兄そっくりの顔をして笑い続けるシリルを呆れながら睨みつけ、サイファはもうひとつウルフの頭を叩いた。 「そんなに叩くと……」 「なんだ」 「きっとアレクだったら、お馬鹿がひどくなるって言いますよ」 アレクならば、と言いつつもシリルもずいぶんひどいことを言う、とサイファは思う。そして視線をそらし、決して若造を弁護しているわけではない、と聞こえもしない誰かに言い訳をした。 「さぁ、そろそろ起こしましょうか。あなたもお腹が減りませんか?」 見れば夕闇が濃くなっている。ウルフとの攻防戦の後、シリルと無駄話をしていた時間が長かったようだ。サイファは黙ってうなずき、軽く手を振る。同時にシリルもよく似た動作をしていた。 「アレク、起きて」 そっと兄の方に手をかけてゆする。あまり見た覚えがない優しい手つきと声はアレクが疲れている、そのせいだろうか。 サイファはアレクが起きるその前に、と乱暴に膝をゆすって赤毛を引っ張る。 「ん、痛いってば」 寝ぼけ眼ではありながらわずかの時間で覚醒した。辺りを見回してここがどこかを思い出し、ついでアレクがまだ眠ったままでいるのを見た。 「サイファ」 一瞬にして嫌な予感がサイファを襲う。咄嗟に避けようと思った体が動かない。見ればまだウルフが膝の上に手を置いていた。 「さっさと――」 離せ、言い掛けた言葉が呑み込まれる。 「いい加減しろ!」 寝惚けたふりをして抱きついてきたウルフの頭を拳で殴る。抗議と共に笑って離れたから間違いなくふりだった。 「もう坊やとじゃれてんのー。仲いいわねぇ」 シリルの膝の上からアレクが見上げていた。口許には意地の悪い笑みが浮かんでいる。 「そう、いいでしょ。アレク、羨ましい?」 「なんでアタシがアンタを羨まなきゃいけないのよ」 「だってサイファと仲良しだもん」 また殴られることを前提にウルフはサイファの腕を取り、肩口に額を寄せる。サイファは注意も払わず殴りつけた。 「サイファ」 「なんだ」 「あんまり坊やを殴らないで。お馬鹿がひどくなるわ」 サイファは絶句し、シリルと二人顔を見合わせては吹き出した。 「なによー」 「いや、さっきね、きっとアレクだったらそう言うよって話をしていたところだから」 「なに、二人で内緒話でもしてたの? やらしいわぁ」 「……なにがだ」 ぼそりとサイファは呟いた。この兄弟の発想はまったく不思議でならない。どうも遊ばれているのではないか、と言う気がしてはいるのだが、それでいて真面目に手を差し伸べてくることもあるのだから理解に苦しむ。 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「俺、おなか減った」 「相変わらずの腹っぺらしだわね」 アレクのからかいにウルフは唇を尖らせ何事かを言っていた。サイファはうつむいたまま唇を引き結ぶ。 ウルフがアレクとサイファの会話を中断させたのは自明だった。それがなにを意味するのか、なにを意図しているのかがわからない。あるいは意味など何もないのかもしれない。サイファとしては話題が面倒な方向に行きかけたのが途切れてありがたい、とは思っていた。が、それをしたのがウルフ、と言うのが気にかかる。 「サイファ、どうしたの」 「どうもしない」 「そう、ほんと?」 「嘘をついてなにになる」 覗き込んできたウルフの目から逃れるよう、立ち上がる。質問を避けようと、水を作り出し兄弟に差し出せば、当然のように水袋を出してきた。人間は慣れるのが早い、そんな苦笑が唇に浮かぶ。黙って振り向き目顔で促せばウルフもまた、自分の分とサイファの分との水袋を満たした。 「それって、手は濡れないんだ」 「あ、坊やってば残念そうねぇ」 アレクの言葉にウルフが耳の辺りを赤らめた。サイファにはアレクがなにを言っているのかが理解できない。不可解に首をかしげてシリルを見れば、言い難そうに視線をそらす。 「坊やはアンタの手を拭いてあげたかったのよ」 「自分で拭けるが」 「いい、アンタに理解させるのは無理だから……いまの所はね」 「どういう意味だ?」 「いずれわかるかもよー?」 「なぜか非常にわかりたくない、と言う気がするのは気のせいか?」 「アンタ魔術師でしょ。未知なる物への好奇心は忘れちゃだめよ」 「切実に忘れたい」 真剣に言ったのだが、それに兄弟がそろって笑い声を立てた。ウルフだけはぽかんと兄弟を順に見てサイファを見上げ言葉を待っている。当のサイファは苦い物でも噛んだよう、渋面だった。 「んー、いいからさ。ご飯にしようよ、ご飯」 「はいはい、坊や」 ウルフの介入、と言う珍しい現象にもう一度遭遇したサイファはやはり意図的なものだ、と確信を深める。ただそれを追及する気はなかった。自ら危険を追うまねはしたくない。溜息ひとつで忘れることに努め、シリルの手伝いをすることに決めた。 「あ、すみません」 「いい。貸せ」 「はい」 向こうで二人がじゃれあっているのをいいことに、シリルと落ち着いた作業をする。どちらにせよ、火は使えないからたいした用もない。携帯食を水で戻したり、切り分けたりとその程度だった。 「サイファ!」 緊張したアレクの声が飛んだ。シリルと同時に振り返る。とそこには魔物の姿。 「大丈夫だよね?」 今にも剣を取ろうとしているウルフの手を押さえうなずく。魔物はゴブリンだった。最下級と言っていい弱い魔物だ。それが手に何かを持ってよたよたと歩いてくる。 「あれ、なにかしら」 サイファを、と言うよりシリルの言葉を信用しているのだろう、アレクが興味津々と外を見つめている。ゴブリンは例の小道を段々と近づいてくる。 「何者かに召し使われているのは確かだろうね」 「そうなの?」 「この辺りで下級の魔物が生きていくにはそれが確実だと僕も思うし、冒険者たちは恐ろしい者に引き連れられたゴブリンをよく見たって言うから」 「ふうん、そうなの」 兄弟の話にウルフもうなずいていた。みるみるうちに一端の冒険者の顔をするようになった。人間は成長が早い。そうサイファは思えども、ただそれだけではないと言う声がどこからか聞こえてもいる。 「あ」 アレクの声に内に入りかけた意識が戻る。ゴブリンがすぐそこまできている。あの、例の草の家があった辺りだ。そのゴブリンが何かを放り投げていた。あの手に持っていた物に違いない。ちょうど家の中心であったはず、と思しき所に落ちたそれを確かめるよう、ゴブリンは首をかしげ、そしてにんまりと笑った。 「うわ、ゴブリンの笑い顔って怖いな」 「同感ね」 ウルフに返事をしたアレクは上の空だ。だがそれに気づきもしないウルフもまた、会話など気にも留めていないのだろう。 ゴブリンが手を打ち鳴らす。そして空き地の端まで飛びすさった。その時、中心点が蠢いた。ぬたり、と草が物を囲む。絡み上がり、擦り寄る。おぞましくも幻想的な光景に目を奪われた。 「なにあれ……」 アレクが呆然と言う。本人とて、わかっていたはずだ。ただ理解したくないのだ。ずるずると、次第に草が形を整え、ついにはあの家となる。 「こうやって作っていたわけですね」 「そうらしいな」 「あれは、なんでしょうか」 「一種の魔力の貯蔵器、あるいは吸血草の餌箱」 「餌、ですか」 魔術的な現象には強いシリルでさえ、サイファの言葉には呆けた顔をする。それに薄く微笑んだ。 「あれには何らかの、吸血草が摂取し形を整えるためのものが入っていると見て間違いはないだろう。それを餌、と表現しただけだ」 「はぁ、なるほど」 釈然としないままシリルが視線を戻す。それがちょうど間に合った。ゴブリンが再度手を鳴らす。と、家の形の草は動きを止め、そしてそれを見たゴブリンが何かを浴びせかける。動きを止めただけの草の塊は、居心地の良さそうな家へと擬態を完了した。 「なんと言うか、手際がいいわね」 「まったくね。でもこれからは気をつけないと」 「なんで?」 兄弟の会話にウルフが口を挟む。なにかわからないことがあると聞かずにはいられないのだろう。ひとしきりお馬鹿のなんのと罵ってから、アレクが答えた。その間にゴブリンは消えている。確認したのはシリルとサイファ。言葉遊びを楽しむ二人を横目で見ては諦めの溜息を揃ってつく。 「ゴブリンが直しにきたってことは、壊されたのがわかってるってことでしょ」 「あ、そっか」 「どこのどんな魔物かはわからないけど、気をつけたほうがいいってそういうこと。おわかり、坊や?」 よくぞこれで冒険者が勤まるものだ、と皮肉に歪んだ唇だが、アレクのそれはなぜか蔑みを含まない。純粋に呆れて見ているだけだった。もしくは微笑ましいのかもしれない。アレクにとっては手のかかる弟と言うものは存在しないのであって、いまこうして旅に出て始めて獲得した「どうしようもなく手のかかる弟」と遊んでいるのは中々に楽しいのだろう、とも思う。もっとも遊ばれている方が気にしていないから言えることであって、そのあたりのウルフの肝の太さは評価するに値する、かも知れない。 「さぁ、食べてしまおうよ」 シリルの声に二人の言い合いがやんだ。そしてそろって子供のように食べ物の元へと向かう。盛大に喋りながら食べる兄弟とウルフを見ていると、彼らにとっては些細な年齢差が大きなものとなるように、サイファからは仲間たちがとても幼い生き物に見えた。 それはなぜか、寂しさをかきたてる思いだった。 |