疲労の激しい戦士たちの体調を慮って、ゆっくりと進む。洞窟の崩落はある程度の所で止まったらしい。サイファは振り返る。思わず目を覆いたくなった。山がひとつ、完全に崩れて姿を変えている。我ながら復讐に逸りすぎた、と思う。おかげで制御を誤ってこの有様だ。師が生きてこれを見たならばなんと言うかと思えば天を仰ぎたくもなると言うもの。
 仰いだ拍子に景色が目に入った。ようやく、気持ちが落ち着いてきたのだろう。辺りは赤かった。どこまでも高く赤い壁の間の道。圧迫感に息苦しさを覚えるほどの狭いそこは遥か昔、激しい流れに洗われてできた渓谷なのだろう。今なお水がえぐった筋が岩に捺されている。
「なんだかすごいね」
 指を絡め合わせたままのウルフが言っては笑みを向けてくる。妙に気恥ずかしい。前の兄弟だとて、同じように支えあっているではないか、と首を振る。
 あれだけアレクの手を拒んでいたシリルも、結局のところ彼の手を借りている。無理もない。戦士たちは道の半ばを人ひとり抱えて走ったのだ。
「これってさ、何でこんな風になっちゃったんだろうね」
 不思議そうに見上げている。この分ではもうずいぶん疲れは取れているのではないだろうか、と思わないでもないのだが、さすがに自分のせいで疲れている相手に向かって邪険にもしかねた。
「あの洞窟は地下水脈があったのかもしれない」
「……ってなに?」
「地下の川だ」
「それくらいはわかってるってば」
 本当か、と思ったがサイファは言わなかった。黙って横目で見るだけ。案の定ウルフは虚ろに笑っていた。
「地下水脈が、そこの口から流れ出てこの渓谷を削っていったのだろう」
「ふうん、それってどれくらいかな」
「さて。半エルフにとっても遥か昔のことだろうな」
「そっか……」
 他愛ない雑談。それがウルフの、少なくとも気分的な疲労を軽くしているのだろう。剣から伝わってきていた澱のような感情が薄くなっていく。そのことにほっと息をついた。
「洞窟ってねぇ。サイファ?」
 振り返ったアレクの目が、なぜ知らねど険悪だった。思わず足が止まりかけてウルフの手を反って握ってしまう羽目になる。
「……なんだ」
「今は洞窟、ないように見えるんだけどアタシの気のせいかしら?」
「私にもないように見える」
「アンタがぶっ潰したからね」
 ごく低い声。そのくせ女のままアレクは言った。サイファは知らず目をそらしている。
「ちょっと、こっち向きなさいよ」
 シリルの手を自分から握ったくせに振りほどき、アレクは完全に立ち止まって両手を腰に当てていた。サイファは渋々アレクの前で止まる。
「アンタね、もうちょっとなんとかしようがなかったわけ?」
「最善を尽くしたつもりだが」
「でもちょっと爆発が大きすぎたって?」
「そういうことになる」
「一歩間違えはアタシたちも坊やも死んでたって、わかってるんでしょうね」
 アレクが詰め寄った。伸ばした手がサイファのローブの襟元を掴む。紫の目が、燃えていた。
 さすがに、悪いとは思っている。我がことながらどうしてあそこまで制御しそこなったのか、理解ができないのだ。半エルフたる自分があのような幻覚に二度もかかった。それが許せない。確かにそう思っていた。が、それにしても少しばかり激高しすぎたという気もする。
「すまなかった」
 あまりにも不可解なことが多すぎて、今は素直に謝るより方法がない。そっとアレクの手に触れ、離してくれるよう伝える。だがアレクは依然としてサイファを睨んでいた。
「アレク、そんなに怒らないでよ」
「坊やは黙ってなさい」
「サイファ、つらかったんだと思うよ」
「なにがよ?」
 サイファはことの展開を悟った。一刻も早く逃れたい。シリルに視線で助けを求めようとしたが、疾うにわかっていたのだろう、彼は一行に背を向けたままあらぬ方を見ている。
「サイファ、幻覚でお師匠様のこと見せられたんだよね。俺はそう思ってるんだけど。だから、すごく嫌だったんだと思う。あの魔物いたぶってるサイファって、ちょっと怖いくらいだったし」
 ウルフはウルフなりに必至にとりなそう、説明しようとしていた。アレクは静かに溜息をつく。それから呟いた。
「この、すっとぼけ坊主が」
 生憎、それは極々かすかな声で、ウルフには届かない。むしろサイファを直撃しただけだった。その場で座り込みたくなる。どうして自分がこんなことに巻き込まれているのか。天を仰げど地に伏せど、応えるものは何一つあるはずもない。
「アレク、私が悪かった」
 頼むから離してくれ、そう視線で懇願した。それを受けたアレクが目許だけでにたり、笑う。どうやら聞き遂げる気はさらさらないらしい。
「ねぇ、坊や。アンタはなに見たの?」
「え、あ。その……」
「サイファ?」
「違うよ。なんで?」
 無論、アレクは知っていた。当事者たるサイファが言ったのだから。それを知らない振りしてウルフをからかっている。からかっているだけならば、よかった。明らかにウルフを挑発していた。何事かを考えさせよう、そしてサイファにけしかけようとしている。サイファには事態をうまく収める術がない。ただ黙って溜息でもつくよりすることがないのだ。
「あら、坊やってばけっこう薄情ねぇ」
 どこかで誰かが言ったようなことをアレクは口にし、ウルフに笑みを向ける。思わずウルフが下がったほどの笑顔だった。
「え、なにが?」
「だってアタシが見たのって、すごくつらいことだったもの。だから坊やだったらサイファかなぁって、ね」
「サイファが? なんでつらいの?」
 今度はアレクが溜息をつく番だった。同情の眼差しも露にサイファを見、そして諦めて手を離す。それをきょとんとしてウルフが見ているのだから始末に悪い。
「だってアンタ、サイファが大好きなんでしょ?」
 どうして自分がこんなことを言ってやらなければならないのだ、とアレクの目が語っている。そもそも自分で余計な手出しをしたのだからサイファは介入してやるつもりなどなかった。いくらでも溜息をつけばいい、そう思ったところであまり話が長くなると反って面倒を被るのはこちらのほうだ、とはたと気づいた。
「うん、大好きだよ」
 ね、と見上げてくる目を思わず避けてしまう。こんなに早く適応した自分が信じられないほどだった。
「だったら……」
「だって俺、サイファの側からいなくなったりしないもん」
「ずいぶん自信あるわね」
「そう決めてるから」
「ふうん、じゃ。サイファにいなくなられたらって考えたことないの?」
「ないよ」
「なんでよ」
「だって……」
 いささか、絡みすぎだった。アレクがここまで絡むのは、ウルフを応援するなどと言った戯言の手前もあるのだろうが、最も大きな理由はシリルに違いない。
 まだ背を向けたままのシリルは聞こえないふりをして、すべて聞いている。視線を感じたのか振り返ったシリルの顔に浮かぶのは、どこか寂しげな顔。そのまま軽く頭を下げた。兄が絡んですみません、そう言っているようにも取れたが、サイファの目には表情を隠す仕種に見えた。
「その辺にしておけ」
 頃合、と見て口を挟む。ウルフはまだもたもたとどうしてサイファがいなくならないか、を説いている。アレクは一向に理解した様子はなかった。
「ねぇ、サイファ。いなくなったりしないよね」
「どうしてそう思い込んでいるのか、理解ができんな」
 ことさら冷たく言ったつもりはなかったのに、見る見るうちにウルフの顔が曇る。アレクが処置なし、と溜息をついてシリルの元へと戻った。
「サイファ、俺のこと……」
「嫌いだし、必要以上に行を共にしようとも思わん」
「サイファ」
 わざとらしい泣き顔を作って見せる。それくらいのことで騙されてやるものか、とそっぽを向けば絡まってくる指先。温かくて乾いている。もし暗闇で触れたとしても、この若造の手だけは、わかる気がする。それほど何度も触れた手だった。
「嘘のつき方、教えてあげようか?」
 声は笑っていた。絡んだ指が、手の甲をまるで愛撫のよう、撫でている。くすぐったくはあるが、さほど不愉快に思わなくなっている自分に驚いた。
「お前が?」
 鼻を鳴らしてサイファは言う。こんな若造に教わることなどない。だいたい顔だけ泣いて声が笑っている若造に嘘のつき方が教えられるとは思えない。
「サイファよりはマシだと思うけどなぁ」
「お前は嘘をつかないだけだろうが」
「……俺、嘘つきだよ。サイファ」
 ふっと声音が落ちた。過去のことを言っているのだろう、そう見当はつく。旅に出る以前のことも、自分がどういう暮らしをしてきたのかもウルフは決して語ろうとしない。語ってもいい、とは言ったものの、サイファに聞く気がないと知ってからは明らかに安堵しているのだから。
 だが、とサイファは思う。過去を語らないのはウルフだけではない。兄弟にしても同じこと。彼らはウルフ以上に徹底して何も匂わせすらしなかった。それならばそれでいいのだ。別にどんな過去を持っていようが、今ここにいる本人たちがすべてなのだから。それを上手に伝えられたら、はじめてそう思った。
「きっと、ほんとのこと言ったらサイファに嫌われちゃうね」
「今も嫌いだ、と言っている」
「大好きだよサイファ。もうちょっとわかりやすく言ってほしいけどさ」
「なにがだ!」
「サイファだって俺のこと……」
 ウルフの言葉は続かなかった。非道だと、あとで思った。が、体が勝手に動いてしまったのだ。片手をウルフに封じられていたサイファは、考えることなく膝を彼の腹に叩き込んでいたのだった。




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