魔法の明りに辺りが照らされる。兄弟が驚いたような、気恥ずかしげな顔をして寄り添っていた。光の中、咄嗟に離れるのがおかしいやら気の毒やらで微笑ましい。
「ちょっと、驚くじゃないのよ」
 アレクの、照れ隠しの罵声。サイファは気に留めることもなく微笑んだ。それを見てはアレクがにやり、笑う。
「なんだ?」
「べつにぃ」
「おかしな奴だ」
 不審げに彼を見る。そのアレクの視線が少しばかり下にあった。はっと、気づいた。
「ねぇ?」
 したり、とばかりアレクが笑う。
「どうしたの?」
 何も気づかないウルフが問うてくる。なんでもない、と首を振っては手を離した。
「サイファ」
 ここぞとばかり、なにかを言うつもりなのだろう声だった。
「アタシ、あったかいものが食べたいなぁ」
「アレク、そういうことを言うものじゃないよ」
「だってシリルだって食べたいでしょ?」
「まぁ、否定はしないけど」
 止めているのか一緒になってからかっているのだか、わかったものではない。
 サイファは黙って立ち上がり、結界の外を見る。ちょうど具合のいいものがそこにあった。
「サイファ、気にしないでください」
「ものすごく気にしてね、サイファ」
「アレク!」
 兄弟のじゃれる声。サイファはこのくらいのことでアレクにからかわれずに済むならば易いこと、と思っている。
「ちょっと待っていろ」
 言うだけ言って、結界に手をかけた。
「サイファ。どうするの。一緒に行こうか」
「いい」
 不満そうにウルフが鼻を鳴らす。いまだ、ぐったりと岩にもたれていると言うのに、片手は剣にかけている。頼むと言えば、ついてくるだろう。
 だからサイファはほんの少しだけ、口元を緩めて見せた。ぱっと喜色が浮かぶのを目にして後悔する。後は何も言わずに結界を通り抜ける。
 背後でシリルの驚く声が聞こえた。サイファは気にもせず、外に出ては目指す物を摘み取る。幸い、荒地のはずれだけあって香り草がある。豊かな土地よりこのような荒れた土のほうがよく育つものらしい。
 何種類かの草を摘み取り、また結界を抜けて中に戻る。シリルが声をかけたくてうずうずしているのを見て取り、目顔で促した。
「あなたは、出入りができるのですね」
「自分で作った結界に出入りできなくてどうする」
「そうは言っても普通、人間の術者には出来ませんよ」
「そうなのか?」
 驚いた。そんな不便なことがあっていいものなのか。シリルが術者、と言うのだから神聖魔法・真言葉魔法を問わずできない、と言うことなのだろう。
 サイファは不思議に思う。師にできたことがなぜ、できないのか、と。師は人間だったのに。
「えぇ、そうなのですよ」
 かすかな苦笑。今の世の人間とはかくも弱いものだと、こんなときにはしみじみ思う。魔術の精髄を身につける間もなく果敢なくなっていく生命。燃え盛る炎のようだ。あっという間に燃え上がり、消えていく。不意に切なくなった。
「サイファ、おなか空いたよ」
 ウルフが憐れな声を出した。無言で側に寄り、サイファはその腹を軽く、ほんの軽く蹴りつける。情けない悲鳴が上がり、サイファは微笑う。
「ほんとサイファってば可愛いことしてくれるよ」
 痛みもしない腹を撫でさするウルフの苦情。差し出口への感謝だと、知れていることだろう。どことなく不満で、なぜとなくありがたい。
「坊やって、わからない子ね」
 アレクが感に堪えない風情で呟いた。
「なにが?」
「アタシ、サイファのどこが可愛いのかさっぱりわかんないわ」
「どこって……可愛いじゃん」
 サイファは何も聞こえないふりをしている。黙って糧食の点検をし、中から干し肉と乾燥豆を取り出した。いい加減、飽きのきている食べ物だが、ないよりはずっといい。
 水袋の水が入っているのを確かめ鍋に豆をあけた。水を注ぐ。面倒だ、とばかり干し肉も一緒に入れてしまった。
「だから、どこが?」
「んー。照れて暴力振るう辺り?」
「……アンタって、実は大物かも知れないわね」
 二人はまだやっている。シリルがこらえられなくなって吹き出した。
「サイファ、いいのですか?」
 笑いの残る声でシリルが言う。
「私は何も聞こえない」
「……賢明かもしれませんね、それは」
「そう思う」
 露骨な溜息をつき、サイファは手ごろな石を組み上げた。
「薪はどうしましょう。取ってきましょうか」
「いい。面倒だ」
「では……?」
 不思議そうなシリルにふ、と笑みを向ける。口の中、魔法を編み上げ石に移す。見れば石は灼熱していた。
「すごい!」
「なにが?」
「ほらウルフ、見てごらんよ、石が燃えてる」
「うわ、ほんとだ」
「触るなよ」
 今にも手を伸ばしそうに見えた若造をサイファは止める。こんなものに触ったら本当に手が黒焦げになる。
 サイファは石組みの上に鍋を置き、熱の加減を調整する。あっという間に沸騰してしまっては豆が煮えない。
「アンタって便利ねぇ」
「たまには感謝されてもいいと思う」
「その性格がなければねぇ」
「お前にだけは言われたくない」
 言った途端、兄弟そろって吹き出した。いささか面白くないサイファに代ってウルフが苦情を申し立てている。それもまた、面白くない。
「いつまで笑っている」
「だって、おかしいんですもの」
「かなり、不愉快だが」
 むっとして言ったサイファに意味ありげな視線を向け、それをそのままウルフに向けた。
「坊やが言ってること、ちょっとわかる気がするわ」
「ね、可愛いでしょ? でも……」
「なによ」
「アレクにわかって欲しくないなぁ」
「あら、どういう意味?」
「べつにー」
 ふん、とそっぽを向いたウルフ。してやったりと笑うアレク。シリルが笑いをこらえ、サイファは頭を抱えたくなる。
 ウルフがなにかを理解して言っているのでないことはサイファにはわかっている。だが、アレクはそうは取らなかっただろう。
 だから、頭が痛いのだ。放っておいてくれればいいものを。そう言って聞く男ではないから始末に悪い。
 沸騰した鍋にサイファは香り草を束ねた物を放り込み、火の加減を弱くする。しばらくすると良い香りがしてきた。
「シリル」
「あ。はい、どうぞ」
 要求するより早く匙が出てくる。一緒になって笑い転げていたはずなのだが、さすがシリルは気が利いた。
 軽く頭を下げればシリルが目許に笑みを浮かべている。いつもどおり、兄がすみません、と言っているようだった。
 サイファは肩をすくめて気にしていない旨を伝え、匙でスープをすくう。少し塩が薄い。今まではこの干し肉だけで塩気を取っていたことを考えれば、今日の疲れ具合がわかると言うもの。
「シリル」
 呼んで、味見をさせた。
「薄いよう、思うが」
「えぇ、僕もそう思います」
「あ、ずるい! サイファ、俺も」
 アレクとじゃれていたはすが、サイファの行動を見咎めて飛んでくる。あの疲労振りはどこへいったのか。が、歩いてきた体がかすかに揺れた。
「なにをしている」
 座った体に咄嗟に手を添えてしまった。兄弟の忍び笑う声を黙殺することに決め、サイファはウルフの頭を拳で叩く。
「だって」
 言い訳半分、嬉しそうに笑った。サイファが少し気にかけるだけでこんなに嬉しそうな顔をする。罪悪感が募ってならない。本人が自覚していようといまいと、恋心に応える気など、ないのだから。
「だって、ではない。おとなしくしていろ」
「ん」
 珍しく素直にうなずいたかと思えば期待感あふれる目で見つめられる。なにか、と眉を顰めた。
「俺も味見」
 サイファの手の匙をじっと見ていた。呆れて声もない。黙ってスープをすくった匙を渡そうとした手に彼のそれが添えられる。
「なにをする」
「だから、味見」
 言ってウルフはサイファの手の匙からスープをすすった。妙に気恥ずかしい。なぜこんな、まるで兄弟のような和やかな行為をしているのか。自分とウルフが。仲のいい――。
 そこまで思ってはっとした。仲のいいなんだというのか。ウルフとどうなりたいわけでもない、と今のいま思ったところなのに。
「やっぱ、ちょっと薄いや」
 照れて笑った顔がそこにある。匙を持っていてよかった、心底思った。
「サイファ、どうしたの?」
 不思議そうに下から覗き込む目。まだ、手が触れ合っている。サイファも笑う。ウルフとは似ても似つかない表情だったが。
「匙を持っていてよかった、と思っていた」
「なんで?」
「持ったままでは殴れないからな……あぁ殴ればよかったのか。怪我が大きくなろうと知ったことではないしな」
 一人深くうなずき、サイファは改めて匙を持った手を見る。ウルフが笑っていた。この期に及んで手を離そうとしないのはたいした度胸だ。
「サイファって……」
「魔法を叩き込むほうが早いか」
「サイファ、鍋がいい具合になっていますよ」
「……わかった」
 シリルの介入に苦々しげな声を出せば兄弟がそろって口許を緩めるのが目に入ってしまう。それ以上、言い募ろうとせずウルフは離れ、アレクの耳許になにかを言った。どうせまた聞こえないふりをせざるを得ないことを言っているに違いない。サイファは何も見なかったことにした。




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