アレクが、しげしげと取り出したものを見ている。不思議な短剣だった。柄に近い部分に、大きな籠状の護拳がついている。
「マンゴーシュだ」
 のぞきこんだシリルが驚きの声を上げた。
「なにそれ」
「パリーイングダガー、とも言うけど。左手に持って攻撃を受け流すのに使うんだ」
「ふぅん、そんなものがあるのね」
「ウルフ、君が使ったら?」
「俺? 無理。使ったことないもん」
「じゃあ、僕がもらってもいいかな」
「うん、それがいいよ」
 ね、そうアレクの顔を見ながらウルフがうなずく。アレクももちろん異存はないし、サイファにいたっては物が武器であるから口出ししようがない。
「じゃ、ちょっと相手して」
 やはり、武闘神官だな、サイファは思う。嬉々として武器を手にとっては試して振ってみたりしている。その姿がいかにも楽しそうで微笑ましい。
 ウルフが剣を構えて撃ちかかる。それをシリルは持ったばかりの短剣で受け流し、利き手の剣で反撃する。ウルフは体をかわしてそれを避け、流れた体のそのままに反転しては脇腹を突く。高い金属音と共に、シリルの短剣がそれをも弾いた。
「綺麗なもんよね」
 アレクが感嘆しきりにサイファを振り向く。その通りだった。真剣勝負ではない。かといって演武でもない。戦士の舞踏にも似た一連の動きは、なまじの舞いより美しい。
「うん、こんなもんだな。ありがと、ウルフ」
「どういたしまして」
 二人そろって軽く頭を下げ、それから笑う。戦闘でも汗ひとつかかない戦士たちが額に薄く汗を滲ませている。それだけ真面目に打ちあっていた、と言うことなのだろう。
「で、もうひとつはなんだったの?」
 シリルが箱の中身に目を注ぎ、まだ手に取っていないのを不思議がる。
「なんか綺麗なもんが入ってるよ」
 言って無造作にウルフが手を伸ばした。はっとしてアレクが止めかかるのをサイファが手で制す。
「あ……」
 手にした瞬間だった。ウルフがぐらり、と体を揺らす。サイファがその手をはたいて手の中の物を落とさせた。
「……気持ち悪い」
「当たり前だ」
「サイファ、いまのなに?」
 問いかけの声を無視してアレクが立ち上がり、物も言わずにウルフの頬を張り飛ばす。それはサイファが驚いたほどの勢いだった。
「え、アレク。なに……。俺なんかした?」
 きょとん、として頬を押さえている。それに向かってもう一度手を上げかけるアレクをまたサイファが止める羽目になった。
「よせ」
「だって!」
「いまので、理解したはずだ。得体の知れないものを手に取るとどういうことになるのか」
「あの時もそうだったわよ」
 確かにアレクの言うとおりだ。いまのアレクの小剣は、ウルフにかかった呪いを解いたものだ。そもそも小剣を触ることがなければ呪いがかかることもなかったのだからアレクの憤りもわからないわけではない。
「まぁ、そう言うな」
「甘いわよ、サイファ」
「未熟者には言葉で理解させるより、体で覚えさせるよりなかろう」
「だから、もう一度」
「殴ってもいいが、余計……」
「あぁ、お馬鹿になるな」
 憤然とアレクが溜息をつく。今度はサイファが眩暈を起こす。
「突然、男に戻るな」
「でもな」
「いいから、頼むから」
 珍しく懇願してしまう。あちらではウルフがぼんやりと事の成り行きを見ているばかりだし、シリルはその横でにやにや笑っているだけ。
「ま、アンタが言うならいいわ」
「そうか」
 ほっとしたサイファにアレクがにたり、笑った。
「その代わり、坊やの教育はちゃんとしなさいよね」
「……できる限り努力しよう」
「無駄な努力だと思うけど」
 ふん、と鼻を鳴らしてアレクがそっぽを向く。が、サイファはそうだとは思わない。ウルフの茫洋とした顔つきは、明らかに何かを考えている、そしてそれを隠している顔だ、と思う。
 すでにある程度以上の教養があるのは知れている。それならば、今のアレクとの会話がなにを意味しているのか理解できないはずがない。それなのに愚かな行動をとり続けている、と言うのはある意味一種の演技でもあるのだろう、とサイファは考えていた。
 あまり面白い想像ではない。が、そうとしか考えられないではないか。
「ごめんなさい」
 殊勝げに謝ってくるところなど、まるで子供だった。アレクは仕方ない、とばかりにうなずいてはいたずらに赤毛をかき混ぜている。抗議の声を上げてウルフはアレクを追い回し、そしてそれで終わった。いつもどおりに。
 だから余計、不自然だ。それに兄弟が気づかないのが不思議だった。
「それで、なんだと思いますか?」
 シリルの声に正気に返った。小さな物はまだ洞窟の床に落ちている。サイファは首を振り、黙って手に取る。シリルが驚きの声を小さく上げた。
「大丈夫なんですか」
「あぁ」
「あ、なるほど」
 何事かを了承したと見えてシリルがうなずく。サイファの手の魔力を見たのだろう。指の先から手首まで、隙間なく魔力に覆われている。あの小剣を持ったときと同じように。
 サイファは軽く目を閉じ、手の中に集中する。小さな指輪だった。特別に豪華なわけでもなく、質素でもない。どこにでもあるような指輪。
「ねぇ、なんだと思う?」
 いつの間にか戻ってきたアレクが、シリルの肩越しに覗いている。シリルが首をかしげ、唇に手を当てた。
「ん……。なんと言うか、生命が吸い取られるような感じがするね」
「あ、それは俺も感じた」
「アンタは身をもって、でしょ」
「はは……そうなんだけどさ」
「笑ってんじゃないわよ? サイファが落としてくれなかったら、アンタ倒れてたってわかってるんでしょうね」
「うん、反省してる」
「ほんとに?」
 アレクの追及はそこまでになった。サイファが目を開けたのだ。
「わかりましたか」
「シリルの感覚は正しい。生命力が逆転する魔法がかかってる」
「じゃ、持ってると危ないわけよね?」
「少しずつ生命力を失って、死に至るだろう」
「……物騒なもんね」
「同感だ」
「じゃ、捨ててったほうがいいわね」
 格別に美しくもなく、そして金にならない物に対してのアレクの反応は冷たい。あっさりそう言って首をかしげた。
「いや、持って行こう」
 それをサイファがとどめた。手の魔力を指輪に移し、包み上げる。
「持っててくれないか」
「平気なの?」
「問題ない」
 そう、差し出した指輪を恐る恐るアレクは手にし、そして何事も起こらないのにほっとして神経質な笑みを浮かべた。
「ちょっとドキドキだわ」
「あまり乱暴に扱わないように」
「どうなるの。念のため」
「魔力が消える。硝子のようなもので包んである、と思えばいい」
「……中々頼もしいお言葉ね」
「光栄だ」
「嫌味だっての!」
「わかっているが?」
 にやり、サイファは笑って見せた。どうも人間に影響を受けすぎている気がしなくもないが、アレクと軽口を叩きあうのは楽しい。ウルフが唇を噛んでいるとなるとなおのこと。おそらく無意識であろう仕種が、どことなく胸を弾ませる。それがなぜかは、わからなかったが。
「さ、行こうよ」
 いつものようにシリルが促す。不承不承と言った顔でアレクが横に並んで歩き出す。続くサイファの横にはウルフが。
 行き止まりを出たところでシリルが振り返り、まだ手に宿したままの太陽の光を背後に放り投げた。サイファが同時に手を振って、行き止まりの入り口を封じる。
「助かります」
「他人事ではないからな」
 サイファは言ってちらりとウルフに視線を向けた。どうやらアレクと遊びすぎたらしい。また落ち込ませてしまったようだった。
「と、言うと?」
「背後から襲われたら、最初は私だ」
「なるほど。もっともです」
 隙を作ったにもかかわらず、ウルフは乗ってこない。いままでだったら、一番に「自分が守る」のなんのと言い募るのに。
 シリルは何もなかったような顔をして前に向き直って歩き始めたが、不自然さには気づいただろう。
「よかったのか」
 多少、意地悪をしすぎた感はあった。だから声をかけてしまった。
「なにが?」
「短剣」
「あぁ……俺、ああいうの使ったことないから」
「そうか」
「練習すれば使えると思うけど、時間がないでしょ」
「盾を、持たないんだな」
「身軽な方が楽なんだ」
「そうか」
「うん」
 他愛ない話。会話をしている、と言えるほどのことでもない。けれどウルフは目に見えて浮かび上がってきた。
 サイファと話をしている。それだけで楽しいと言わんばかりに。事実、剣からは歓びばかりが伝わってくる。単純な、それだけに激しい思い。圧倒されそうだった。
「サイファ」
「なんだ」
「後ろから襲われたらさ、俺が守るから」
 ふっと笑みを浮かべてウルフが言った。それが完全浮上の合図だった。感情だけではない、遣り口もまた単純。呆れて溜息をつきたくなるところ、だがサイファは口許をほころばせていたのだった。




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