サイファはまだむっつりと口をつぐんでいた。泥に汚れたローブを湖ですすぐ。すぐ横ではウルフや兄弟がやはり同じように衣服を洗っている。固く絞りはしてもまだ濡れたローブをサイファはまとい、ようやく内心でほっと息をついた。いつまでも肌をさらしているのは本当に、心の底から落ち着かない。 「ちょっとサイファ」 「なんだ」 「アンタ、風邪引くわよ、それ」 「あぁ……」 「いくら嫌でもちょっと風に当てるかなんかして……」 そう言って焚き火の上に張ったロープを示した。確かにそこに干せばそう時間もかからずに乾くだろう。 「サイファ」 「なんだ」 「俺のでよかったら、着る?」 ウルフが荷物の中から自分の換えの着類を引っ張り出してきては手に持っていた。その頬に、先程思い切りサイファに平手打ちを食らった跡が赤々と残っている。 「いい」 そっけなく言ったつもりはなかったが、明らかにがっくりと肩を落としたウルフを見て、つい笑ってしまった。 「アンタ、酷いわよ。坊やの好意ってもんを」 「いや、そういうつもりではない」 「じゃあなによ」 「お前たちは私が何者か忘れてないか?」 薄く微笑った。 「え?」 ウルフの戸惑いには答えず、サイファは魔法を紡ぎ、解放する。みるみるローブから水気が飛び、瞬きする間に乾いて風にはためいた。 「貸せ」 一行の服を手に取ればそれもあっという間に乾いてしまう。 「アンタ、便利ね」 「もう少し他に言い様はないのか」 「そうねぇ、重宝?」 からかいの言葉と共にアレクは服を返してもらい、そして今度はきちんと礼を言う。 「ありがとうございます、サイファ」 シリルも微笑んで受け取っては感嘆の眼差しでサイファを見つめた。 たいしたことをしたつもりはなかった。単純にいつまでもその辺を裸でうろうろされたくなかっただけなのだ。肌をさらすのを好まない半エルフは、また他者のそれを見るのも好まない。 「なんだか少し、魔法の無駄遣いのような気もしますが」 「お前たちが焚き火を使うのと同じような物だ」 「そうですか?」 「所詮、道具だ」 「なるほど」 「ねぇ、サイファ」 ウルフが服を着ながら声をかけてくる。もぞもぞと動く有様が不器用で見ていられない。意識がサイファに向いているせいだろう、被った服から中々頭が出てこないで両手をあげたままもがいている。おかげで振り向いたサイファにしっかり腹が見えている。 溜息をついてサイファは手を貸す。乱暴に服を引き摺り下ろし、ようやく隠れた肌にほっとし、苛立たしげにウルフの頭を引っ叩く。 「いて。じゃ、なくてさ」 「早く言え」 そっぽを向いたサイファの視界の真正面。アレクがにやり、笑った。どうも調子が狂っていけない。 「髪、乾かさないと風邪引くよね?」 「いまやるところだが?」 「そっか、ならいいんだ」 言われてようやく気づいたのだが、そんなことはおくびにも出さず、サイファはもう一度呪文を唱え両手で髪をさばいて乾かす。だいたい人間ほど簡単に風邪など引かないのだ。 「アタシも」 言われてアレクの髪にも手を伸ばす。しっとりと細い金糸のような髪が手指にもつれた。向こう側、かすかにシリルが嫌そうな顔をした。アレクは、と見ればそれをしっかり横目で見ているのだろう。サイファに向かってシリルには背を向けたまま片目をつぶって見せる。呆れついでに笑ってしまう。まったくとんでもない兄弟だ、と。 「アレク、髪とかしてあげる」 「うん、ありがと。サイファもありがと」 弟に駆け寄り、満足げにアレクは微笑む。それを見てシリルがわずかばかり乗せられてしまった、と後悔したような苦笑を漏らしていた。 「お前は?」 「僕は短いからすぐ乾きますよ」 シリルの答えにサイファはうなずき、彼が手にする櫛の動きを見ていた。丹念で根気のいい仕事ぶりだった。 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「俺には聞いてくれないの?」 わざと聞かなかったんだ、とは思っても言えはしない。無言で見つめれば、そこにあるのは期待にあふれたウルフの目。 溜息をひとつ。片手で乱暴に赤毛をかき回す。指の間を抜けていく髪の感触がアレクと同じ人間の物なのに、彼よりずっと心地良い。これを知りたくないから声をかけなかったのだ、とサイファは認めたくないのだ。 「もうちょっと優しくしてよ」 「こうか?」 「痛いってば!」 笑いながら抗議をするなどと言う器用な真似をするウルフの髪を鷲掴んで引っ張った。 「もう、サイファ。お茶目は止めてってば」 「誰がお茶目だ!」 「サイファが」 「……もういい」 溜息をつく気力も失せてサイファは座り込む。焚き火が赤々と燃えていた。ぬくもりがあるとはいえ水に冷えた体には快い。 「サイファ、髪とかしてあげる」 「必要ない」 「俺がやりたいの」 「だから必要ない」 「いいじゃん、やらして?」 まったく噛合わない会話にサイファは意思の疎通を放棄した。アレクと違って放っておいても絡まることはないのだ、と説明するよりウルフの好きなようにやらせたほうがずっと話は早い。 サイファの返事がないのを了承と取ったのだろう。ウルフは自分の荷物から櫛を探し出してはいそいそとサイファの長い髪を手に取った。 「なんでそんなものを持っている?」 不思議に思ってサイファは問う。さほど長くもない髪なのでウルフが櫛を使っていたと言う記憶がない。 「うーん、身だしなみってとこかな」 「そのわりには使っているところを見たことがない」 「そうなんだよね、持ってるだけ」 言ってけらけらと笑った。どこから見てもただの人間の若造だった。無邪気といえば聞こえがいいが、人間のこの年齢でここまで無邪気だともう少し違う言い方をするような気がする。 が、困ったことにこの若造に髪を触られるのが嫌いではなかった。鬱陶しいと思いはするのだが、振り払いたいと思うほど嫌でもない。だから、反って拒みたいのだ。 櫛が髪を通っていく。官能的と言っていい感触に、サイファは身をゆだねてしまいたくなる。それを強く唇を噛みしめることで防いだ。若造の恋心を感じるのは悪くないが、それに乗せられてしまうのはなんとしても避けたい。 ふとウルフの手が髪を束ねるのを感じた。 「なにをしている」 「いいから、いいから」 鼻歌混じり、ウルフが髪を編みはじめた。覚束ない手指がサイファの髪に絡む。時折、引き攣れて痛かった。 「できた」 見るまでもない。下手くそな三つ編みだった。縛るものがないから、とウルフはまだ髪の束を手で押さえている。 「こっちの方が絶対可愛いよ、サイファ」 「……可愛いと言われて喜べとでも言うつもりか」 「だって可愛いから」 「いいからその手を離せ」 「えー。もったいない」 「いい加減にしろ」 半ば怒鳴りつけて離させた。まだ不満顔をしているウルフの頭を見れば、赤毛が盛大に跳ねている。わずかに口許を歪めてサイファは笑い、その髪をかきまわした。 ウルフの抗議に耳も貸さず、サイファは改めて自分の手で髪をさばいた。風が通って気持ちいい。ようやく息をつくことができた。ウルフに触られている間は落ち着かなくてならないのだ。 ウルフが側にいると調子が狂う。なぜこれほど平静でいられないのか、自分でも理解出来なかった。確かにこの若造は自分に恋しているらしい、だからだ、とも思う。反面、それは相手のことであって自分のことではない。かき乱される覚えはない、とも思う。 その若造に髪を束ねたところを見られたくなどなかった。首筋が見えてしまう。それがたまらなく嫌だった。いつも隠れている部分を見られる、と思うだけで心がざわめいてならない。そんなことでは咄嗟のときに反応が遅れてしまう。自分が落ち着いていなければ、仲間の命がないのだ。サイファはそう何度も自分の心に言い聞かせた。 何度も言わなければならないほど、言い訳めいた理由だった。 「サイファ、ちょっといい?」 物思いに沈みかけたサイファの耳に届いた声はアレクのもの。ふ、と目を上げればすぐそこに立っていた。気づかなかったとは不覚、とばかりに不機嫌になる。 「どうした」 「ちょっと話したいことがあるの、二人でね」 少しばかり嫌な予感がする。話したいことなどない、と突っぱねることもできたが、サイファは黙って立ち上がった。 「あっち行きましょ」 明るい笑顔のアレクが、なぜだかはわからないけれど空恐ろしかった。視線を感じて振り向けばウルフが不安そうに見ている。それに心配は要らない、と手を振って歩き出せば、かすかにアレクが笑った気がした。 |