ばたばたと侍女が出入りして応接間は大騒ぎになっていた。一行は忘れられた形になっているのを幸いにひっそりと部屋の隅に身を寄せている。 「アレク……」 「なぁに?」 「何じゃないでしょ」 「だって」 兄弟がこそこそと言い合っている。いつもだったらまた面倒な、と頭を抱えたくなるところだろうが、サイファはうつむいたまま笑いを噛み殺していた。ただでさえ考えることが多すぎて頭痛が酷くなっていたのだ。それがこの騒ぎで馬鹿みたいに思えてきた。 あっけらかんと騒いで生きる。嫌いなものは嫌い、それでいいのかもしれない、ふとそう思った。そんな人間が好ましい、と。 「いやいや、申し訳ない」 気づけば町長が一人、立っていた。妻は侍女に運ばせたのだろう、まだ騒ぎの余韻は残っていたものの、すでに室内には一行と彼しかいない。 「いえ。こちらこそ申し訳ないことをしました」 「なに、ちょっと驚かしてやることも必要ですよ」 言って笑う町長は心底嬉しげで、いかに普段妻に虐げられているのかがうかがえる。 「あら、そんなこと仰っていいのかしら?」 また女の演技に戻ったアレクがそれをからかえば、少しばかり首をすくめて見せ悪餓鬼のような顔をして笑った。 「しかし本当にお美しいですな」 そしてアレクの男の顔を知ってなお言うのだから、意外と町長はやり手なのかもしれない。 「この美しい方に滞在していただきたいのは山々ですが、あれですな、妻が、その、ね。これは私からの礼、と言うことで」 恐妻家の顔も見せ、彼は先程の金貨にいくばくかの物を足す。一行はありがたく受け取って、もう一度騒ぎの詫びを述べた。 「なんの。それはそうと、このあとどちらへ?」 「糧食など整えたら北へ向かうつもりですが」 「なるほど……」 言って町長は顎先に指を当てた。何かを考えているのだろう、意外と真面目な顔をしている。 「そちらの方は魔術師ですな?」 問いにサイファは黙ってうなずく。魔術師、と言うだけで何かを言おうとしているのならば、半エルフと知れればさらに問題が面倒になる可能性は否定できない。 「北に向かうと次の町まで一週間ほどかかります。この町を出てすぐ、山がありましてね、迂回するよりないのですよ」 シリルを見て言うのは、応対するのが彼だと理解したせいだろう。 「その町のことですがね。どうやら異常に魔術師を嫌うようです、噂ですが。冒険者の方々でも仲間に魔術師がいると町には入れないとか」 「それは困りましたね……」 「えぇ、ですからここで多めに食料を仕入れていったほうがよろしいでしょう」 お信じになるかどうかは自由ですが。そう町長は結んだ。 「貴重な助言に感謝します」 言ってシリルは、いかにも神官らしい穏やかな笑みを見せ一行を促して町長の屋敷を出た。サイファはその笑みが強張っているの知っていたし、アレクは実の所シリルが大いに怒っているのを良くわかっていた。 宿に戻った一行は、さすがに騒ぎに疲れて早々に部屋に引き取る。宿屋の薄い壁の向こう側、サイファは夜遅くまで何事かを言い合っている兄弟の声が聞こえていたのだが、ウルフは何も知らずによく眠っただろう。兄弟の「声」に何事かの刺激を受けられてはたまったものではないサイファが、ウルフに眠りの魔法をかけた、とはウルフ本人さえも気づかない事実だった。 「さて、買物だけどどうする?」 妙にすっきりした顔をアレクが朝食後、一行に尋ねた。眠りが足りないのかシリルは精彩を欠いている。 「あの小父さん、食べ物たくさん買っておけって言ってたよね?」 「小父さんって、ねぇ」 呆れで顔でアレクがたしなめるのだが、町長の顔を思い出したのだろう、思わず吹き出したのでそれもあまり効果がない。 「あの話、どう思いますか?」 「気にしなくていい」 「嘘だと?」 「いや、なんとかなる」 小声でシリルとサイファが話し合う。重たい荷物は持ちたくなかった。襲われたときに荷物が多いと対応が遅れるからだ。 「あなたが言うなら……」 言葉を濁すサイファに言いたいこともあるのだろうがシリルはそれで話を打ち切り、当面の買物に話題を移す。 「坊や、鎧が必要ね」 アレクが言ってるのが耳に入ったせいだった。 「それは僕も思っていた」 「でしょ?」 「そっか、焦げちゃったしね」 ウルフの革鎧は、以前の戦いでサイファを庇ったとき、強い炎にさらされて焼け焦げている。いままでは持ったものの、今後さらに魔物と戦っていくならば買い直せるときに装備は整えておくべきだった。 「じゃ、とりあえず鎧と食料ね」 元気よくアレクが立ち上がり、シリルの肩を叩く。その勢いでシリルが椅子から転げ落ちそうになり、思わず差し伸べたサイファの手にすがった。 「あーら。優しい」 刺々しくアレクが見る。が、器用にも目は笑っている。そんなアレクをウルフが不思議そうに見ていた。慌ててシリルが立ち上がり、笑いで取り繕ってウルフを連れ出し残る二人を外へと促す。 「んー、どうかな」 武具屋でウルフが新しい鎧を試している。幸い賑わった町なので武具屋があったのだ。さらに幸いなことに手元には金貨がずいぶんある。 「こんなもんは、ぱーっと使うのがいいのよ」 盗賊のねぐらで発見した金のことを言っているのだろう、アレクがにやりと笑って言う。 「どう、重い?」 「革鎧に比べればね」 「君ならすぐに慣れると思う」 「たぶん」 シリルがウルフのために選んだのは鎖鎧だった。堅い革鎧とは比べ物にならないくらいの防御力がある。ただし、金属なので革に比べれば遥かに重たいのが難点だった。 冒険者が身につけるもので最も好むのは鎖鎧だった。板金鎧は動きの不自由さがあってあまり用いられない。防御力は確かに高いのだが、身の軽さが身上の冒険者は柔軟な鎖鎧を好むのだ。甲冑などと言うものは王国の騎士が身にまとうもので、魔物相手の実戦向きではない。あのように重たい鎧では、魔物に蹴り飛ばされて鎧の中で挽肉となるのが落ちだ、と冒険者は笑う。 「じゃあ、それにしたら?」 「うん、そうする」 「僕も新しくしようかなぁ」 ウルフが決めたのを見て、シリルも防具が欲しくなったらしい。嬉々として選び始めるところはさすが軍神の神官、と言うべきか。アレクも柔らかい革鎧の下に着る丈夫な布の服を見繕っている。 サイファは手持ち無沙汰に周りを見回していた。防具を扱う店にサイファが着るようなローブがあるわけもない。そもそも軽い布のローブに見えても魔術師の着る物だ、ただの布のわけはなかった。袖口や襟、裾などにほどこされた刺繍は模様ではなく魔法の文様だ。守りの魔法のかかったローブのおかげで軽装のまま旅ができるのだ。 「へい、ありがとうございやした」 店の主人の声が聞こえた所を見ると買物は済んだらしい。多少、飽きていたサイファはほっと息をつく。店の外に出ても深呼吸できないのが忌々しいが、それでも店内にいるよりはいい。 「ねぇ、ねぇ、どう?」 まるで新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。鎖鎧を身につけたウルフが嬉々としてサイファの前で跳ねている。 「うるさい」 「だってさー」 「違う。鎖がうるさい」 また勝手に誤解して泣かれたら面倒だ、とサイファは慌てて否定する。実際跳ね回っているせいで鎧ががちゃがちゃとうるさいのだ。 「あ、ごめん」 謝りながらもサイファがすぐにきちんと言葉を足したのが嬉しかったのだろう。満面の笑みを向けている。 「もう帰ってくるよね?」 兄弟は食料の買出しに行っていた。ウルフがついて行っても無駄だったし、サイファが行っても同じこと。サイファはシリルから頼まれた分と薬の買い足しをしてきたところだった。ウルフはその護衛、と言うところか。 「帰ってきた」 見るまでもなく言うサイファにウルフは少し驚き、そして半エルフの耳の鋭さを思い出したのかうなずいて辺りを見回す。兄弟が走ってきていた。 「何か、あったのかな」 不安そうなウルフにフードの奥でサイファが笑う。 「いつものことだ」 「え?」 「兄弟喧嘩だな」 「なるほど」 もっともらしくうなずいて、ウルフが笑う。腕組みしている様など、中々どうして一角の冒険者に見えてしまう。実戦を経て剣の自信がついたせいかもしれない。急に逞しくなった肩のあたりに妙に心騒ぐのを覚え、サイファはフードの陰で眉を顰めた。 |