駆け戻った場所では想像通りのことが起こっていた。ある意味では正しく、別の意味では想像以上のことが。
 ウルフとシリルが剣を構えて立ち向かっていた。美しい、野営に最適の場所と一行の誰もが思った湖のほとりが戦いに荒れていた。
「シリル!」
 アレクの声に一瞬、シリルが振り向いて笑う。そのすぐ後、剣を振るって敵の剣をかわした。
「なんてことよ!」
 アレクも剣を引き抜いて敵に向かう。野営地には、リザードマンが襲い掛かってきていた。おそらく下の沼地から一行を殲滅しようと登ってきたのだろうとサイファは思う。
「ウルフ」
 サイファの声にウルフは振り返ることなく敵に向かう。ちょうどサイファの前面に。呪文を唱え終わるまでの盾になる、と行動で示した。
「アレク、後ろ」
 シリルの声が飛び、アレクが剣を振る。戦士たちが使う剣より短いアレクの小剣は正面からの接近戦等には不利だった。が、それを剣の腕でなんとかしのいでいる。
「坊や、横」
 その上ウルフへの指示までしているのだから、あるいは長剣を持たせたならば戦士たちと同等以上の働きはするのかもしれない。
 アレクの声に従って、ウルフは体を開いてリザードマンの剣をかわし、その動きのままに別のリザードマンへと剣を叩き込む。ずるり、腕が落ちたリザードマンが吼え声を上げてウルフに向かった。
 そこにサイファが呪文を叩きつける。正に投げつける、と言っていい勢いだった。魔法に巻き込まれた三体のリザードマンが頭から凍る。鈍る動きから逃れようと身をよじるが、果たせず少しずつ霜に覆われて行った。
「効率が悪いわよ!」
「他にどうしろと言う」
「焼いちゃえばいいでしょ!」
「こんな所で火が使えるか。山火事起こす気はない」
 アレクが舌打ちをし、その隙にと襲い掛かってきたリザードマンはあえなく喉に剣を突き立てられる。どろりとした血がアレクの頬に吹きかかる。
 アレクにはああ言ったものの、確かに氷系の魔法は効率が悪いのは確かなのだ。燃やすよりもずっと範囲が狭まってしまう。ただしこの場合、相手がリザードマンであるのが幸いした。本質的に爬虫類であるリザードマンは寒さに極端に弱い。
 サイファは同じ呪文をさらに飛ばして別の一群を巻き込んだ。凍らせたそれが万が一にも復活しないよう、アレクが叩き壊してまわる。その間に戦士たちはまだ無傷のリザードマンに剣を振るう。
「アレク!」
 シリルの絶叫めいた声に振り返りかけたアレクの動きが止まった。すぐ目の前にリザードマンがいた。肩を引き剣を構える。間に合わない。目を閉じることなくアレクはリザードマンを見据えた。冒険者の持ち物を奪ったのだろう刃毀れした剣がアレクの眼前に振り下ろされる、と思った瞬間リザードマンが苦鳴を上げてアレクに向かって倒れ掛かる。咄嗟に体をひねってかわした。
 リザードマンの体に後ろから剣を突き立てたのは、シリル。そしてシリルの脇腹に血の染み。
「シリル!」
 アレクの悲鳴を耳に聞きながらサイファは残るリザードマンに魔法をかける。数が多すぎた。氷の呪文ではなく、光の網でわずかでもリザードマンの足止めを図る。
「ウルフ、援護しろ」
 サイファの声にウルフは剣を引き、シリルを抱えたアレクごと守ろうと彼らのそばへと駆け寄った。
「滝だ、行け!」
 躊躇なくウルフと兄弟を守って湖に飛び込む。浅い水辺を通って滝まで辿り着こうとするがシリルの足がもつれた。
「つかまって」
 アレクがその背に弟を負う。その手をウルフが引き、少し深い場所を半ば泳ぎながら滝へと向かった。
「飛び込め!」
 辿り着くのを見てサイファは怒鳴る。滝の向こう、ちらりと何かが見えた。明らかにサイファの目は魔術的なものと認識している。少なくともリザードマンよりは安全だ、とも。
 仲間たちが飛び込んだのを確認してから、野営地に置いたままの荷物を引っ掴んでサイファも湖へと泳ぎ入る。まだ網の魔法は放せない。呪文を維持したまま泳ぐのは難儀だった。まして荷物も抱えているのだ。水気の多い場所で暮らすリザードマンに湖の中で襲われるのだけは避けたい。滝のすぐ近くまで来たとき、ようやく維持を解き、サイファは息をつく。そして滝裏へと飛び込んだ。
 仲間たちが呆然としていた。確かに滝に飛び込んだはずなのに、明るい陽射しがあふれている。それどころか木々が林となり、細い小道は散策路のように整備されていた。下草が丁寧に刈られているところを見ると、間違いなくここには動物ではないものが暮らしているらしい。
「サイファ……」
 不安げなウルフの声にサイファは辺りを見回す。リザードマンはここに飛び込んではこれないらしい。振り返ったそこに滝がないこともそれを証明しているようだった。
「完全に魔法空間だな」
「それって……」
「この場所は、ここに現実にあるのではない。何者かが魔法で維持している空間だ」
「じゃあ、誰かいるんだよね」
「何者かが、な」
 眉間に皺を寄せて辺りを警戒するサイファの手の中、ウルフの手が滑り込んでくる。わずかに震えていた。現実の場所ではない、などと言われれば人間は平静ではいられないだろう。魔術師であるサイファにはたいしたことではなかった。現に以前住んでいた塔は半分以上が魔法空間であった。そうでもしなければ魔術師の塔などと言うものは物があふれて、すぐに寝るところもなくなってしまうものなのだ。
「心配は要らない」
 不安だろう、と思って声をかけたのだが、やはりまっすぐにウルフの顔を見ることは出来なかった。アレクに言われたことが祟っている。あのように言われてしまったおかげで、妙に自分の行動が意識されてサイファは困るのだ。
「サイファ……」
 そのアレクの泣き出しそうな声が聞こえた。視線を向ければがっくりとシリルが膝をついている。慌ててそばに行けば頼りなげにシリルが笑った。
「すみません」
「アタシが悪いの、アタシが気づかなかったから」
「これは僕の義務……」
「そんなことを言っている場合ではないだろう」
 兄弟の言葉を遮ったサイファがシリルの傷口に手を当てる。深手、とは言わないが軽傷とも言えなかった。
「ウルフ」
 それだけでウルフはなにを求められているか理解したのだろう、荷物から布を引きずり出してサイファに渡す。
 幸いと言おうか湖に入ったために傷口は洗われている。細く裂いた布で傷口を縛って止血をし、それからサイファは呪文を唱える。治りは悪かった。
「どうして……」
「シリルは神聖魔法の使い手だ。こちらの魔法とは本質が違う」
「効かないの……?」
「違う。効きにくいだけだ」
「治らなかったら一緒じゃない!」
「アレク。大丈夫だから」
「どこがよ! そんな真っ青な顔してなにが大丈夫よ!」
「大丈夫。僕は死なないよ」
「シリル……」
 声を詰まらせたアレクの目がみるみるうちに潤んだ。当面の止血と、なんとか傷口だけは塞いだサイファはウルフを伴って一二歩ばかり、離れた。
「シリル、大丈夫かな」
「少なくとも死にはしない」
 小声でそれだけを言う。完治させたい、と思ってはいるのだが、今のサイファには負担が大きすぎた。そもそも治癒魔法は魔術師の得手とするところではない。こちらの体調が整っていなければ共倒れになる危険性さえある。ここがどんな場所かもわからない今、サイファが倒れれば全滅なのは目に見えている。だからアレクも無理を言わない。それが今のサイファにはつらかった。
「サイファ」
 ウルフの声にはっと気づいたときには手を引かれていた。その拍子によろめく。下草の中、倒れこんだ。
「少し、休んで」
 どこをどうされたものか、頭の下にウルフの膝がある。硬い戦士の膝枕など御免だった。が、体は休息を欲している。深く息を吸って吐く。体から重みが抜けなかった。やはりここは現実の森ではない、そうサイファは確信する。自然の中にいれば半エルフと言うものは人間より疲れが取れるのが早いものなのだ。
「サイファ、すみません」
 同じようにアレクの膝を枕に横たわったシリルが苦笑いと共に謝罪する。お互いに情けない姿だった。
「治してやりたいが、いまは無理だ。少し時間をくれ」
「大丈夫です。もう少し回復すれば自分で何とかできます」
「私のほうが回復は早い」
 種類は違えども同じ魔法の使い手。シリルにはサイファが無理をしたことがわかっていた。立て続けの攻撃魔法の挙句に治癒ではいくら半エルフといえども体が持たないと。
「サイファ、どれくらいかかる?」
 シリルの濡れた髪に指を這わせながらアレクが問う。くぐもった声が彼のどうしようもない不安を表していた。
「もうだいぶいい」
 ウルフの膝から起き上がりかければ彼が不満げに鼻を鳴らす。アレクがシリルを気遣っているように、ウルフはサイファの体調がたまらなく不安なのだろう。その手を振り返りもせず軽く叩いた。
「サイファ」
 答えずサイファは叩いた手にわずかばかり力を込める。握った、とも言えない仕種だったがウルフがぱっと顔を明るくし、次いでそれくらいでは騙されない、とばかりに後ろから伸びてきた手がサイファの顎先を掴む。
「なにをする」
「本当に、大丈夫?」
「いまここで私が倒れたらどうなると思う」
「全滅する」
「だから無理ができるような状況ではない。お前よりはよほど理解している」
 アレクの視線が気になった。こちらを見てなどいる余裕はないだろう。が、だからこそ若造とじゃれている暇などない。
「その手を離せ」
 冷たく言ってサイファがシリルの方へと体をかがめたときだった。物音ひとつしない間に周りを囲まれている、と知ったのは。




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