町を抜けるのは大騒ぎだった。盗賊退治をしてきたと言うのはとっくに広まっていたらしい。冒険者の手荒な祝福はともかく、町の人の熱狂はアレクでさえ驚くようなものだった。
「これはあれね」
「それじゃわかんないよ」
 ほくそ笑んでいるアレクにウルフが唇を尖らせる。サイファはうつむき加減に歩いていた。フードが暑苦しいのだ。
「盗賊退治より面白いことがあったでしょ?」
 こっそりとアレクが耳打ちをしている。
「お美しい方をからかったのがお気に召したみたいねぇ」
 と。確かに大きな声では言えないが、町の人が笑って手を叩いているところを見るとアレクの見方が正解なのかもしれない。
「美しい? どこが?」
「こら、大きな声を出さない」
「だってサイファの……」
 遅きに失したと思いながらもサイファは容赦せずにウルフの頭を拳で叩く。
「いて」
 顔を顰めたウルフに今朝の騒動を思い出してしまったのだろう、アレクがまた吹き出した。シリルは我関せず、と前をじっと見ている。が、背中が震えているからアレクから事のあらましは聞いているに違いない。
 おかげで、町を出るのには思ったより時間がかかってしまった。アレクのポケットにはいっぱいに林檎が詰まっていてご機嫌だ。
「まったくどこで間違ったのかしらねぇ」
 言いながら林檎をかじっている。ウルフもおこぼれをもらってかじりながらこくこくとうなずいていた。
「ホント不思議。どこでアレクが男装の麗人になっちゃったんだろね」
 林檎はアレクを、何を勘違いしたものか男装した女性と思い込んだ少女たちからの贈り物だった。きゃいきゃい騒ぐだけ騒いでポケットに押し込んでいったのだ。
「不思議よねぇ」
 首をかしげながらまんざらでもなさそうな顔をしている。そこにぼそり、シリルが言った。
「女装の麗人なのにね」
 そしてアレクの手が伸びてくる前に走り出す。もちろんアレクは全速で追いかけたのだった。
「どうして怒るんだろう」
 ウルフが不思議そうに兄弟を見ている。
「だってさ、麗人って綺麗な人のことでしょ? アレク綺麗じゃん」
「……間違ってはいないな」
「でしょ?」
 どうだ、と言わんばかりに笑みを見せてくるが、やはりどこか間違っている気がして仕方ないサイファたった。
 ようやく人のいる場所から充分離れたと見てサイファはフードを跳ね除ける。深く呼吸をするとやっとさっぱりした気分になった。
「調子、どう?」
「悪くない」
「それって……」
「まったく問題がない、と言っている」
「良かった。ほんとさ、サイファ」
「なんだ」
「怒るかもしれないけど、真面目だから、俺」
「わかったから言え」
 だいたい見当がついた。が、言わねばウルフは納得するまい、そう思い直してサイファはウルフに顔を向ける。
「俺のため無茶しないで。サイファになんかあったらと思うだけで耐えられない」
 真剣な表情をしていた。見上げてくる、まだ自分より小さな人間の若造の背も、きっとすぐに追いついて追い越していくのだろう。その時ウルフは誰を思っているのだろうか。意外なほど、胸が痛んだ。
「聞いてる?」
「聞いてる」
「じゃあ、さ」
「お前の言うことは間違っている」
 だから、わざと無機的な声を出す。ウルフがどう聞こうと知ったことではなかった。
「そもそも私は無茶はしていない。出来る状況にあったから、ああしただけだ。眠れば戻る程度の疲労を無茶とは言わない」
「ごめん……」
「なぜ謝る」
「だって、なんか怒ったから」
「怒ってない」
「ほんと?」
「……たぶん」
 すべりこんできたウルフの指。サイファの指輪をいじっているのは、それが師匠から贈られた物と知ったせいか。無理やり払う気に、なれなかった。
「怒ってないと思うから、離せ」
 言って手を引き抜こうとすればウルフが笑う。思わずむっとウルフを見つめてしまった。
「だって、サイファって変! 自分のことなのに、思うって」
「ちゃんと思ったことを言えと言ったのはどこの誰だ」
「あ」
 ふわり、ウルフが破顔した。サイファは失言に唇を噛む。事実、ウルフが変に誤解をしないよう言葉を尽くしているつもりだったのだ。だが、それを口にするつもりなどなかったのに。
「サイファ」
 腕を引いて肩の辺り、ウルフが額を乗せてくる。歩き難いこと甚だしい。サイファは体をひねって振りほどき、早足になった。
「大好きだよ、サイファ」
 一瞬立ち止まり、振り返りもせずサイファは足を速める。ずいぶん前の方に行ってしまった兄弟に、一刻も早く追いつきたかった。
「サイファ! 聞いてるの」
「さっさと来い」
 前を向いたまま半ば走っていたサイファの目に映ったのは天を仰ぎたくなるようなもの。アレクの微笑。自分の金の耳飾りをちょんと指し、にたり笑っている。無論、耳飾りを指しているわけではなかった。その笑みがどこか苦しげに見えるのはなぜだろうとサイファは思い、不可侵の約束どおり気にしないことに努めた。
 が、約束はそれとして、今はからかわれた報復をすることに決めたサイファは無言でアレクを追い越し、シリルの腕を取る。ぎょっとした顔でシリルが見上げてきたが気にも留めない。
「ちょっとサイファ!」
 アレクの抗議に耳も貸さずシリルの腕に自分の腕を絡めてにやり、笑う。
「あの、サイファ……?」
「気にするな」
「そうは言っても、アレクがすごい剣幕ですが」
「自業自得だな」
「……ご自分に跳ね返るって、わかってます?」
 シリルの言葉にサイファは言葉を呑む。非常にまずいことをしてしまったのかもしれない。喉の奥でシリルが笑った。
「離しなさいってば!」
 アレクがサイファの肩に手をかける。と、同時に追いついてきたウルフが物も言わずにサイファを引きずり寄せた。
「サイファ」
 いったい何を怒っているのか、目つきが険しい。
「あーらら」
 アレクがざまを見ろと言わんばかりに目をきらきらさせている。さすがに例の約束は守るつもりなのかそれ以上は何も言わない。
「サイファ、酷い」
「何がだ」
「だって」
「なんだ」
「俺が触ると嫌がるくせにシリルはいいの?」
「それとこれとは……」
「違わないもん」
 どうやら決定的に困ったことをしでかしてしまったらしい。サイファの表情が困惑に曇る。まったくアレクを笑えない。
「違わないでしょ?」
 唇を尖らして子供のように怒っている。サイファは自分の過ちを棚に上げて溜息をついた。自覚していない恋心がこれほど厄介なものだとは知らなかった。自分を特別な意味で好きだと思っている人間にそう易々と触られて平静でいられるものではない。シリルと自分は単なる仲間、あるいは友人であって触るのどうのと意味を考える必要などないのだ。あれはただアレクへの嫌がらせなのだ。そう言えればどれほど楽だろう。言って理解できるのならば言うのに吝かではないが下手なことを言った挙句に事態を混乱させ窮地に陥って喜ぶ趣味は、サイファにはなかった。
「違う」
 だからそれだけをきっぱり言う。余計なことをウルフに考えさせないように。
「ほんとに? じゃあ」
 言ってウルフは自分の腕を差し伸べた。サイファは天を仰ぎたくなるのを必死でこらえる。視界の端にアレクに腕を取られて困りきった顔をしたシリルが映る。いったいなぜこんなことになってしまったのだろう。諦めてサイファはウルフの腕に触れた。
「もっとちゃんと」
 不満げにウルフが言う。調子に乗るな、と言いたいところだが論争が再開して面倒なのは自分だ、と内心に言い聞かせて腕を絡めた。
「やった」
 本人は小さく言ったつもりだろう。が、しっかり聞こえた。咄嗟に殴りたくなった。理由などない。が、腕を絡めたままではそうもできない。すぐに離せばまたがみがみとうるさいに違いないのだ。
「坊やたち? いちゃいちゃしてると危ないわよー」
 前方でシリルの腕を離したアレクが振り返る。口調にかすかな苦さが混じったものの、紫の目が輝いていたから心底この状況を楽しんでいるのは間違いない。
「誰がいちゃいちゃだ!」
「あら、してるじゃない?」
 アレクのちょっかいをいいことに、憤然とウルフの腕を振りほどく。残念そうなウルフの舌打ちが聞こえた。
「シリル、この辺ってなんか出るの?」
 諦めきれない様子を見せてからウルフがシリルのところへと歩いていく。入れ替わるよう、アレクが下がってきた。
「ひとつ、貸しね」
 小声でアレクが囁いた。
「借りておく」
 サイファもまた、同じく小声で。
「いったいどうやって返してくれるのかしらね、楽しみだわぁ」
 嬉々とした声のくせに期待していないことを如実にうかがわせてアレクが言う。無意識なのだろう、指先で耳飾りをいじっている。編んだ金髪が頭を振った拍子にサイファの背を打った。これもまた、嫌がらせかもしれない。まったく飛んでもない一行に加わってしまったものだ、サイファは久しぶりにそう思ってた。




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