硬い床の上、手をついていた。力を入れた指が、土を掴む。
「アレク……?」
 床と自分の間にシリルがいた。冷たい洞窟の岩盤に横たわっては背中が冷たいだろう、ふとそんなことを思った。
「なんでもない」
 かすかに笑ってアレクはシリルの首筋に舌を這わせる。体をよじって逃れようとする。逃げたいのではない、ただ快楽から逃れたい。このまま流されれば、すぐそこに先があるから。
「おかしいよ、アレク」
 薄く目を開けたシリルの視線。愛撫に曇っていた。
「なにが」
「なんだか、上の空だ」
「気のせいだな」
 言いはしたものの、どこかおかしい、と自分でもわかっている。ただ、こんな機会を逃したくない。仲間と旅をするようになって、シリルを抱く機会が減った。旅自体は面白かったものの、シリルに触れたいという欲望は増すばかりで耐え難い。
「シリル」
 軽く首に歯を立てる。くぐもった悲鳴、いや喘ぎか。珍しく積極的に回された腕がアレクの背中をひきつける。
「アレク?」
 少し笑ったのが伝わったのだろう、シリルがいぶかしげな気配を返した。アレクは答えず腕の中を抜け出した。
「……んっ」
 シリルが髪を掴む。アレクはシリル自身を含んでいた。断続的な喘ぎ声。いつも自分で編んだ髪を、シリルがかき回してだめにする。乱れきった髪を首の一振りで払い落とし、アレクは見上げる。
「いい?」
 目許だけで笑って、問う。シリルは答えない。ただ恨めしげな視線を返すだけ。もう一度含んだ。そっと舐め上げる。
「シリル、言えよ」
 口を離して問う。唇を噛みしめて、シリルは首を振る。頬が赤い。悦楽と羞恥と。汚してしまいたくなる。こんなに体は従順なのに、心は決して許してくれない。抱き合う間のほんのひと時。シリルは自分の物になる。
「シリル」
 のけぞった首筋にも浮かぶ赤い色。噛み痕がついていた。アレクはシリルをゆっくりと呑み込む。
「……やめ」
 苦しげな悲鳴が上がる。もう、最後まで行ってしまいたいのだろう。まだ許さない。含んだまま、舌を動かした。唇で挟み込む。そのまま先端まで吐き出した。
「だめ……だってば……っ」
 アレク含んだまま、笑った。唇の震えにシリルが身をよじる。先端だけを咥え、舌先でシリルのそこの窪みをつついては舐める。ぎりり、シリルの爪がアレクの肩をえぐった。
「アレク、だめ……もう……」
「もう、なに?」
 唇を離した代わり、片手でシリルを包み込み、動かし続けた。声もなくのたうっている。全身に浮かぶ快楽の色。そのまま全部自分の物になってしまえばいいのに。
「……欲しい」
 悦楽に濁った目をして言う。
「聞こえない」
 だから嬲った。
「アレクが、欲しい……っ」
 だから、微笑んだ。今だけ、この瞬間だけ。シリルは自分の物。じらすよう、膝を立て、その間を覗き込む。
「やめ……」
 息づくそこが欲しがっている。こんなに自分を拒むのに、体は自分を欲しがっている。
「どうして?」
 内腿に舌を這わせた。咄嗟に閉じようとする膝を押し開き、無造作に指を挿れた。
「……くっ」
 充分に慣らされたそこは、アレクの指を痛みもなく呑み込んだことだろう。中が熱かった。抜き差しを繰り返す。そのたびに上がる声。
「指……嫌だ」
 震える声が言った。
「どうして? 欲しいんだろ」
「指じゃなくて……っ」
「じゃあ、なに?」
 笑って言った。アレクが欲しい。ただ一言。その一言だけが、欲しい。
「アレクが、欲しい……」
 掠れた声。何も考えてなどいない。ただ、最後が迎えたくて、体が欲して言っている言葉。意味など何もない言葉。
 それでも、良かった。
「欲しい?」
 言葉はなく、首を何度もうなずかせた。アレクは膝の間に這入り込む。緩慢にあてがう。シリルの体が緊張に硬くなる。シリルを握って仰け反らせた。
「ん、あ……っ」
 とろりとした快感に身を委ねた瞬間、アレクが腰を叩きつけ。声は上がらなかった。体中が震えている。背中にまわった腕が、アレクの体をも締め付ける。そこは言うに及ばず。
「アレク……アレク……」
 うわごとのように呼ばれた。すがりついてくる額にくちづけ、アレクは動く。
「アレク?」
 たまらなかった。今シリルが自分の物になっていることにも、シリルに追い詰められていることにも。熱く蠢くシリルの中に今にも吐き出してしまいそうだった。
「なんでもない」
「嘘」
「なにがだ」
「……いい?」
 腕の中、シリルが笑った。
「すごくいい」
 笑み返して、くちづけた。
「シリル」
 唇に、瞼に、頬に。何度もくちづけた。不意に湧き上がってくる、たまらない感情。抑えきれない。ほとばしる。
「好きだ、シリルが」
 今ならば、言ってもいいのかもしれない。拒まれないで済むのかもしれない。なぜ、そんな風に思ったのかは知れない。ただ、そう思ったのだ。
「好きだ」
 シリルは答えない。眉を寄せ、しっかりと目を閉じ。きつく、締め上げられた。背中に、爪が立てられた。
「……シリル?」
 強張った体は、動かない。閉じた目が、開いていく。こんな光を見たことはなかった。強い、拒絶の意思。
「やめてよ、そんな。気色悪い。兄弟だよ」
 吐き出した。口の中の苦い物を吐くように、シリルは言った。それが、胸をえぐった。苦いものが剣ででもあったように。
「シ……」
「遊びならともかく、真剣にならないでよ」
 シリルが離れていく。腰の物は、萎えていた。ずるり、吐き出されたアレクの物。それもやはり。
「気持ち悪いよ、それって」
 押しのけられた。
「兄さん」
 髪を掴んだシリルが真正面から見据えている。痛いはずなのに、どこも痛くない。アレクは視線をそらし、嗤った。どこよりも痛い場所が、あった。
「兄さんって、呼ぶな」
「嫌だ。そんな気持ち悪いこと考えてたなんて、信じたくないよ、兄さん」
「シリル」
「嫌だな……。兄さんって呼ぶのも、嫌だな」
 突き放された。シリルが髪を離した途端、体が揺れ動く。ぐらり、視界が霞んだ。
「……気持ち悪い」
 触るのも嫌だとばかりに、脱ぎ捨てた服を投げつけられた。当たった筈なのに、何も感じなかった。立ち上がる気配。シリルが身繕いを調えて、アレクを見下ろしていた。冷たい、目。何も言わず、踵を返す。
「シリル、待て……待って!」
 何も残っていなかった。ここにいるのは自分ひとり。誰もいない。シリルの、遠ざかっていく足音だけが、洞窟の中、響いている。
「シリル……」
 なぜ、あんなことを言ったのか。決して言うまいと決めていたはずなのに。
「シリ……ル……」
 自分の声さえ、遠く聞こえる。ぐらぐらと揺れる体を持て余してアレクは床に倒れた。
 目を閉じてしまえば、楽になるかも知れない。
「シリル」
 不思議と、何の感情も湧かなかった。他を圧倒する、ただひとつのことに占められて、痛みも何も感じない。洞窟の、湿った床さえ冷たくはなかった。
 ゆっくりと、手が上がる。なにを意図したわけでもない。ただ、手はあの小剣を持っていた。シリルを守れるように、と持った小剣。
 鋭い切っ先が下を、アレクのほうを向いている。落とせば、喉に突き刺さるかもしれない。かすかに笑った。誰が。たぶん、自分が。
 アレクは仰向けに横たわり、そして小剣を両手で掴みなおす。喉に当てた。熱い。
「シリル」
 当然のことだった。去るのがわかっていたから、言わなかったのに。予想通り去って行った弟の、これ以上負担になるわけにはいかない。両手に力を入れ。後はしっかりと下ろせばいい。
「……くっ」
 不意に衝撃が来た。なにがあったのか、わからない。ひたすら、頬が熱い。知らず剣から手を離し、頬に手を当てていた。
「え」
 頬と手の間に何かが。温かくて、痛いもの。目を閉じる。知っているはずだった、この感触を。



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