サイファがかけた魔法。それはアレクの体に素早さをさらに加えるもの。鋭い一撃が魔物の触手を襲った。 「アレク!」 シリルが飛び出し、アレクを引きずり戻す。間一髪だった。触手が向いた方向はアレクの最前の位置と一致している。そしてその方向の遥か遠い洞窟の壁が燻っていた。 「電撃……?」 呆然と呟く。これほどまでに威力のある電撃をアレクは見たことがないのだろう。 「嫌だなぁ、ただの電撃じゃないんだから。ほら、こんなこともできるよ」 魔物は言い、別の触手を壁に向ける。何かが走った、とも見えなかった。が、そこにあった岩のひとつがかき消える。目を凝らせば残るのは塵の山。 「ね、キミたちなんか屑だから。早く死んで?」 中央の目が細められた。笑ったつもりらしい、とはそのときの一行が気づくはずもない。また別の触手が向けられる。反応したのはシリル。神の加護を願って障壁が展開された。 「無駄だって言うのが、わからないのかなぁ」 ちかり、触手が光る。一行に効果は及ぼさなかった。しかしその代わりに障壁は破れた。 「別に好きなだけ魔法使ってくれてもいいけど。面倒くさいんだからその分なぶり殺しだよ?」 そう言われようともシリルは再び障壁を作るよりなかった。呪文を維持する顔が青ざめている。 「ちょっと、アンタなんとかできないの!」 「考えてる」 「遅いわよ!」 シリルの顔色に、アレクが我を失った。なだめるよう、ウルフが黙ってその肩に手を置く。 「なんだ、仲間割れ? もっと早くにやってくれれば手間がかからなかったのに。あぁ、そっか。そんな幻覚にすればよかったね、傷口えぐるようなつまらない奴じゃなくって」 魔物が笑った。一行の、ことにサイファの殺気が充溢する。緩やかに、魔物を見やった。 「あれを作ったのは、お前か」 「そうだって言ってるじゃない。敬意を表して死んでくれる? いい出来だったでしょ?」 「あぁ……」 「うん、物分りのいいやつって好きだよ」 嬉々として、であろう。魔物が触手を打ち合わせた。それを見るサイファの口許に浮かぶのは、笑み。ゆったりと、まるで舌先に蜜でも乗せたかのように甘い、そして凄艶な。 「殺す」 ウルフが背を見せたままぞくり、体を震わせた。愛の言葉だとてこれほど甘くは響かなかったに違いない。魔物が大げさに目を見開き、宙に浮いたまま仰け反って見せる。 「殺す? ボクを? できるわけないじゃん。面白いこと言うね、キミ。せっかくだもん、なぶり殺しにしてあげる」 ちらり、触手がこちらを向いた。サイファは手の中、一瞬で対抗呪文を編み上げる。 「……くっ」 シリルの障壁の中にいてさえ周囲は震え、そしてついにはそれを破って電撃が達する。そのときサイファが呪文を解き放つ。一行に届く寸前で電撃は消え去った。 「へぇ、やっぱり面白いや、キミ」 触手をのたうたせ、魔物は宙でくるりと回って見せる。その間も触手の先端についた目が一行から離れることはなかった。 「ちっ」 舌打ちひとつ。ウルフが切りかかる。飛び掛られるままにしておく、と見えた魔物は剣が届く寸前でかわし、触手を向けた。 「ウルフ!」 サイファの止める声も遅かった。魔物がにたり、笑った気がする。触手はウルフを捕らえ、そして光ったと感じる間もなくウルフがその場に崩折れた。 「ほら、こんなことしたって無駄だよ」 サイファは魔術師は後方、の定法を破り飛び出す。そしてその場でウルフを蹴り飛ばしては覚醒させる。 「へぇ、高速詠唱ができるんだ。面白いね」 魔法の眠りは外部からの物理的干渉では破れない。サイファは蹴りと共に対抗魔法をウルフに叩き込んだのだった。 「下がれ」 唇を噛みしめるウルフに言う。彼を見もしなかった。シリルが下がったサイファをも包みこむよう、また障壁を展開させようとしている。 「シリル。もういい」 反論もあっただろう、シリルはだがわずかにうなずくことでそれに代えた。このまま作っては破られるを繰り返していてはシリルの体が持たない。何よりこちらから反撃することができない。 サイファは軽くウルフの肩を叩く。シリルもそれを見た。言葉も、目さえも見交わさない。けれど二人は同時に飛び出し魔物に切りつける。 「無駄だって言うのにねぇ」 魔物はシリルに、ウルフに触手を向けた。そこにサイファが大仰な身振りと共に何かを投げつける。サイファを侮り難し、と感じていたのだろう魔物は一瞬そちらに気をとられることになった。だが、魔物にあたったのは小さな小石。ぎりり、牙が鳴った。 それを見逃す戦士たちではなかった。二人の剣が音高く空気を裂く。そして上がる甲高い悲鳴。触手の一本が、洞窟の床の上でのたうっていた。 「絶対殺すよ、キミたち」 「それはこちらの台詞だが」 冷然としたサイファの声、魔物も逆上するのだろうか。仰け反って触手を振り立たせ、魔物が向かってくる。 「アレク、投げろ!」 サイファの言葉にアレクは聞き返すこともなく従う。鋭い手が何かを投げる。小さな物だった。 「無駄だって言ってるじゃないか」 魔物の冷笑は完全ではなかった。それが届いた瞬間、ひび割れるような音。 「……ぐ」 くぐもった悲鳴は魔物のもの。触手の一本から血が滴っている。そして別のそれに引っかかる何か。 「死になさいな!」 アレクが投げたのはあの指輪。魔物は触手を振り回しては落とそうとするも、次第に力を失っていく。と、別の触手を魔物は自らに向けた。光りもしなかった。が、指輪が粉々になる。 「小細工だね」 自身に魔法を無効化する触手を使った魔物が笑う。それこそがサイファとシリルが恐れている原因だった。魔法の使い手にとって、それを無効化されることはすべての武器を奪われるに等しい。 「ほら、もう……」 なにを言おうとしたのだろうか。魔物は振り向き、そして爆風にさらわれる。振り返ってサイファを見た視線には悪意とそして恐怖が宿っていた。 「どうやって……」 目と言う目から血を流していた。背後の壁が崩れる。戦士たちがこの隙を逃すまいと切りかかる。今までの苦戦が嘘のよう、触手は切れた。そのたびに魔物はのた打ち回る。切り落とされた触手にアレクがとどめを刺すよう剣を突き立てる。 「魔法は、使えないはずだ!」 巨大な目が言う。今や触手は残っていなかった。血みどろの眼球は、ひたとサイファを、サイファだけを見ていた。再び轟音。崩れてきた壁に、魔物が押しつぶされる。聞く者の魂を凍らせる悲鳴が上がった。 「貴様には、な」 「どう、いう……」 「頭を使った」 言ってサイファが放り投げた物。小さく弾んで魔物の側に落ちた。 「小、石」 「貴様に魔法を無効化されるのはわかっている。ならば貴様自身ではない場所に使えばいい」 うっすらとサイファが笑う。体をかがめ、小指の先ほどの小石を取り上げる。手の中、もてあそび魔物を見ていた。 「こんな風に」 掌に小石を乗せたサイファが口の中、かすかに呟く。それは呪文と共にかき消えた。 「が……っ」 再度、魔物の後ろの壁が爆発した。降り注ぐ岩に今にも圧し殺されそうな魔物がサイファを畏怖の表情で見る。 「転移……」 「ほう、ない頭でもそれくらいはわかるらしい」 サイファは魔物を見ては笑う。 同時かつ同位置に物質が存在することはできない。基本的な法則だった。たとえそれが小指の先ほどの小さな物であれ、壁の中に転移させれば膨大な力となり、行き場をなくしたそれは爆発と言う形で表出する。魔物自身に魔法を使えないサイファは、だからそのようにして背後から襲ったのだった。 崩れた岩の破片とも言えない砂を一つまみばかり、拾った。掌で、それは見えない程の量であった。それを片方の手からもう一方へ、これ見よがしに移している。 「よせ、やめろ。いや、やめてください」 哀願の口調。魔物が人間であったならば血の気を失っていただろう。サイファは答えず。 「これを貴様の体に転移させたら、どうなるだろうな」 美しい夢でも見るかの顔。うっとりと唇を開き、掌の砂をそれが貴重な宝でもあるかのよう、見つめている。 「頼む、やめて……」 サイファが視線を上げた。受け止めた魔物の牙が鳴る。まぎれもない恐怖に。サイファの指が砂粒を弾いた。 「ひぃ……」 動作を見た魔物が声を上げ、巨大な一つ目を閉じ。その眼前に起こる小さな爆発。いまやサイファは魔物をいたぶっていた。 「なぶり殺しにしてくれる」 薄く、笑った。 |