少しも変わらない景色を見ていると妙な気がする。空は混じりけのない青のままだったし、木々は時を止めたようすっくと空に向かって立っている。そのくせ吹き寄せた風に梢を揺らすのだ。
「やっぱ、ここ好きじゃないなぁ」
 サイファを膝に乗せたまま、ウルフが両腕を掲げて伸びをする。強張った体をほぐす、と言うより早くここを立ち去りたい思いを抑えつけているよう、サイファには思えた。
「同感だ」
 素直に同調したサイファを、ウルフが珍しいものでも見るような目で見ている。目許だけで笑って見せ、それからちらりと兄弟を見やる。どうもおかしな所で器用になって困る、サイファは明らかにアレクの悪影響だと感じた。そして悪影響、と断じるあたり、このまま幼い純情を持っていて欲しいと望んでいる自分に気づいては暗澹とするのだった。
「シリル、気分はどう?」
「そうだね、だいぶいいよ」
「坊やは疲れ、取れたの?」
「俺? 元々元気だし」
「そうよねぇ、坊やだものねぇ」
「それどういう意味さ」
 どうやらアレクはウルフと軽口を叩きあえる程度には回復したようだった。シリルの負傷は自分のせいだと思い込んでいるアレクをサイファは心配していた。シリルの怪我そのものよりもずっと。怪我は最悪の場合、魔法を使わなくとも時間が経てば治る。だが心の傷は。
「サイファはどうよ?」
 こちらを見る紫の目にまだ苦悩の影は残るものの、いずれ時が経てば消え去るだろう。そうサイファは肩の力を抜いた。
「あぁ、それほど疲れは残っていない」
「珍しいわね」
「なにがだ」
「アンタ、回復するの早いじゃない」
「ここは自然の環境ではないからな。時が止まっているのと同じことだから」
「ふうん、そういうもんなのねぇ」
 不思議そうにアレクがうなずく。サイファは、もしこれが仲間以外の人間だったら不愉快だったろう、と思う。半エルフの特性をあげつらわれるのは、あまり気持ちのいいものではない。単に種族が違う、とそれだけのこと。人間は羨んでも仕方のないことを羨み、そして敵視する。今までずいぶんと見てきたことだった。アレクをはじめ仲間たちは違う。差異は差異として興味深いと思っている、それだけのようだった。どちらが優れているでもない、互いに貴重な戦力で仲間だ、と。
 こんな風に思う人間もいるのだ、とあの半エルフたちに教えてやりたいと思う。が、無駄だろう。自分だとて半ば巻き込まれるようにして旅に出なければ彼らを知ることもなかった。人間の良い方の面を見ることのなかったあの半エルフたちには何を説いてももうだめなのだろう。
 死なない、と言うことは考えが凝り固まってしまう、と言うことでもあった。一度思いを決めたならば容易にはそれを変えない。また変える必要もないのだ。サイファも強引に考えを変える必要に迫られたから変わってしまった、と言うだけで旅に出る以前は人間を遠くで見ている分には興味深く面白いと思いこそすれ、とても信用する気にはならなかったのだから。今は少しだけ、信用してもいる。再びこんな思いを抱く日が来るとは彼を失ってから考えてもみなかったものを。サイファはそう内心で苦笑する。
 サイファは少なくとも隠れなかった。人間の敵意にさらされ続けて生きてきた。ここの半エルフは違う。迫害された思い出だけを抱いて生きている。もう彼らは変われないだろうと思えば同族として哀れだとは思う。最低限の滞在を許してくれた彼らのために、早々に立ち去るのがせめてもの情けかもしれない。
 そして自分は彼らとは違うのだ、と思う。自分には信じられる人間がいた。ただ一人ではあったけれど、全身を預けてもいい人間がいた。彼らには、いなかった。その違いは何よりも大きいのだ、サイファは思う。
「もう、ずいぶん良くなりましたから、あとは外に出てからでも何とかなるでしょう」
 シリルが体を起こしかけ、アレクに止められた。軽く睨むようにして弟を見つめている。どうやらシリルが言うほど、体調が整ったわけではなさそうだった。
「いや、もう少し待とう」
 確かに半エルフたちは哀れだったが、だからと言って仲間を危険にさらす気は毛頭なかった。
「俺は早く出たいんだけどさ、シリルがもうちょっと元気になってからの方がいいと思う」
「まぁ、ここはけっこう危なそうだしねぇ」
「んー。そうじゃないんだけどなぁ」
 アレクの言葉にウルフが小声で反論する。特段、彼に聞かせよう、と言うつもりではなかったのだろう。ただの独り言、だったのかも知れない。が、しっかりとそれを聞きつけたアレクがウルフに続きを促した。
「ここにいると、サイファが、さ」
 あらぬ方に視線をそらしてウルフが言った。頭を抱えたくなる。シリルを膝に抱いたアレクが吹き出すのをこらえている顔を見てしまったらなおのこと。
「あーら、坊やの優しいこと」
 茶化したアレクを睨みつけようと半身を起こしたサイファは目をみはる。アレクが和やかな目をして微笑んでいる。祝福の目だった。そんなことをされる覚えのないサイファは口を開きかけ、そして諦めた。
「何か言いたいことがあるならば、承るが?」
 そう、皮肉を言うにとどめて。無論、言葉の裏には口出し無用、場合によってはそちらにも介入する、と恫喝が含まれている。アレクは了承したのだろう、片目をつぶって次いで声を上げて笑った。
「すみません、サイファ」
 頭を抱えたいのはシリルも同じらしい。実に情けない顔をしてサイファを見ている。それを見ればサイファもそれ以上強くは言えなかった。
「ねぇ、なんのこと?」
「坊やは知らなくっていいことよー?」
「ずるいよ、それって」
「どこがよ? 坊やにはまだちょっと早いお話なの。大人になったら教えてあげる」
 艶然と笑ったアレクにウルフは言葉もない。見惚れたわけではなく、子供扱いに憤っているのは明らかだった。腕を振り上げて何かを言いかけたウルフの手を下からサイファが掴む。
「サイファ?」
「ただでさえ面倒なんだ。お前まで厄介を起こすな」
「だって、アレクが」
「いいから」
「それってサイファのお願い?」
「……そうだ」
「じゃあさ」
 目を煌かせてウルフがサイファを見つめる。胸の中、舌打ちをした。止めるのではなかった。せっかく話がそれたはずなのに自分で窮地を招き寄せてしまった。
「絶対に嫌だ」
 ウルフが言うより先に拒絶する。
「まだ俺、なんにも言ってないじゃん」
「どうせ、ろくでもないこと言うに決まってる」
「まぁ、そうだけどさ」
「そうって自分で認めてどうするのよ、坊やったら」
 退くも進むもならないサイファを救ったのは、やはりアレクだった。が、サイファとしてはもう少し穏健に救って欲しいと望むのだった。もっとも相手がアレクでは儚い望みではある。
「でもさ、俺だって」
 はっと息を飲みウルフが言葉を止めた。一行の全員が瞬時に体を起こし戦いに備える。一行の目の前の土が突如としてえぐれたのだった。
「サイファ」
 アレクの問う目に出会ってサイファはうなずく。
「魔法だ」
「これってちょっとまずいわよ」
「甚だしくな」
 にやり、アレクが笑う。シリルが戦力にならない今、アレクは弟を守る気でいた。紛れもなく戦う男の目。それを美しいとサイファは思った。女でいるよりもずっと。
「出て行け、すぐに!」
 声がしたのは直後だった。木立の向こう、ローブを着た半エルフがいる。
「やめてください、頼むから」
 あの指導者と思しき男がローブの男を後ろから止めていた。が、無謀とも言える力で振り払われる。そのローブの片腕が不自然にはためいた。男は隻腕だった。
「出て行け、汚らわしい人間!」
 その言葉に同調するよう、半エルフたちが姿を現し始めた。人間を見るローブの男の目には憎しみしかない。おそらく片腕は人間に切り落とされたのだろう。それを思えば目を瞑りたくもなる。
「人間め」
「殺してしまえ」
「放り出せ」
「魔族の餌にするがいい」
 口々に叫びだす。哀れさが、苛立ちに変わる。あまりの醜さにサイファは目の前が暗くなった。立ち上がり、ローブの男を見据える。
「尊い半エルフともあろうものが人間ごときと共にいるとは、汚らわしい!」
「貴様らの方が、よほど……」
 投げつけられた言葉に唇を噛みしめ、サイファは言い返そうとする。それを止めたのはウルフ。そっと手を握られた。見ればウルフの目にあるのは哀れみ。おそらくサイファが察したように隻腕の男の事情を見て取ったのだろう。
「下賎な人間に触れさせるなど、半エルフにあるまじき行い。貴様は穢れた。出て行け、出て行くがいい!」
 ウルフの手をサイファは握り返す。恫喝も露な顔で微笑み返し、隻腕の男を見つめた。と、激高した男が魔法を放つ。ずぶり、先ほどと同じ場所の土が舞い上がった。呪文を拡大する身振りをすることができないにしては見事、と言わねばなるまい、とサイファはえぐれた地面を見た。
「人間など、人間など……滅びてしまうがいい」
 そしてさらにもう一度。ようやく立ち上がった指導者がローブの男にすがりつく。
「いつまでも恨みを抱えて生きるのはさぞ楽しかろう」
 小さな声だった。だが嘲笑と言うものは遠くまで良く響く。半エルフたちの顔色がさっと変わるのが見える。
「私の仲間たちの誰が貴様らを害した。人間人間と気安く言うな。下衆どもめ」
 手の一振りでサイファは隻腕の男を張り倒す。魔力に打たれた男はそれでも立ち上がり、サイファを睨んだ。
「サイファ、そういう言い方は良くないよ。だって――」
 ウルフの言葉が止まる。今度は自分の意思で止めたわけではなかった。
「ウルフ!」
 破裂音がした、と思ったときには遅かった。ウルフの肩の肉が弾けた。隻腕の男の哄笑が聞こえる。熱い血が、ウルフの血がサイファの頬に飛んだ。
「大丈夫」
 青ざめた顔で笑って見せる。大丈夫なわけはなかった。肩からは血が流れ続けている。呆けたように手で押さえた。




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