すでに離れていた本街道から、さらに西に向かう。かつて、シャルマーク王国の華やかしころの西街道を目指していた。シャルマーク領内に入る本街道が、途中から三本に分かれる。そのうちのひとつだった。本街道同様、すでに痕跡が残っている、と言う程度で街道としての役目は果たしていない。それでも道の痕跡が残っているだけ本街道よりは良いだろう。 一行はその西街道に沿って少し進む。町が見えてきたのはシリルの地図どおり五日後のことだった。外壁に囲まれた所も警備兵がいるのもシャルマークの町としてはごく普通のもの。取り立てて変わったところはない。実際、一行は横にそれて進んでいるせいでシャルマークの奥深くまではまだ入っていないのだ。この辺りではまだシャルマークの入り口、と言ってもいい。 一行はすぐに宿に落ち着いた。歩くのに慣れたとは言え、やはりベッドはありがたい。身繕いを整えて宿屋の階下にある酒場に降りたのは、当然と言おうかアレクが一番だった。 「親父さん、エールね」 ひらひらと振った指が二本、突き立っている。笑って親父が持ってきたエールをぐっと飲み干すと、早速次のジョッキに取り掛かる。 「姐さん、いけるねぇ」 「いいエールね、喉が渇いてたのよ」 やっと追いついたシリルが戸口でそれを見ては呆れていた。黙って座ればやはり同じようにエールが出てくる。こちらはさすがにひとつだったが。 ウルフとサイファが合流したとき、すでにアレクは三杯目のジョッキを空けていた。 サイファはどことなく不機嫌だ。何より町にいるのが好きではない。鬱陶しいフードを目深にかぶっていなくてはならなかったし、いつ人間が騒ぎ出すかと思えばおちおち酒も飲んでいられない。かてて加えて兄弟は問答無用で二人部屋を取ったのだ。自分たちはいいとしても、なぜウルフと自分が同室なのかが解せない。一言尋ねてくれれば拒みはしなかっただろう、とも思うのだが、何も言わずにそうされたことにこだわっているのだ。 「ほら、アンタも飲みなさいってば」 屈託なくアレクがジョッキを押しやってくる。これを見てはいつまでもこだわっている自分が馬鹿のように思える。サイファは溜息ひとつで忘れることにし、ジョッキに口をつけた。 「失礼ですが」 見知らぬ男が声をかけてきたのはテーブルの上の食事もあらかた片付いた、そんな頃のことだった。 「なんでしょうか」 もっとも穏やかに見えるシリルが応対に出る。男はほっとして勧められた椅子に腰を下ろした。 「冒険者の方とお見受けします。是非お願いしたいことがあるのです。もちろん報酬はお支払いいたしますが」 「それは話をうかがってみなくては、なんとも」 脈あり、と思ったのだろう。男の青白い顔にぱっと喜色が浮かぶ。よほど困ったことがあるらしい。 「それではどうぞお屋敷の方まで……」 「と、言うと?」 「あぁ、失礼いたしました。私はノルドと申します。町長様の助役を務めています」 「ではお屋敷、と言うのは」 「はい、町長様のお屋敷です」 ノルドの言葉に嘘があるとは思えなかったが、一行は少し待って欲しい、と告げ普段どおりの武装をしていくことにした。ノルドもそれで良い、と言う。 屋敷は街の中心部にあった。屋敷、と言うよりはむしろ少し大きな家、と言った方が正しいが賢明にも誰一人それを口に出しはしなかった。 「こちらでしばらくお待ちください」 屋敷の応接間に案内された一行は、茶などを出されてしばし待たされる。手持ち無沙汰に室内を眺め回していると、扉が開いた。 「お待たせしました。町長のランドルフと言います」 一瞬ここがシャルマークであるのを忘れそうになった。それほど恰幅のいい紳士だった。それに対して連れているのは鳥のように痩せた女で、彼は妻のアンナ、と紹介する。 「皆さんは冒険者の方とお見受けします」 そう、首をかしげてランドルフは言う。もっともそうと知れていることは確かなのだからいささか芝居がかった態度と言わねばなるまい。妻のアンナは口許に笑みを形作っているのだがどことなく一行を見下しているのが伝わってしまう。 「えぇ、ご覧のとおりです」 すっかり機嫌を損ねているアレクが口を出す前にシリルが言う。おどけて両手を広げて見せる辺り、アレクに気を使っているのだろう。 「実はお願いしたいことがありましてな。最近、盗賊が跋扈しているのですよ。町の者も困り果ててしまいましてなぁ」 「腕の立つ男など、いないのですか?」 「いやいや、とてもとても」 大げさに町長は首を振って見せる。シリルは不審を感じているのだろう、少し黙った。 いくら安全な壁の中、と言ってもシャルマークの内である。男たちは総じて武器を取ることを知っていたし、女たちもいざとなれば戦う術を持っている。盗賊ごときに対応できない、と言うのはおかしいとサイファも確かにそう思うのだ。 が、それはこの男が真面目な町長であれば、のこと。町の男が手を貸すことを拒む状況がないとも限らない。サイファはフードの奥で微笑んだ。 「それは残忍な盗賊ですのよ」 アンナが口を開く。やはり表情同様の傲慢な口調だった。 「あたくしの秘蔵の首飾りや指輪が卑劣にも奪われましたの! それもこれも町の者が無能だからですわね」 ふん、と鼻を天井に向けてアンナが言い放つ。横で町長が溜息をついたのを見逃さず、妻がしっかりそれを睨みつければ、慌てて強張った笑みを浮かべるのだ。おかげで一行がついた溜息は見逃されたのだからありがたい。 「まぁ、それは大変ですわねぇ。奥様の首飾りとあってはさぞ素晴らしいお品でしょう?」 満面の笑みを浮かべてアレクが言うその膝をシリルが指先でつついていた。思わずサイファはうつむいてしまう。笑いをこらえるのに苦労する。横を見ればウルフはなにがなにやらさっぱり、と言った顔でアレクを眺めていた。 「それはもちろん。若い女性には、ちょっとお分かりいただけないような良いものでしてよ」 「あらぁ、残念ですわ。盗まれてしまっただなんて。拝見したかったのに」 「軽々しくお見せしなくってよ」 アンナの天井に向けた鼻が伸びたような気がする一行だった。よほど気に食わないのだろう、すっかりアレクは遊んでいるのだが、シリルも止めようとはしていない。明らかにアンナはアレクを競争者として意識してた。自分より若く美しい女、と。だからこそ権高に振舞っているのだろう。 若いだけの女だの、身なりにかまう暇のない冒険者だの、さんざんな暴言が出尽くしたあと、ようやくアレクが遊びに飽きたのかシリルを見やった。 「ところで……その、盗賊の話しだったと思いますが?」 「あぁ、そうそう。妻はおしゃべりでな。……許してくれ」 最後の一言は一行にではなく、冷たい目を向けた自分の妻へだった。 「盗賊を見ましたか?」 「おぉ、見たぞ」 曖昧な町長をなだめすかし言葉を補いして聞いたところ、どうやらようやくウルフにも事情が理解できたようだった。横目でサイファをうかがって目顔で尋ねてくるのに、サイファも黙ってうなずき返す。 「その盗賊のねぐら、と言うのがどうやらここから五日ほど東に行った辺りにあるらしい。君たちにはそれを退治してほしいのだよ」 自分が町長だと言うことを思い出したのだろう、妻に弱い男は哀れなほど胸を反り返らせて「冒険者」に依頼をするのだった。 一行は顔を見合わせて考え込む。それがどういう依頼であるのか、すでに全員が理解している。後はどう片付けるか、だった。アレクがシリルの膝を叩き、勝手にしていいと無言で告げれば残る二人も黙ってうなずく。シリルだけが溜息をつくのだった。 「さて、お話しですが」 「あら、ちょっと待って」 「なんでしょうか、町長夫人」 「あたくしたちはシャルマークの内にひっそりと暮らす人間ですの。たいした報酬など期待なさってはいませんでしょうね?」 「それは夫人のお気持ち次第、と言うことになりますが」 「それはどういうことかしら?」 冒険者風情、と侮っているのだろう。はっきりと口が冷笑を刻んでいる。 「こういうことですわね」 華やかにアレクが笑って袋を取り出す。町長がアレクの笑みに見とれるのに妻が険悪な目を向けた。 「まず、申し上げておきたいのですが」 言ってシリルがアレクを止める。このままアレクのしたいようにさせてしまったらなにを言われるかわかったものではない。 「僕たちは東から来ました。町長が仰った盗賊のねぐらであろう場所も通ってきています」 「おぉ、それは!」 「確認すればお分かりになることですから、あえて真実だ、とは言いませんが?」 「もちろんだ。本当だろうとも。続けてくれたまえ」 「はい。その盗賊ですが、僕らも襲撃を受けて壊滅させています。その際に……」 「素晴らしい物を見つけましたわ。夫人はご興味があることと思いますの」 そう言って微笑むアレクを見てはウルフが目を伏せる。そしてこっそりサイファに 「気合、入ってるね」 言って笑った。つられてサイファもうなずいてしまう。それを見咎めたのはアレクではなく、夫人。が、その目がすぐにアレクにひきつけられた。 「まぁ、まぁ! 何てこと! あなた、それはあたくしの!」 「あら、やっぱりそうでしたわね。奥様にぴったりだと思いましたもの」 「返してちょうだい!」 「それは奥様のお気持ち次第です、と申し上げましたでしょ?」 くすり、アレクが笑った。アレクの手の中には、売り飛ばすと決めていた例の下品な装身具があった。 「いくら欲しいの! 好きなだけ出すから返してちょうだい!」 妻の金切り声に辟易した町長が、金貨を袋に入れて持ってくる。アレクが中身を確かめシリルを見てはうなずく。 「では、これは奥様にお返ししますわね」 うっとりと、男ならば吸い寄せられずにはいられない笑みを浮かべているアレクを町長がとろけた目つきで見ている。さすがのアンナもこれには驚いたようで夫を睨むことも忘れていた。 「あなた!」 しばし経った後、まだ呆然と見つめていた町長は妻の一言と背中への衝撃ではっと気づく。取り繕ったような笑みを浮かべて一行を見回した。 「まず礼を言う。そして是非、我が家に滞在してくれたまえ」 「そうですわ、若い女性が男たちに混ざってなど、感心しませんもの」 「女性の旅と言うのは中々不自由だろう? 我が家には風呂もあるしな」 言って笑った声に下心が滲んでいる。妻は嫌な顔をするものの、夫の女遊びは慣れているといった態度で受け流しアレクを見る。それはいたぶる甲斐があるものを見つけたと言わんばかりの目つきだった。 「まぁ、残念」 少しも気にした風もなく、アレクが微笑む。 「あら、なにがかしら?」 まだ、勝ち誇った顔をしている。それにまた蕩けるような笑みを見せ、それから一転顔つきを変えて笑った。 「男なんでね」 同じ喉から出ているとは思えない声に、アンナがぎょっとし次いで悲鳴を上げて卒倒する。驚いて介抱する町長の手が震えていた、笑いに。 |