土埃が天を霞ませている。いかに大きな爆発だったか知れると言うものだ。一行がいる場所からあの丘はずいぶん離れている。それでも埃が舞っていた。
「ちょっと休んでからにしましょ」
 アレクの言葉に全員がうなずく。側にあった岩の陰に腰を下ろして携帯食を一口二口と齧った。
「サイファ」
「なんだ」
「疲れてるんじゃない? 大丈夫?」
「まったく問題はない」
「……本当に?」
 ウルフが下から覗き込む。わずらわしげにサイファは顔をそむけた。
「サイファってば」
「大丈夫だと言っているだろう」
 鬱陶しい、と手で払う。それにウルフは唇を尖らせてまだ何か言いたげにしていた。
「ウルフは心配なんですよ、あなたが」
 笑ってシリルが介入する。
「だが」
「ほら、あなたは治癒が得意ではないでしょう?」
「それはそうだが」
「ウルフには真言葉魔法と契約魔法の区別はつきませんよ」
 シリルに指摘され、ようやくサイファはそこに気づいた。思わず納得してうなずいてしまった。それをウルフが目をきらきらとさせて見ては説明を求めている。
 困難なことだった。そもそも真言葉魔法がなんであるかが理解できていないというのに、別の魔法の概念を説明するのは無理、と言うもの。サイファはうなり、唇をきつく結んだ。
「とにかく、大丈夫だ」
 結局、そう言うに止めた。呆れ顔でアレクが見ている。
「なにそれ、酷いよ。ちゃんと説明してよ」
「お前には無理だ」
「頑張るから」
「大丈夫だから」
「ねぇ、サイファ……」
「私を信じろ」
 言った途端、アレクが笑い出す。ちらりと見ればシリルと二人、顔を見合わせているではないか。
「何か言いたいことがあるならば言え」
「ううん、アンタって上手だなぁ、と思って」
「なにがだ」
「いいの、いいから」
 笑いの衝動に途切れ途切れのアレクの言葉にサイファも呆れてそれ以上の追及はやめた。もっとも、信じろと言ったら急にウルフの顔が明るくなったから、そのことをからかわれているくらいはわかっている。だがサイファにはあれが最善だった、と思えるのだから仕方ない。
「信じるよ」
 追い討ちをかけるよう、ウルフが言いサイファの肩に額を押し当てる。跳ね回る赤毛が頬に当たってくすぐったかった。
「離れろ」
「ん」
 妙に素直に離れたのさえ、気にかかった。
「でもサイファ」
「まだなにかあるのか」
「だって。ほら、空飛んだじゃん。あれって契約なんとかじゃないんでしょ?」
 ここに降り立ったときのことを言っていた。爆発に巻き込まれないよう、魔法を放つ瞬間にサイファは一行の周りに障壁を張り、そしてそれごと外に飛ばした。結局、丘が吹き飛んでしまったので空中を浮遊することになってしまったのだった。
「やめて!」
 アレクが絶叫する。両手で体を抱いてさも嫌そうに顔を顰めている。
「どうしたの?」
「アンタ、よく平気だったわね」
 サイファもその言葉には同感だった。魔法空間にいるときはあれほど怯えているよう見えたのに、魔法で浮遊するのは平気だった、と言うのは解せないのだ。
「んー。俺は楽しかったけどなぁ」
「どこがよ!」
「えー、だってさ、空飛んでみたいとか思ったことない?」
「ないわ」
「ほんとにー?」
「……なくはないけど、でも怖かったの。もうやめて」
 真剣に怖がっているアレクを見てはウルフがにんまりと口を歪めている。その兄の肩をシリルが抱くのを見るにいたって、サイファは半ば演技だと知った。兄弟から顔をそむけ、苦笑する。
「でさ、あれって疲れるんじゃないの」
 まだしつこく問うてくるウルフにサイファは諦めて懇々と説明することにした。まったく疲れないわけではないが、攻撃魔法よりは疲れないこと、たいした努力も要らないことなどを懇切丁寧に、ウルフがもういいからやめてと懇願するまで説いた。
「ほう、もういいのか」
「うん、いい。わかんないけど、わかったからいい」
 具合が悪そうに頭を抱えるウルフを見て一行が笑う。実際の所シリルでさえも半分程度しか理解できないのだ。魔法に縁のないアレクはもちろん、学問ということに対して適性のないウルフは気分が悪そうに呻いていた。
「さぁて、坊やで遊んでないでそろそろ行きますか」
 茶化してアレクが言うのは、きっとウルフを救うためだったのだろう。このまま嫌味たらしいサイファの講義につきあわせていたら熱でも出しかねない。
「ちょっと待て」
 不意にサイファが言い、両手で髪をさばいた。軽く髪を束ねようとして、ウルフの視線に気づく。だからやめてしまった。その代わり両側の髪を細く取って編む。そして二本まとめて後ろで束ねた。結ぶ物がないので手近な長い草をちぎっては魔法で強化して留め紐に代える。
「サイファ……」
 うっりとしたウルフの口調にサイファはじろりと視線を向け
「可愛いなどとぬかしたら一生後悔させてやる」
 低い声で恫喝した。が、アレクの華やかな笑い声に遮られて効果は今一歩薄い。
「サイファってば、アンタ可愛いって言われんの当然みたいに」
「この顔を見ろ。言う気なのは自明だろう」
「それにしても……楽しいわ、アンタって」
 どこがだ、と問いかけてやめた。またろくでもないことを言い出してウルフが反発するにしろ同調するにしろ厄介なことになるのは目に見えている。溜息ひとつでサイファは忘れることに努めた。
「草で留めるのって、難しくないですか?」
「それほどでも」
「僕には難しそうですが」
「魔法で強めてあるから、普通の紐と同じだ」
「あぁ……なるほど。でもやっぱり魔力の無駄遣いに思えます」
 言ってシリルが前にも同じことを、と笑った。その話を聞いてウルフが何かを考えたような顔をする。ちらり、と視線を向ければ慌ててなんでもない、と首を振るのが怪しい。が、サイファは無言を通した。
「髪、邪魔じゃないって言ってたじゃない?」
 そういえば以前、アレクが髪を編むのにそう答えた覚えがあった。サイファは首を振り、顎で眼前の草原を示す。
「お前は罠だ、と言っただろう?」
「えぇ、どう見てもね」
「私も少し危険だと思う。咄嗟のときに髪が邪魔にならないようにしたい」
「アンタが言うとちょっと怖いわね」
 少しも怖がってはいない口調でアレクは言い、そして草原を見た。さすがに多少は緊張しているらしい。顔つきが精悍だった。
「ねぇ、なんで罠なの?」
 このどう見ても怪しげな草原を見てもウルフは何も感じないようだった。シリルがあらぬ方を見やり、サイファは隠れて溜息をつく。アレクだけが盛大に笑った。
「こんな所にね、坊や。どうぞここを通ってくださいって道があるのがおかしいの、わかる?」
「だって、道なくちゃ困るじゃん」
「誰が?」
「……住んでる人」
「どっかに人家が見える、坊や?」
「んー、俺には見えないけどさ」
「サイファにだって見えないわよ。こんなとこ魔物しか通らない。魔物に道は要らないわよ、どこでも通るんだから」
 その説明にもあまり納得が行かないのだろう、ウルフは首をかしげ、それからサイファを見る。サイファの髪を編んだ姿を見て緊張を推し量り、そちらに納得することにしたらしい。ようやくうなずいた。
「よくわかんないけど、警戒はする」
「いい子、坊や」
 茶化したアレクにウルフは拗ねて飛び掛り、あっさりかわされては叩き落される。つくづく、アレクに長剣を持たせてみたい、と思うサイファだった。
「さて、本当に進むか留まるか決めなきゃね」
 シリルの言葉に二人はじゃれるのをやめ、前方を見晴るかした。それからシリルがサイファを見る。
「どうですか」
 すでに日は傾いている。舞い散る埃でぼんやりと赤い光が草原の上に漂っていた。サイファは目を凝らし彼方を見やる。
「そうだな……夕暮れまで三時間と言うところか」
「ええ、それくらいだと思います」
「ならば少し早めになるかもしれないが、林がありそうだ」
「ではそこまで進みましょう」
 シリルの一言で事は決し、一行はうなずいて歩き出す。前に兄弟、後ろに二人。いつもどおりの隊列だった。
 なにが嬉しいのか、ウルフがしきりにサイファを横目で見ては微笑んでいる。剣から伝わってくる感情が、あまりにも強くてサイファまでうっかり楽しい気分になりかけ顔を引き締めた。
「言いたいことがあるならさっさと言え」
 だからそんなことを言ってしまったのかもしれない。ウルフの言葉など、わかりきっているものを。胸の内で溜息をつき、ウルフの言葉に備えた。
「なんか言いたそうに見える?」
 けれどウルフの答えは不思議そうで。サイファはかすかに唇を噛んだ。どうやらウルフは自分が嬉しい、と言うことさえ理解せずこちらを見ていただけらしい。
「ないならかまわん」
 きっぱりと言い渡してサイファは前方を見つめる。ウルフが何かを言いかけたが、今度はもう返事もしないと決めたサイファは堅く口を閉ざすだけだった。冷たく拒まれたにもかかわらず、ウルフの剣からはなぜか喜びだけが伝わってくるのを不思議に思いながらサイファは兄弟に続いた。




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