一行は目を見張っていた。サイファとても例外ではない。彼らの周囲を囲んでいるのは弓に矢をつがえた一群。その誰もが美しかった。
「立ち去れ」
 狙いを定めたまま、彼らの指導者と思しき男が口を開く。後ろでひとつに束ねられた髪は黒く艶やかだ。見れば誰もが黒髪だった。
「少しでいいのです。時間をくれませんか」
 体を起こし、シリルが言う。声が震えているのは傷の痛みよりも驚異に打たれたせいだろう。
「だめだ」
 一言の元に拒否され、アレクの顔色が変わった。そっと後ろからその肩をサイファが掴んだ。
「……あなただけならば、かまわない」
 最前の男がサイファに向かって言えばウルフの顔までもが青ざめる。
 男たちは半エルフだった。問うまでもない。その人間ではありえない美貌が語っている。サイファは驚愕に声もなかった。これほどの数の同族を見たのはいったいどれほど前になることか。もう何百年と半エルフの集団など、見た覚えがない。
「サイファ」
 片手が重たくなる。視線を動かさずともウルフがすがったのだとわかる。それを見た半エルフが顔を顰めた。
「それような下賎な種族と行を共にしているとは、いかなる理由かお聞かせ願いたい」
「物を問うならばまず武器を下ろすのが礼儀だと思うが」
「……人間などと言う野蛮なものがいる以上」
「ならば言葉をかわすに値しない」
 サイファの、いままで聞いたこともないきつい口調に一行ははっと彼を振り返る。ウルフが抑えて、とでも言いたげに手を握っていた。
「我々を侮辱するおつもりか」
「それ以外になんと聞こえた」
「こちらが礼を尽くしていると言うのにも……」
「礼を尽くす? 若い半エルフの間では客に武器を向けるのが礼か? ずいぶんとしきたりも変わったものだ」
 冷ややかな嘲笑に男は言葉をなくし、手振りで仲間に武器を下ろすよう示した。
「サイファ、そういう言い方ってよくないよ。こっちだって武器持ってんだし、警戒して当たり前じゃん」
「口を挟むな、人間め」
 そう、ウルフに蔑みの言葉を投げつけた途端だった。男が喉を詰まらせる。両手でなにかを引き離そうとするよう首の辺りをかきむしるのだが、果たせずもがいた。
「言葉に気をつけてもらおうか」
 サイファが手を振れば、男ががくり、と膝をつく。それでようやくその場の誰もがサイファの魔術であったと知った。半エルフでさえ気づかなかったのだと知ったとき、一行は彼らがサイファにだけは敬意を表した理由を理解したのだった。
「あなたは人間ごときに、なぜ」
「ごどきごどきと言わないでいただこう。彼らは……仲間だ」
 少しばかり言いよどんだが、サイファははじめて仲間と口にした。握られたままの手が温かくなる。きっと時と場合を考えずウルフがこちらを見ては嬉しげに微笑んでいることだろう。そう思えばとても彼の顔を見る気にはなれなかった。
「確かに人間は役に立つことも、ある。奴隷のようなものだと解しているが」
「無論、知っていることと思うが。半エルフといえども頭を失くせば死ぬぞ」
「……っ」
「貴様らと私では言葉の定義に隔たりがあるようだ。仲間という言葉を貴様らは奴隷と定義してるらしい」
「違う、そうでは……」
「ならばなぜそのようなことを言う」
「あなたは善き時代をご存知と見受ける。そのような方がなぜ人間と」
「神人がいた時代を確かに私は知っている。それとこれとになにが関係がある。たかが年齢、我々にとって意味を成さないものに敬意を払うならば時を貸せ。このような場所にいつまでもいたいとは望まん」
「……どれほど」
 苦衷の滲む声だった。ここに人間がいる、それだけで彼らにとっては苦痛なのだろう。それを察しないではなかったが、サイファは黙殺しシリルに問うた。
「半日もあれば充分です」
「そういうことだ」
「わかりました。それまでの滞在を許します」
「感謝する」
「私は……」
「名乗る必要はない。貴様らと関わりたくない」
 感謝する、と言った口でそのようなことを言い放つサイファをウルフが抑える。が、今のサイファは激高していた。短い付き合いのウルフが制止できるようなものではなかった。
 ふっと隣の気配が暗くなる。サイファはちらりと視線を向けウルフがうつむいているのを知った。彼まで面倒を持ち込まないで欲しい、と内心に溜息をつく。そして握られたままの手に力を入れた。
 言葉を発せずウルフが顔を上げる。握り返された手に驚いているのだろう。噛みしめていた唇が赤かった。
「噛み切るつもりか。私の手間を増やすな」
 半エルフの一群への、あてつけだった。かすかに微笑んでサイファは反対の手を上げウルフの唇に触れる。妙なところで勘の鋭いウルフはそれと悟ったのだろう、苦笑いをしてうなずいた。視界の端でアレクが笑いをこらえている。
 あてつけだったはずだか、どこか胸が温かくなって困惑した。やはりウルフは面倒だった。音を立てずに包囲した半エルフがサイファの行動に驚いたのだろう、足音を立てて下がる。
「いつまで眺めている」
 振り返りもせずサイファが言葉を投げつければ、蜘蛛の仔を散らすよう半エルフは消え去った。
「サイファ……」
 顔色をうかがうよう、ウルフが名を呼んでいる。サイファは答えなかった。情けなくて悔しくて、とても今はウルフと会話する気になれない。
「横になっていろ」
 シリルにそれだけを言う。彼は黙ってうなずいてアレクの膝を枕に横たわった。その顔が気遣いにあふれていて、だからこそサイファは恥じているのだった。
「ねぇ、サイファ」
 シリルの髪を撫でながらアレクがこちらを見ていた。
「なんだ」
「さっきアンタ若い半エルフって言ったわよね」
「言ったがどうした」
 アレクに当り散らしても仕方ない、とわかっているのだが、サイファの語調は知らずきつくなってしまう。そんなサイファにアレクは苦笑し、言葉を続けた。
「アタシには区別がつかなかったの」
 サイファの苛立ちなど気づいていないと、そんなふりをしている。ふりだ、と言うのは良くわかっていた。兄弟そろって他者の痛みに対する心遣いはまったくたいしたものだ。サイファはひとつ大きく呼吸をし、ささくれ立つ心を静めた。
「つかないだろうな」
「そりゃね。だって若いって言ったって、当然千歳は超えてるわけでしょ? わかんないわよ」
「そうだろうな」
 思わず苦く笑ってしまった。人間から見れば千も千五百もたいした違いではない。いずれにしろ彼らにはありえない年齢なのだから。
「きっとね、すごく嫌な目にあってきたんでしょうね」
「……そうだろうな」
 アレクの言葉の裏を考えてしまう。サイファは人間の良い面も悪い面も見てきている。が、あの半エルフたちはきっと人間に迫害された記憶しか持たないのだろう。
 だから許せ、と言っているのか。アレクをじっと見つめた。サイファに言ったことなどたいした意味を持たないとでも言うよう、シリルのまだ濡れた髪を撫でている。
「アンタ、あの村の人間には優しかったわよね」
 視線を動かせずただそれだけを。
「違う、サイファ?」
 ふっとこちらを見た視線の和やかさにサイファは打たれた。自分など、まだ人間に恨みを残している。薄れることのない記憶が過去の自分を責め苛んでいる。
 アレクはどうなのだろうか。不意に彼の過去に興味がわいた。傷つくことを多く知るからこそこの男は優しい。突然そう気づいたのだった。
「サイファも横になったほうがいいよ」
 そっと口を挟んだウルフに今度は素直に従った。抗いもせず、サイファはシリルと同じよう、ウルフの膝に頭を乗せる。頬に当たる人間の体温がなぜか悲しい。重く水を吸った髪をウルフが不器用に解きほぐしている。少しでも風に当てて乾かそうとしているのだろう。胸が詰まった。
「俺さ、ここが旅の終点なのかなって思ったんだ。最初ね」
 ぽつり、とウルフが言った。兄弟は聞かないふりをすることに決めたらしい。二人で密やかな言葉をかわしている。その方が気が休まるのかもしれない。
「半エルフは旅に出るって、サイファ言ったよね。こんな綺麗なとこが終点だったらいいなって、思ったんだ」
「綺麗か?」
「だから最初は。今はあんまり好きじゃない」
「どうして?」
 珍しくウルフの言葉を欲した。幼い人間の声を聞いているのが心地良い。苛立った気持ちが緩んでいくのを感じている。普段だったらきっとそれに反発を覚えるのだろうが、今はたぶん疲れているのだろう、サイファはそう思う。
「うまく言えないけどさ、生きてるって感じがしないよ、ここ」
「充分、うまく言っている」
「そう? やった」
 たったそれだけ。褒めたとも言えない言葉にウルフが喜んでいる。嘘偽りないのはその剣から伝わってくる感情で明らかだった。髪を梳いていた指が頬に触れる。冷えていた。
「ここじゃサイファは幸せじゃないと思う。だからかな、あんまり好きじゃないのは」
「幸せ、か」
「だって旅の終着点はやっぱ、幸せなほうがいいじゃん」
「どうなんだろうな……私にはわからない」
「幸せなはず。わかんないなんて言ってたらいつまで経ってもわかんないんだって」
 きっぱりと、断言するウルフが羨ましかった。ただ、それでいいのかもしれない。人間だからではなく、そう考えるウルフの健全さと言うものをサイファは少しずつ好みはじめていた。ウルフだけではなく、仲間たちの、だと思いなおし、そしてそんな自分に苦笑しながら。
 冷たい手を自分の手の中に包み込んで温めれば、ウルフの驚いたような、それでいて嬉しげな気持ちが剣を通してサイファに伝わるのだった。




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