赤々と暖炉に炎が踊っている。すっかり日は落ちていた。兄弟が見つけてきた薪は良く乾いていい香りがする。盗賊が良い薪を使っている、というのも何か皮肉なものだった。 だが元の持ち主が誰であれ、いまの一行にはありがたい。暖炉の炎と言うものは心をくつろがせるものだった。粗末な野営食であっても楽しんで食べられればそれはそれで良いものだ。 「収穫、収穫」 口許をほころばせてアレクが皮袋をのぞいている。手を入れてはすくい取り、また袋の中に落としていた。 「アレク……」 止めさせようとして言葉がないのかシリルが絶句する。アレクの目の色を見てはなにを言っても無駄だと思ったのだろう。 皮袋は盗賊が蓄えていたものらしかった。薪を見つけに行ったとき、一緒にアレクが見つけてきたそれの中には、一杯に金貨がつまっていた。階下で何も見つからなかったあの機嫌の悪さを思えば多少、気味が悪くとも黙っておくに越したことはない。全員が目を合わせ、そしてうなずくのにアレクは気づきもしなかった。 「先に休め」 食事も終わり、そろそろ夜番を決めようかと言う気配が漂ったとき、サイファは言った。 「いいのですか」 「かまわん」 「じゃ、遠慮なく」 ひらひらと手を振ってアレクが暖炉に足を向けて横になる。シリルも軽く会釈してそれを続いた。サイファたちは話し声で彼らを起こさないよう、少し暖炉から離れる。とは言え、冷えるほどは離れなかった。 しかし二人は話さなかった。ウルフが話しかけてこない以上、サイファから会話を始める気はなかった。時折ウルフが暖炉に薪をくべる。炎のはぜる音だけがしていた。 兄弟はすっかり眠り込んでいる。探索と戦闘で疲れたのだろう。アレクがシリルの胸にもぐりこむように体を丸めている。そのアレクの体にシリルは腕を乗せ、眠りの中でさえ自らの「定めし者」を守っているようだった。 「寝ろ」 不意にサイファが言った。 「え?」 ぼんやりしてたウルフが振り返って不思議そうな顔をする。 「疲れているはずだ。眠れ」 それだけを顔をそむけてサイファは言う。上手く言えなかった。人間を気遣ったことなどほとんどない。疲れているとか、眠ったほうがいいとか、そんな理由ではないのだけれど、それを表す術をサイファは持たない。サイファなりの謝罪だった。何に対しての謝罪か本人でさえ良くわからないものを他者に説明できるはずもない。 「……うん」 それを素直にウルフは受け入れた。普段だったら大丈夫、と反論しただろうにそれもしない。それがわずかにサイファの癇に障った。 後ろの壁にもたれてウルフは体の力を抜く。剣は抱えたままだが、確かに眠ろうとしていた。それを視界の端に収めてサイファは心の中でほっと息をつく。あれこれ聞かれたくなかった。 たかが人間相手に、なぜ自分があれほど激高したのか、不可解でならない。不可解と言う以上に腹立たしい。おそらく口にはしないだろうが、この巻き込まれて加わることになってしまった人間たちの一行を、サイファはすでに仲間だと思っている。 だが。サイファは思う。兄弟のどちらかが自分以上に大切な仲間を見つけたからと言って激怒するだろうか、と。溜息をつき、そっと首を振る。そもそも兄弟は互いを大切にしている。アレクは明らかにシリルに兄弟としてのそれを超えた愛情を持っていたし、シリルはシリルでそんな兄を大切にしているようにサイファには見える。 初めて塔で会ったあの日。ウルフは自分が半エルフと知っても嫌悪しなかった。それどころか。また溜息が漏れる。あれ以来、ウルフ自身でも気づいていない愛情をずっと注がれ続けている。嫌だと思ったことはなかったが、戸惑ってはいた。いったい何をどうしたら。三度、溜息が漏れた。 「だめ、寝れないや」 唐突にウルフの小声が聞こえてサイファは体をすくめる。そしてその事に苛立った。 「サイファ一人にしては、寝れない」 しっかりとサイファを見据えてウルフが言う。異議を唱えることが難しい、強い口調だった。 「寝ろ」 「だめ」 「眠れ、と言っている」 それでもサイファはしつこく言い続けた。実際、ウルフがどう思っていようが眠ったほうがいいのだ。傷はついていなくとも魔法を受けた体には疲労が残っているはず。自分の体のこともわからないのか、と憤慨しかけ、ウルフはわかっていて言っているのだと気づく。 眠らない理由を続けようとして口を開いたウルフの腕をサイファは黙って強く引く。突然のことによろけたウルフは体勢を崩し、そのままサイファの膝に倒れこんだ。まるでいつぞやの晩の再現だった。二人の位置が入れ替わってはいたけれど。 「サイファ?」 見上げようとするウルフの頭を片手で押さえつける。自分がいまどんな顔をしているのか見当もつかない。きっと見られたくない顔をしていることだろう。 「黙って寝ろ」 自分ひとりでも充分に夜番を務められる、とは言わなかった。それは確かなことなのだ。仮に一人きりで旅をしていたとしても眠っている間の襲撃を恐れる必要がサイファにはない。無意識に発動させられる魔法がいくらでもあったし、そもそも敵を近づけることはなかったから。だが、それを言えばウルフが傷つくような気がした。だからサイファはもう何も言わない。 「ありがと。サイファ」 話したくないのを察したのかウルフがおとなしくなる。サイファにはそれが懸念と謝罪も同時に受け入れられた、そんな気がした。 答えなかったサイファの指にウルフの指が絡んでくる。膝に頭を乗せているウルフの顔は見えない。なぜか少し微笑んでいる気がした。そのせいでもあるまいにサイファはウルフの手を払いのけられない。そっと握られるままにしている。 ゆっくりとそこにサイファがいるのを確かめるよう指が絡まってそのまま解けない。次第に呼吸が静かになっていく。ウルフの頬に自分の指が触れている。そう思うと落ち着かない。温かい息が手にかかっている。ウルフが深い眠りに落ちていくにしたがって、握られたままの手は彼の唇にわずかに触れた。一瞬、飛びのきそうになる。深い呼吸をひとつして、サイファは目を閉じる。 なんでもないことだ。ただ触れているだけだ、と。心に念じはしたがしばらくの間、動揺は静まらなかった。 何度かゆっくり呼吸をする。それでなんとか落ち着きを取り戻したサイファは口の中で呪文を唱えては窓や扉を指差す。ふっと一瞬輝いて封印されたことをサイファに教えた。 それから今度はそれより長い呪文を。床の上、二箇所が光った。兄弟の眠る傍らと、サイファたちの傍ら。おぼろげな光はそれと知って見なければ見えないほどだった。それが床の上を走る。ちょうど一行を囲む円周をたどっていた。一方は右から左に、もう一方はそれとは逆に。双方が相手の出発点に辿り着いたとき、円が光を増す。そして不意にそれは立ち上がり一行を囲む円蓋となって、消えた。 サイファは目を走らせ、封印が確かなものと確認する。部屋のどの開口部もしっかりと閉ざされている。一行の周りの見えない障壁もきちんと機能していた。これでサイファが解かない限り誰も中には入れない。満足の溜息を漏らし目を閉じたサイファは自身も眠る準備を始めていた。 静かに浮かび上がってくるような心地だった。熟睡から目覚めたサイファは、窓から差し込む光の強さに朝を知る。膝を揺り動かしてウルフを起こした。こんな風に眠ってるところを兄弟に見られたくはない。 「ん……」 眠り足りないような声の幼さに、思わずサイファの唇がほころぶ。 「あれ……?」 よほど深い眠りだったのだろう、事態を把握していない声はまるで子供のようだ。 「朝だ。起きろ」 「サイファ、なんで?」 「兄弟。朝だ」 問いには答えず兄弟を起こしにかかる。飛び起きたのは襲撃だとでも思ったせいか。 「サイファ! なんで起こしてくれなかったんですか」 事態を一番に理解したシリルが少しきつい声でサイファを責める。 「人間には眠りが必要だと思った」 「でも」 「襲撃の危険はない、と思った。それに誰かがここに入ればすぐにわかる。そのときには起こすつもりだった」 まずい言い訳だな、と思いながらサイファは手を振り窓と扉の封印を解く。かすかに何かが壊れるような音がした。 「ですが」 まだ言い募るシリルを押さえてサイファはもう一度手を振る。今度は玻璃が砕ける音と共に一行を包んでいた円蓋が光を取り戻しては砕け散った。 「あ……」 「綺麗ねぇ、なにこれ?」 「結界とでも言うか。誰かが境界を踏み越えようとすればすぐにわかる」 「なるほどね」 アレクが納得する。ふりかもしれない、ちらりとサイファは思ったがアレクはおくびにも出していないのでわからなかった。 あるいはサイファの思いは自身が嘘をついている、と言う引け目からきたのかもしれない。結界と言うよりそれは封印と言ったほうが正しいし、踏み越えるも何もそもそも入ってくることはできないものだ。だがそれを言えばウルフが嫌な思いをするだろう。そう思えば嘘をつくよりなかった。 「よくわからないけど、いいわ。おかげでゆっくり眠れたし。ありがと」 ひらひらとアレクが手を振って、それで終わりになった。どうやらアレクは真面目に不可侵を守るつもりらしい。サイファはかすかな微笑でそれに答えた。隣でわずかに不機嫌な顔を、ウルフがしていた。 |