宿屋の二階である。兄弟の部屋に集まった一行は、買い足してきた食糧などを詰めなおしているところだった。 「問題は君の剣なんだよね」 「どういうこと?」 シリルが手を休めずウルフに言っている。 「剣があんまり良くないんだよ。だから君の技量に剣がついていけない」 「そうかぁ」 「シリルはどんな剣がいいと思うの?」 アレクが口を挟む。 「出来得る限り最高の剣」 軽く答えてシリルが笑った。無論、それは剣を扱うものならばいつもそう願っていることだろう。 「それは冗談として。この先まで行った冒険者の話を聞くと、よほどいい剣じゃないと倒せない魔物もいるらしいから」 「シリルの剣はどうなの?」 ウルフの疑問ももっともだろう。室内なのでフードを外していたサイファは薄く微笑んでいた。 「あ、わかってますね、やっぱり」 「え、なにが?」 「君じゃなくてサイファ」 「サイファ、なにがわかったの?」 体ごとこちらを向いて尋ねてくるウルフを思わずよけてしまう。鎖鎧になったせいで圧迫感が増していた。 「シリルの剣は祝福されている」 「なにそれ?」 「シリルは神官だ」 「そっか」 「……わかっているのか? 本当に?」 じろり、いたずらに睨めば照れ笑いを浮かべた。案の定、よくわかっていないらしい。溜息交じりに説明を始めた。 「神官が持つ剣は神に祝福された剣だ。祝福された剣は魔物に対して普通の剣より効果が高い」 「魔剣ってやつ?」 「……それを言うなら聖剣だ」 「あ。ごめん、シリル」 背後でシリルが笑いを噛み殺したのにウルフが謝る。すでにアレクはベッドに転がって腹を抱えていた。 「シリル」 「は……はい」 「ウルフの剣が魔力を帯びれば問題は解決するのか」 「まぁ、そういうことになります。本人の腕は見るべきところがありますから」 「二日だな」 「え? なにがですか」 「二日、時間をくれればなんとかしよう」 「滞在に問題はありません、が」 言い募ろうとするシリルを抑えてウルフに向かい合う。 「剣を貸せ」 「いいよ」 簡単に言って外そうとするのを止め、兄弟に軽く手を上げてまずは自分たちの部屋に戻る。 「これからだいたい明日の夕方まで話しかけるな」 「うん」 「何があっても、絶対に」 「わかった」 「本当にか?」 あまりにも素直にうなずかれてしまうとサイファも不安になる。確かめるように覗いたウルフの目は疑うことを知らずに澄んでいる。 「サイファの言うことならちゃんと聞く」 少し拗ねたように唇を尖らせて抗議した。ただそれだけのことだったか、と安堵してサイファの不安が解ける。さすがに緊張しているのだろう。これから使う魔法はサイファにも緊張を呼び起こさせるような物だったのだ。 「できるだけここから離れないで欲しい」 「それはもちろん」 でもなんで、と目が問うている。 「魔法をかけ終わるまで私は無防備だ」 つまるところ翌日の夕刻までサイファは襲われても何もできない。と言うより気づかないうちに殺されるだろう。それを悟ったウルフはちょっと待ってと強張った顔のまま出て行き、戻ってきたときにはほっと息をついていた。 「アレクに食事とか頼んできた」 自分の食事もここで取る、と言っていた。サイファはうなずき、わずかに微笑む。珍しく早く理解したのが嬉しかった。 サイファの笑みにウルフの顔がぱっと明るくなる。それを横目にサイファはベッドの上に足を組んで座る。ウルフを一度見て目を閉じた。抜き身の剣を抱えたサイファの横顔はいつになく真剣だった。 唇の間から抑揚を伴った呪文が漏れている。左手に持った柄の部分から少しずつ、右指を剣に沿わせて滑らせる。切っ先まで指を動かし終えたサイファは目を開け、やはり翌日の夕刻であるのを知った。 「サイファ!」 ずっとそこにいたのだろう、ベッドの横でウルフが血相を変えて呼んでいた。 「なんだ」 疲労のせいだろう、目の焦点があわない。軽く瞼を押さえればウルフの手が伸びてくる。わずらわしげに払おうとした手をあっさり掴まれ、反対の手が頬に当てられる。温かく乾いた手が心地いい。そのことに自分の疲れを思い知った。 「青い顔してる」 まるで自分のほうが病気にでもなってしまいそうな顔をしていた。 「少し疲れた」 「その程度に見えない」 「少し休めば元に戻る」 「じゃあ……」 眠れ、と言うのだろう頬に添えられていた手が肩に移り横たわらせようとする。心配のあまりだ、と言うのがわかっていてもサイファはそれを淫靡なものに感じてしまって戸惑った。すぐそこにある顔がいけないのだ、と目を閉じても事態は一向に変わらない。力を振り絞って体を起こせば不満そうなウルフがいる。 「まず食事が欲しい」 「あ」 言ったサイファにウルフはきょとんとし、それから次いで笑顔になる。食べ物を欲しがるくらいならば大丈夫、と思ったのだろう。それを感じてサイファは隠れてほっと息をついた。 慌てて出て行ったウルフが食事の皿を持って戻ったとき、兄弟も共に入ってきた。アレクはシリルについてきただけなのだろう、取り立てて興味を示さないがシリルは種類は違うとは言え魔法の使い手だ、何をしたのか知りたくてたまらない、といった顔をしてた。 「即席だが、エンチャントしてある」 まだ抜き身のまま横に置いていた剣をウルフに返す前、シリルに見せる。彼の目にはかすかにまとった魔力が見えるだろう。 「え……!」 そこに確かなものを認めたのかシリルは絶句する。 「あなたと言う人は……」 ようやく唇から出た言葉は賞賛に満ちていた。 「サイファ?」 渡された剣を鞘に収めながらウルフが首をかしげる。アレクも説明を待っているのだろう、部屋の向こうで黙っていた。 「付与魔術まで使えるとは。さすがです」 「時間だけはいくらでもあるからな」 「それにしても、です」 感歎仕切りといった様子でうなずいているシリルにウルフたちが説明を求めた。 付与魔術、と言うのは物質に魔力を持たせること全般を言う。サイファがしたように剣に魔力をまとわせて切れ味を上げるのもそうであったし、今はウルフが身につけている素早さを上げる首飾り、などと言うものも作ることができる。もちろん、攻撃魔法をこめることも可能だ。 いずれにせよ、付与魔術には長い時間がかかる。魔法をかける時間もそうだが、習得するのに時間がかかるのだ。並の人間では覚えることなど覚束ない。サイファの言った時間がある、と言うのはつまりそういうことだった。そしてそれは今の時代において付与魔術が絶えかけていることも示していた。 「アンタって実はすごい魔術師だったわけね」 唸りながらアレクが言う。が、目は笑っている。決して貶してはいないのがそれでわかる。 「実は、は余計だよ」 サイファが反論すべき所をなぜか得意げにウルフが言えばアレクから冗談に拳が飛んでくる、生意気、と言って。 「ところでサイファ」 「なんだ」 「あなたが身につけているアーティファクトですが、それもご自分で?」 「そうだ」 暇な時間をもてあまして作った数々のアーティファクトだったが、実際に使う日がくるとは思ってもみなかった。サイファは首飾りに手を触れて苦笑する。 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 「じゃあ、その指輪もそうなの?」 だったら効果を教えろ、と言わんばかりに目をきらきらとさせている。手首や首に装飾品が数々かかってはいたが、指輪はそれを除けばひとつもしていない。ウルフはきっと面白い魔法がかかっているのだとでも思っているのだろう。 「これは違う」 「魔法かかってるんでしょ?」 「いや……」 珍しく言葉を濁したサイファだった。 「なに?」 不思議そうに尋ねられては隠すのも面倒、と言うかあらぬ誤解を生みそうで言ってしまうことに決めた。 「これは我が師からいただいたもので、特別魔力を帯びているわけではない」 「ふーん」 案の定、ウルフの語調が暗くなる。やはり誤魔化すのだったか、とサイファは視線を天井に向けかけ、途中でアレクの笑う目に出会っては苦々しげにそらした。 「ねぇサイファ。坊やに上げた首飾りもアンタが作ったの?」 いらぬことを、と舌打ちをしかけたところでそれがアレクの助けの手だと気づいた。もっとも助けられているのだか追い詰められているのだかわかったものではないが。 「……そうだ」 言った途端、ウルフの顔がぱっと明るくなる。秋の天候より速い変わり方に苦笑をすればウルフも何を勘違いしたのかへらへらと笑った。 |