アレクは遅れを咎めたわけではなかった。見れば彼の前方に一軒の家がある。こぢんまりとした居心地の良さそうな家だった。 「見るからに怪しいから近づかなかったの」 追いついた二人にアレクは言う。 「んー、どこが?」 「どこって……」 思わずアレクが絶句するのにシリルが笑う。サイファは顔をそむけて溜息をついた。 「あのね、坊や。こんな所に普通の家があるっておかしいと思わないの」 「だって住んでる人くらいいても……」 「あんな物騒な草が生えてるところに?」 言われてウルフが言葉に詰まる。いかにシャルマークに住む人間がいるとは言え、生き血を吸う植物がある場所に好んで、それも一軒だけで住んでいるとは思いがたい、とようやく気づいたらしい。 「わかった?」 「うん」 「じゃあ、調べてくるから、いい子にしてるのよ?」 「そうやって子供扱いする!」 「だってガキだもの」 晴れ晴れと笑うアレクに返す言葉のないウルフは物も言わずに殴りかかろうとする。相も変わらずアレクに逃げられ空振るのをサイファとシリルが溜息をつきながら苦笑していた。 「ちょっと待て」 笑っている場合ではない、と気づいたサイファがアレクを呼び止め一軒家に視線を送る。アレクが見ている以上に怪しげな家だった。 「なによ?」 不満げな彼を目顔で制し、サイファは仲間を残し歩を進めた。家は変わらずそこにある。草原の中、そこだけが綺麗に草を刈り取られている。もしもこれがシャルマークでなかったのならば、手入れのいい家、有能な主婦のいる家、と見たことだろう。 丸く刈られた空き地に入る一歩手前で足を止めた。手を掲げ振り下ろす。一瞬にして家は炎に包まれた。と、家が蠢く。 「サイファ!」 ウルフが飛び出しそうになるのをわずかに振り向いて止めた。家は動いていた。ずるり、外壁が崩れ落ちる。焼け落ちたわけではなく、炎から逃れようと意思ある物のように動いている。 「あの草だわ」 アレクが驚倒する声。見れば確かに家はあの、ウルフの血を吸った草でできていた。絡み合い編み上がり、家の形を成している。何者かの魔法で外観を保っていたのだろう。 サイファはさらに魔法を浴びせる。白いものが到達した、と見る間に炎が収まった。そして収まったと見えた途端に草が動きを止め、何かきらきらとした物に覆われる。 草の家は凍っていた。それを確かめたサイファは胸の前で手を打つ。激しい衝撃音がした。 「あっ」 誰の声だったのだろうか。あるいは三人が同時に上げた声だったのかもしれない。凍りついた草はサイファの放った音に押し潰されるよう、砕け散っていた。 「終わった」 仲間の元に戻ったサイファの、たったそれだけの言葉に一行は驚愕を隠せず彼を見つめた。 「どうかしたか」 いぶかしげに首をかしげるサイファに向かって口を開いたのはアレクが最初だった。 「アンタって、便利ね」 皮肉げな口調だが、その影に魔術師への畏敬が潜んでいる。 「この能力が必要だったはずだろう」 あまり気分のいいものではない、とサイファの言葉は幾分冷たかった。 「サイファ」 不意にウルフが呼びかけ、横を向いたときには腕に若造がすがりついている。じろり、と見てもこたえない。もう少し落ち込ませておいたほうが平和だった、そう臍を噛んでももう遅い。満面の笑みでウルフが見上げていた。 「すごいね、やっぱり尊敬する」 「なにをいまさら」 「だってさ」 「今までだっていくらでも見てきただろうが」 「でも、何度見てもすごいなって。俺も早くサイファに褒められるよう、頑張んなきゃなー」 「……当分無理だな」 「ひっでぇ。もうちょっと、こう、やる気にさせてくれてもいいじゃん」 先程までのあの落ち込みようはいったいなんだったのか。頭を抱えたくなる。嬉しげに笑みを浮かべて肩に額を寄せている。硬い鎧が当たる感触がたまらなく嫌だった。 「痛い。離せ」 「あ、ごめん」 謝ったもののウルフは離そうとはせず、気持ちばかり腕の力を緩めただけ。それを振りほどこうとすれば兄弟が忍び笑いを漏らしているのが目に入る。 「なにを笑っている」 言ってからしまった、とは思った。案の定、物言いたげにアレクが笑いそれからそっぽを向いて盛大に笑い始めた。 「兄が失礼を。すみません」 「……そういうお前も笑っているが?」 「気のせいです」 「どこがだ!」 つい、言い返してしまったのがまた笑いを誘ったのだろう、アレクがこらえられずに座り込んで腹を抱えた。 「あのさ……、危ないんじゃないかなぁって思うんだけど」 「それもそうだ。移動しよう。兄さん、行くよ」 「に……兄さんって、呼ば……呼ばないでよ!」 「いいから。行くよ」 そっけないシリルの言葉にアレクは振り返り、そして弟もまた必死で吹き出すのを耐えているのだと知った。それににんまりとし、シリルの代わりに吹き出した。 「アレク、いい加減に」 「もう、大丈夫です。これ以上は、笑わせませんから」 シリルが請合ってもあまり嬉しくはないサイファだった。本人の口許が引き攣っていてはいくらなんでも信用はしがたい。 「サイファ、どうしたの?」 「なんでもない」 いつもどおり、何もわかっていないウルフの言葉にサイファは内心で安堵の吐息を漏らす。アレクの魂胆はわかっていた。彼ら兄弟でウルフに恋心を自覚させようとでも言うのだろう。もっとも、シリルがどこまでそれに加担しているのかはサイファにもわからなかったが。 「さ、行きましょう」 シリルが兄に手を貸して、と言うよりもむしろアレクの手を持って引きずり上げては立たせる。 「いや、移動はしないでいいだろう」 「どうしてですか?」 「そこの空き地の端に結界を張る」 「……危険ではないでしょうか」 「外からは見えないし声も聞こえない。仮に何者かが現れても我々がいることにすら気づかれない、と保証する」 「そうねぇ、坊やの体調も心配だしね。そうでしょ、サイファ?」 ようやく立ち直ったアレクの差し出口にサイファは心底嫌そうな顔をした。図星を突いているだけに違うとは言えないのだ。 「まぁ、それもある」 下手な嘘をつくくらいならばさっさと認めたほうが後々の身の為だ、とサイファはあっさりアレクの言葉にうなずき返す。それにいささか驚いた顔をアレクはし、唇の端で微笑った。 「では、サイファ。お願いします」 またアレクが余計なことを言う前に、と気遣ったシリルが早々に口を挟んだ。それに思わずサイファは微笑む。 「ずるいよなぁ」 ぼそり、とウルフが言うのが聞こえた。サイファは力の限り聞こえないふりをする。 「私は用があるんだ。離せ」 まだ取られたままの腕を嫌がらせのように見つめ、サイファは言う。ウルフはサイファに倣ったたものか聞こえないふりをしてあらぬ方に視線を飛ばす。 「離せ」 ことさらゆっくりと、低い声で言うのに、ウルフは振り返る。まったく効いた様子はなかった。 「じゃあさ」 「交換条件が出せる立場か?」 「だってずるいじゃんよ。サイファってさ、俺のほう見て笑ったことなくない?」 咄嗟に言葉が出てこなかった。そう言うのだろう、と思っていたにもかかわらず、聞こえてしまうと何をどう言い返していいものか迷う。 「でしょ? だからこっち向いて笑ってくれたら離してあげる」 嬉々としたウルフにサイファは黙った。聞こえよがしの溜息をつき、そして改めてウルフを見た。期待に輝いている澄んだ目がある。 「よくわかった」 サイファは笑った。恫喝をこめて。そして思い切りウルフを振りほどき、ついでにひとつ、頭を殴る。 「いってぇ。サイファ、そうじゃなくってさー」 「まだ言うか!」 「……あの、いい加減に」 「わかっている!」 恐る恐る言葉を挟んだシリルに一瞥も与えず、サイファは足音高く元の空き地の端まで戻った。 「馬鹿ねぇ、坊や」 「だってずるいじゃんか、いつもアレクばっかさ」 「どこがよ? アタシがサイファの笑顔見て、なんか楽しいとでも思うわけ?」 「アレクは知らないけど、俺は楽しい」 「……坊や。いい度胸だけどね、サイファの肩が震えてるの。やめてあげなさいな」 まだずるいのなんのと言っているウルフの声をサイファは眩暈のうちに聞いていた。あのようなことをきっぱりと言ってのけるのは確かにいい度胸だ。このふつふつと湧いてくる怒りのやり場がないのだけが悔やまれる。 ふと思い立ち、サイファは手の中に炎の玉を作り上げた。それを草の家の残骸にぶつける。爆音に仲間の声がようやく止まった。少しばかり気の晴れたサイファは振り返り一行を呼び寄せる。仲間が顔を引き攣らせているのをサイファはあえて見て見ぬふりをし、口許だけで、笑った。 |