青い炎を背に、男が魔法を編み上げていた。向こうではシリルとウルフがキマイラを相手取っている。アレクは例の小剣でインプを牽制し、戦士たちを普段とは逆に守っている。 「偉大なるマブデン様に逆らった罰を受けるがいい」 男が伸ばした掌から炎が噴出した。サイファは動かない。視界の端にそれを収めたウルフが青ざめたほど長い間。 「これが罰か?」 サイファは笑っていた。炎の風に躍り上がった髪が頬にまとわりつくのを払いもせず、じっと立ったまま。轟く炎は差し伸べたサイファの手へと吸い込まれ、消えていく。 「ぬぅ、やるな」 シリルが山羊の喉に剣をつきたてる。貫けない。さらにもう一度、今度は切った。吹き出る血から飛びすさり、シリルは剣の血を払い落として蛇へと切りつける。 「ザシ・サハンカァ」 男の唇から呪文が漏れる共にサイファに火球が向かってくる。 「こんなものが?」 軽く手を払う動作だけ。ただそれだけでサイファは火球を消した。呪文を唱えているようには見えなかった。 「ザジ・ドガ・サシハンカァ」 風を伴った火球。冷静さを欠いた魔術師は次々と魔法を放つ。 「からくりくらいは見せてやろう――『ネ』」 「な! 馬鹿な!」 サイファは手を振りもしなかった。動くことなく口にしたのは「ネ」の一音のみ。それで相手の魔法は解け消えた。 「否定語の一語のみだと、馬鹿な!」 「世の中は広いものだ」 「偉大なるマブデン様にかなう者など……」 「ここにいるが?」 いっそ明るい、と言っていい笑いだった。頭に血を上らせ、うろたえた男はさらに魔法を編み上げサイファに襲い掛かる。 恐ろしい悲鳴が聞こえた。ウルフがドラゴンの首を切り落としていた。吹き上がった血がウルフの半身を赤く染める。薄ら笑いを上げたインプがアレクに飛び掛り、小剣をかいくぐってアレクの顔に爪を立てようとする。咄嗟に伸ばした腕でアレクは防御し、けれど頬に掠り傷を負った。 「アレク!」 シリルの声にかまうことなくアレクは小剣を振り、そのインプを切り捨てた。声を上げて飛び掛ってくるもう一匹を、今度はいつ側に戻ったものかウルフが切る。一瞬、ウルフに感謝の眼差しを送ってシリルはキマイラのただ一つ残った獅子の首に向かって剣を構えた。 「わずらわしいな」 最前と同じよう、手をひらめかせただけで男の魔法を振り落としたサイファは一人ごちる。無論、男に聞かせるためだった。 「この、この……」 「偉大なるマブデン様に逆らうとは、か?」 嘲笑もあらわに言うサイファに向かって男がさらに呪文を飛ばした。 「イルシハンルゥ」 まっすぐに伸びてきた電光がサイファを貫こうとする。サイファはよけもせずそれを消し、そして楽しむよう、同じ魔法を編み上げる。 「イルシルゥ」 指し示した指先から男と同じ、それでいてずっと正確な雷光が飛んだ。飛びすさった魔術師の、その肩が焼け焦げくすぶった血の匂いがする。 「そんな……馬鹿な……」 よろよろと足を振るわせた男に追い討ちをかけるよう、サイファは光の網を放ち、捕らえる。 「こんな、馬鹿な」 断末魔の雄たけびと共に強い血臭。ごとり、キマイラの獅子の首が落ち、魔獣はついに大地に倒れた。 「遊びは終わりだ」 冷たく言い放ったサイファは光の網を引き絞り、魔術師の皮膚を切り裂いた。 「こんなことをして……ただで済むと思うな……」 血の網に覆われたように全身を切られつつある男が笑う。ぎょろり、と剥いた目が狂気を深くする。 「偉大なる……マブデン様の……仇は、きっと我が主がとって……くださ……っ!」 ごぼごぼと喉が鳴った。それで終わりだった。サイファは光の矢で念のために止めを刺し、それから網を解放した。青い炎はキマイラが死ぬと共に溶け消えて、今は燃え残りの納屋が上げる炎のみ。ごく当たり前の赤い炎だった。 「アレク!」 駆けつけたシリルにアレクが支えられていた。インプの爪には毒がある。頬に受けた傷から入り込んだそれがアレクの体にまわりはじめたのだろう。シリルが頬に手を当てて解毒のであろう呪文を唱えている姿が目に入った。 「サイファ」 ウルフが駆け寄ってくる。ちらり、目を見かわし二人は少女の元へと急ぐ。怯えきった少女が無事であることを祈らずにはいられない。 「近づくな!」 強張った声。いつのまに出てきたのだろう、村人がそこにいた。少女の側で粗末な剣を構えて二人を威嚇する。 「無事かどうか、確かめにきたんだ」 「来るな、魔術師の仲間め!」 「え……」 「魔術師はいないって言ったから村に入れたんじゃないか。嘘つきめ!」 村人の剣は震えていた。少女はその背に隠れ我と我が身を抱いてすくんでいる。無駄を悟ったのだろう、ウルフが首を振ってサイファに戻ろう、と無言で促す。そのサイファの背中に硬いものが当たった。石礫だった。戸口から顔を見せ始めた村人たちが手に手に石を投げている。 「なにするんだ!」 大声を上げたウルフが自分の体でサイファを庇う。が、石礫は勢いを増し続けていた。ウルフの肩に手をかけわずかばかりの逡巡の後、サイファは結界を張ることに決めた。自分はこの程度で怪我を負いはしない。が、ウルフは。 そう決めた途端、二人の周囲が輝きに包まれる。礫は見えないものに当たったかのように弾き飛ばされた。 「サイファ? 違うよね」 「そう思うか」 「なんか、サイファの魔法と感じが違う」 群衆の中で悠長な会話をしている場合ではなかったが、ウルフの勘のよさにサイファはかすかに微笑んだ。 「……すぐにわかる」 何かを言いかけてやめたサイファが振り返った。と、そこにアレクを連れたシリルが。血に汚れた剣を振って魔獣の血を振り飛ばす。押し殺した悲鳴が上がった。何人かの目の前にまで、飛んできたのだろう。 「何をしているのですか」 抑制された声。そこに村人はシリルの怒りを聞き取ったことだろう。 「魔、魔術師は……」 「確かに彼は魔術師です。ですがあの少女を助けるために戦ったのも彼です」 「嫌だ、魔術師は嫌だ……」 「そうだ、こんな恐ろしい」 「出て行け、出て行ってくれ!」 口々に言うのを止めることは出来なかった。サイファはシリルの肩を軽く叩く。それから首を振った。 「ですが……」 「無駄だ。この村は酷い目にあってきた」 「サイファは悪くない!」 「それでも、だ」 顔を真っ赤にしているウルフをなだめるよう、サイファは赤毛を乱暴にかき混ぜる。 「あなたは、許してしまえるのですね」 「……長い間に色々あったからな」 そう言い逃れた。許せるわけではない、ただ信じないだけだ。自分がかつての人間の仕打ちを忘れず彼らを信じないならば、この村人とて同じだろう。魔術師を恐れどれも同じ恐怖だ、と思うのは。ただそれを言葉にして仲間に言えばきっと嫌な思いをするだろうと思う。ウルフの落ち込んだ顔を思い描くだけで暗澹とする。だから言わない。 「では、今夜も野営、と言うことで。支度をしてしまいましょう」 どことなく言葉の裏側を悟ったのだろう、無理に微笑んだシリルが踵を返し宿に向かう。アレクはサイファを意外そうに見つめ、それからにっと笑った。 「サイファ」 「お前が怒るな」 「だって、サイファは悪くないのに」 言い逃れたことになど気づきもせず、ウルフはサイファを気遣って怒っている。仄かに気持ちが和んだ。 「よくあることだ。気にするな」 「気にするって!」 「それより怪我を見せろ」 「え」 「誤魔化すな。見えていた」 「サイファだって戦ってたじゃんか」 「半分以上、遊んでいただけだ。あんな不器用な魔術師は見たことがない」 歩きながらウルフの左腕を取ってサイファは口の中で呪文を唱える。温かいものが流れ出してウルフの傷を癒した。 「他はないな」 「うん……ありがと」 「一応シリルに見てもらえ」 「うん……ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「言うと怒ると思うから、やっぱりやめる」 「……言わないと怒ると思うが」 「言っても怒るよ」 「だったら、さっさと言えば怒られるのは一度で済むかもしれないとは思わないか」 遊び、と言ってのけはしたが久しぶりの魔術師同士の対戦だった。戦いの余韻がサイファをいつになく饒舌にさせていた。ウルフが村人の敵意などどこ吹く風と大笑いし、じっとサイファを見つめて悪戯をするよう目を細めた。 「猫のサイファも可愛かったけど、やっぱりこっちの方が好きだな」 言ってサイファの手に自分の手を滑り込ませる。呆気に取られ、そして問答無用で振り払い、ついでとばかりに頭を殴りつけた。 「いってぇ」 わざとらしく顔を顰めて見せるウルフにさらに一発をお見舞いしてサイファは足を速める。 「痛いように殴って痛くなかったら問題だと思うがな」 背後に向かって前を向いたまま言えばまた聞こえてくる笑い声。村人の敵意が少しも気にならないのは、このせいかもしれないと思いながらサイファはかすかな笑みを唇に上せた。 |