翌朝、そろそろ出発しよう、と言う段になってはた、とアレクが立ち止まる。 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「この空き地って、危ないんじゃないの」 その言葉に仲間たちが言葉を失った。今、一行は結界の中に守られている。だが進むためにはここから出なくてはならない。そして出た場所は草の家の攻撃範囲内、と言うわけだ。 「うーん、気がつかなかったなぁ」 腕を組んでシリルが家を見やる。どうやって攻撃をかわそうか、そして倒そうか考えているのだろう。 「アレクとサイファには走ってもらって、後ろから俺たちが援護?」 「それしかないかな」 無謀の極みとも言える作戦をあっさり承認したシリルに呆れて物も言えない。天を仰いで溜息をつけば誰かが気がつくだろう。案の定、アレクの目敏い視線に捉えられた。 「あら、サイファ。なんか言いたいことでもあるの?」 「そこに座らせて懇々と説教したいくらいだ」 「え、僕たち。何かおかしいことしましたか?」 説教の言葉にアレクが含み笑いを漏らす。シリルとウルフはなにが起こったのかわかっていないようだった。こんなとき、シリルはおそらく年相応なのだろう、若い顔をする。それが少し、おかしかった。 「どうして無謀にも外に出ようとする」 「だって」 「一言聞けば済むことだろう」 「あ!」 呆然と口を挟まなかったシリルも、ウルフが気づいたくらいだからやっと理解したのだろう。自分で自分の頭を叩いていた。 「僕は馬鹿だ。そうですよ、サイファ。まさかそんなことができるとは思いも……」 「ちょっと、シリル。説明してよ」 「あのね、結界ごと動かしてもらえばいいんだよ」 「なにそれ、そんなことできるの!」 「できる」 何もそこまで驚くこともなかろうに、とサイファは思うのだが、今の世に人間の魔術師で結界を移動させることができる者がいると聞いた覚えはなかったからあるいはシリルの驚きは正当なものなのかもしれない。サイファにとってはさほど面倒なものでもないのだが、こつを掴むためには長い修練が必要で、今の人間には少しばかり無理がある。 「すみません、すっかりあなたが半エルフだということを忘れがちで」 照れたように謝った。 「いや……」 不意に顔をそむけた。なぜか妙に温かい。人間と同じように見られるなど侮辱でしかないはずなのに、仲間たちが差異を忘れている、と言うのは思いのほかに嬉しいものだった。 「サイファ?」 下から覗き込むウルフの心配げな顔。サイファは不安になった。剣にかけた魔法のせいで彼の感情は筒抜けだ。もしかしたら逆の現象が起こっているのではないだろうか。自分の感情が若造に伝わっている。一瞬だけ考えを弄び、そして一笑に付した。そんなわけはない。 「くっつくな、鬱陶しい」 「だって」 「いいから、離せ」 振りほどいたウルフの腕はあっさりと離れていく。あまりにも素直に離れたのがおかしい、とそちらを見れば何事もなかった顔をしている。それが無性に不愉快だ。腹いせに殴ってやろうかと腕を半ば持ち上げたところをアレクに見られる。 「どうかした? サイファ」 「別にどうもしない」 「へぇ、そおー?」 言いたいことがあるならばはっきり言え、と言いたくとも言えないサイファは事実上、口を塞がれたに等しい。むっつり黙ったのを見ては、向こうからシリルが哀願を浮かべて頭を下げている。 「うわ、すげー。うぞうぞしてるよ」 危機感の欠片もない声が結界の外を見て言っている。一見、何もないところに張り付いて外を眺めているのは滑稽だった。 「なによ、うぞうぞって」 「アレクも見てごらんって。よく見るとあの家動いてんだよ」 「そりゃ、草だしね」 「気持ち悪いよねー」 サイファは頭を抱えたくなった。ちらり、シリルを見れば今度は彼が天を仰いでいる。いったいなぜ、こんな苦労を背負い込むことになってしまったのだろうか。 「ちょっと来い、未熟者」 機嫌の悪いサイファの、極低音の声がウルフを振り向かせる。恐る恐る近づいてきたが腰が引けていた。その赤毛を引っ掴んで顔を寄せては睨みつける。 「お前に危険、と言う概念はないのか」 「えっと、ないわけじゃないと、思うんだけどなー」 「よくそれで……」 言いさした言葉が止まる。あちらでにやにやしているアレクに聞かれるのは甚だ困る。 「俺、馬鹿だし未熟だけど、できる限りサイファを守るし、死なないつもり」 言わなかった言葉を本人に言われては致し方ない。アレクが顔をそむけたのはきっと笑い顔を隠すためだろう。八つ当たりに髪をつかむ指に力を入れれば抗議の声が上がった。 「そういうことは、見合った力量を持ってから言え!」 「最大限、努力中ってことで」 「どこがだ?」 「それはその、いろいろ」 「ほう? わざわざ吸血草の家を見て喜ぶとかか?」 「あれは、だって。面白かったから」 微塵も反省していない。あれだけの怪我を負ったというのに何が面白いというのだろうか。まったく若造を育てた人間の顔が見てみたい。教育に絶大な欠陥があったことは疑う余地もない。 そうはいえども、いまさら居もしない人間相手に悪態をついても始まらない。サイファは盛大な溜息をつくことで失望を表して見せ、それからローブの左袖を捲り上げた。 「していろ」 左の二の腕にしていた腕輪を抜いてウルフに放り投げる。幅広の、金でできた腕輪だった。単純な繰り返し模様が彫り込まれていてそれが光を反射する。 「あ、うん。でも、どうやって?」 明らかにウルフの腕には細かった。サイファがしていた物なのだから無理もない。 「はめればいい。勝手に伸びて勝手に縮まる」 サイファの言葉にウルフが疑問を浮かべながら、腕を捲り上げて手を通した。そして言葉どおりになるのを驚きをこめて見つめている。 「たいして邪魔にもならないはずだ」 「うん」 「それは危険を感知する。感知すると締め付けて知らせる」 「ありがと。サイファ」 まだかすかにサイファのぬくもりのあるそれを服の上から触ってウルフが微笑む。その事実がいやに淫靡だと気づいて赤面しそうになるのをサイファは必死でこらえた。 「これも、サイファが作ったんだよね?」 「違う」 「え……」 「我が師がお作りになったものだ」 その言葉にシリルが反応した。驚きをこめてウルフの腕に触れる。そうすれば腕輪その物の力を感じ取れるとでも言うように。 「魔術師リィが……」 「そうだ」 「彼が付与魔術を使えるとは知りませんでした」 「私が誰に習ったと思っているんだ」 「……そう言われてみればそうなのですが」 シリルが首をかしげて気弱に笑う。人間が付与魔術を使えた、と言うことが信じられないのだろう。 「昔の人間は今より長生きだったからな」 「そんな話を聞いたことはあります。伝説だと思っていました」 「事実だ」 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「お師匠様の、いいの?」 「私には必要ない」 「どうして?」 「半エルフは元々人間より感覚が鋭い。危険感知の魔法はほとんどの場合必要としない」 「……でもしてたんだ、いままで?」 また妙なところでウルフがこだわる。単純にしていること自体を忘れていただけなのだが、そう言っても聞かないだろう。 「ねぇサイファ。お師匠様ってアンタが半エルフなの知ってて当然よね。だったらなんでそれくれたわけ?」 アレクの介入に今は感謝する。その疑問に囚われたウルフは先程の自分の問いを忘れ去ったらしい。おかげで好奇心いっぱいの目で見つめてくるのだからそれはそれで困ったことになった。 「……過保護な因業爺だったんだ」 頭を抱えてサイファは言った。事実からそれほど外れてはいない。必要ない、と言うのにいいからいいからと、無理やりこの腕にはめられた日を思い出す。師の手のぬくもりと、気遣わしげな目の色と共に。あの目を見てしまったらそれ以上は逆らえなかった。笑みを浮かべているくせに、極端にサイファが傷つくのを恐れていた師。人間よりもよほど丈夫だと知っているのに、いつも守ってくれた。 どうして自分の周りにはこうも強引な人間が多いのだろうか。もっとも積極的に半エルフに関わろうなどと言う人間は多かれ少なかれ強引だとも言えるが。 「アンタ、それってどうよ?」 「なにがだ」 「過保護かつ因業って、どんな人間なわけ?」 「暇な時に伝記でも読んでみればいい。どれほど凄まじい人柄だったか、よくわかる」 突然シリルが吹き出した。どうやら彼はサイファの言った本を読んだことがあるようだった。 「あれは、誇張しているのではないんですか?」 「ほぼ、正確だ」 「サイファ、よく性格が歪みませんでしたね」 「どこがよぉ。立派に歪んでるって」 「アレク!」 また、お定まりの口論が始まった。最近ではウルフもしっかり加わるから始末に悪い。放置してもそのうち気づいたシリルが止めると学習済みのサイファは諦めて空でも眺めている。今日もよく晴れていた。 |