そのまんまよ」
「何事もなかった。当然だが」
「どうしてよ」
 起こせばいいのに、と言っているような気がしてならない。なぜ自分がそんなことをしなくてはならないのか。不満が顔に表れたのだろう、アレクが小さく笑った。
「坊主が手形なんかつけてるからな。なんかあったんだろう、と思ったわけだ」
「冗談が過ぎただけ、と解釈している」
「どうかな?」
「とは?」
「坊主はそう思ってるかな、とね」
 不思議なことを言う、と思う。ウルフはウルフで変わっていない。相変わらず自分がなにを考えているかなど、まるで理解していない。
 昨夜だとて真実何もなかった。むしろあった、と言うならば今朝なのだが、それは自分自身の過ちなのでアレクに言うつもりなどさらさらない。
「その顔はなんかあったな。言えよ」
 忍び笑いの声に心づく。自分の髪を弄んでいたアレクの指が、サイファの髪にかかっている。
「なにもない、と言っている」
 男の物にしては綺麗な指がくるり、髪を巻きつけてはほどく。
「髪。結んだの、坊主だな?」
「だからなんだ」
「別に?」
 まだ、笑っている。癇に障った。かといってウルフにするよう邪険に手を払うこともサイファはしなかった。
「髪、切らないのか?」
 話をそらせたくてサイファは言う。アレクは面白いものでも見るように見返した。
「なんで?」
「女をするために伸ばしたとシリルが言っていたと思うが」
「だから?」
「必要なくなったのではないか、と思っただけだ」
「切ってもいいけど、気に入ってるからね」
「誰が?」
 反撃したつもりだった。からかわれているだけと言うのは気に食わない。が、アレクは意に介した様子もなく唇の端で笑うのみ。
「二人とも、かな」
 言ってわずかに視線をめぐらせてシリルを捉えた。その紫の目が、今までになく和らいでいる。幸せなのだろうな、と思う。どんな気分なのかは想像するよりない。恋をしたこともなければ当然、恋人と過ごしたこともないサイファには考えてわかることでもなかった。
 わかりたい、と思っているのかどうか図りかねてサイファは内心で溜息をつく。もしもいるならば誰だ、と言うのだろう。架空の相手を想定しそうになって息を呑む。
 そんなサイファをアレクが面白いものでも見るような目で見ている。サイファの髪を取るのと反対の手で自分の耳飾りをいじった。
「それは癖か?」
 ふと、そんなことを聞いてみる気になった。話をそらしたい、と思ったのかもしれない。
「なにが」
「耳飾り」
「あぁ……」
 言ってにんまりアレクが笑う。それに話がまったくそれていないことをサイファは悟った。
「シリルがくれたんだ。昔ね」
「……なるほど」
「羨ましい?」
 ふっと微笑ってアレクが言う。なにをどうしたらそうなるのか、聞いても無駄だとわかっている。だから、問わない。
 アレクの、癖になってしまうほど繰り返していた仕種に、胸が痛くなる。今は叶ったとは言え、ずっとそんな思いを抱えて生きてきたというのは、いったいどんな気持ちなのだろうか。
 半エルフのサイファにはわからない。人間とは、記憶を薄れさせることができる生き物だと言う。半エルフの記憶はもっと長く鮮明だ。彼を失った日のことを昨日のように思い出すことができる。二度とあんな思いをしたくはない。目を閉じたサイファを、アレクは黙って見つめていた。
 目を開けば、微笑むアレク。この辺りで話を打ち切りたかった。だからまだ髪をいじっている彼の手を黙って押さえた。
「離した方がいいと思うが」
「坊主が焼きもち妬くか?」
「むしろシリルの視線が気になるのだが」
「シリルは気にしてないな」
 あっさり言われてしまった。確かにシリルは向こうで苦笑するのみ。それよりも背後から突き刺さる視線が痛い。それくらいならば止めに入ればいいものを、と思った自分に愕然とした。
「離せ、アレク」
 強い口調になにを感じたのだろうか。アレクは唇をほころばせ、それから一度髪を梳いて離した。
「お話は終わりましたか?」
「終わった」
「では、今日の予定を」
 これほど気にしていない、と言うのはどういうことなのだろう、とサイファは不思議だった。シリルはただ親しい友人同士が会話している以上には思っていないらしい。アレクの行動を思うと疑わしい、と思われても無理はないと思うのだが、結ばれた絆、と言うものはそれほどに強いのだろう。
 そんなことを考えて一人うなずいていたら背後から衝撃が来た。重いものが体当たりのよう、ぶつかってくる。
「離せ」
「やだ。ずるい」
 ウルフ以外、誰がいると言うのだろうか。後ろから抱きついてきた腕が胸の前でローブを掴んでいる。馬鹿みたいに握り締めた指が白い。
「離せ」
 言ってサイファはその指に触れた。軽く叩く。言葉にも、棘はなかった。アレクがどう思おうと知ったことではない。このまま抱きつかれれているよりは誤解されたほうがまだしもだった。
「……ん」
 ウルフはサイファの手を感じ、素直に離れる。後ろから覗かせた顔は少しばかり照れくさそうだった。
「いいかな、ウルフ?」
「ん、ごめん」
「じゃ、今日はもう一日ここに留まるということで。幸い獲物はいそうだし、薬草もありそうです。二手に分かれて食料を集めましょう」
 てきぱきとシリルが指示を下す。二手に、と言うところが多少引っかかるが、兄弟は隔てられていた時間を取り戻したいのだろう、と思い直しサイファはうなずく。アレクやウルフに異存があるはずもなかった。
「サイファ」
「なんだ」
「一緒に探そうね」
「私はアレクとまわろうか、と思っていたのだが」
 心にもないことを言った。兄弟を引き離すつもりなど毛頭ない。が、ウルフに嬉々として言われると抵抗したくなるのは致し方ない。
「サイファ、そう言わずに。ウルフとまわってください」
 シリルが笑いながら頭を下げる。どうも、見抜かれている気がしてならない。あからさまな溜息をついて同意すればウルフがまた、抱きついてきた。
「痛っ」
 それほど甘い顔を見せるつもりはない、と言う証明のよう叩き込まれた肘打ちにウルフが大げさな悲鳴を上げる。痛いわけがない。鎧に打ちつけたサイファの肘のほうがよほど、痛いのだから。
 それを見ては笑い声を上げる兄弟を、サイファははじめて羨ましい、そう感じていた。




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