結局ゴブリンは金貨さえ持っていなかった。諦めきれないアレクの言葉にしたがって、一行はすべての部屋を見てまわったが、魔物もいない。
「これは大はずれってやつかしらね」
 溜息をつくアレクを見ていると、どうもこのまま引き下がるわけには行かない、と言う気分になってくる。
「二階があるじゃん、行ってみようよ」
 ほんのわずかであってもサイファの機嫌が直ったのがウルフは嬉しくて仕方ないのだろう。まだ話しかけられてもろくに返事もしないサイファであったが、多少なりとも気分が緩んでいることは確かだった。内心で溜息をつく。先程とは違う種類のそれだとわかってはいた。此度のそれは、まったくどうしておかしなところで勘が鋭いのだろう、というそれ。
「どうせはずれよ、はずれ」
 勘がいいと言うならばアレクのほうがずっといい。それでもからかってこないのは、今はとにかくめぼしいものが何もないことにむきになっているせいだろう。そう思えば微笑ましかった。
「行ってみる暇がないわけじゃないし、ね」
 なだめるシリルの言葉に渋々と言った体でうなずき、一行は広間の奥、大階段に体を向けた。一歩、階段に足をかける。アレクが息を呑む間もなかった。先程のことからウルフは後方を守っている。サイファには傷ひとつ負わせない、言葉にしなくてもウルフの全身にみなぎっていた。
 そのせいだろうか。階段と言う不安定な場所、しかも後ろから襲い掛かったというのに、ゴブリンは一太刀さえ掠めることも出来なかった。ウルフがシリルを呼ぶまでもない。一閃して一匹を切り、返す刀でもう一匹。
「反応が速くなったね」
 シリルもこれには微笑んで褒めるばかりだった。
「サイファが、くれたから」
 ウルフがうつむいて言う。なにをと言わずとも全員が理解している。あの首飾り。身につけているようにと言ったサイファだけが階段の上へと目をそらしていた。
 一行はゆっくりと階段を上がった。ゴブリンに不意を襲われたばかりなので警戒は怠っていない。それが功を奏した。
「シリル!」
 アレクの声が響く。彼の目に映った人影はもうこちらを発見している。静かに行くことは無意味だった。
 階段を上がったそこは広い場所だった。廊下と言うには広すぎるが、かといって部屋と言うわけでもない。破れた天井から差し込んでくる薄い光が人影を照らしている。
「なんだ、テメェら」
 影が言った。人間らしい。こちらの意図を問うたもののすでに剣を構えて駆け寄ってくる所を見れば戦いは避けられそうになかった。
「それはこっちのセリフ」
 アレクが笑みを浮かべて短剣を構える。切りかかってきた男の剣を受け流し蹴りつける。よろけた所をシリルの剣に切りつけられ男は動かなくなった。
「貴様らァ!」
 仲間を切られた男がシリルに向かうのをウルフが牽制する。動きは素早かった、がしかしウルフの剣は男を切り損ね掠り傷を負わせるばかり。
「ウルフ!」
 半ば悲鳴めいた声をアレクが上げたとき、背後に控えていたサイファの呪文が飛ぶ。腹に光の矢を食らった男はすぐに仲間を追いかける羽目になっていた。
「盗賊、かな」
 ウルフが死体を見下ろし、そういえば以前も同じようなことを言ったと冷えた笑いを口許に浮かべる。
「でしょうね」
 そんなウルフの肩にアレクが手をかける。慰めるように。
「アンタが切らなきゃこっちがやられてたわよ」
 小さな声でそう続けた。
 ウルフは人を切ったのははじめてだった。魔物を切るのとは違う、生々しい感触。魔物も生き物には違いないはずなのに、人間を切るのは反吐が出そうなほど嫌な気持ちだった。
「そうだね」
 力なく笑った。自分が切らなければサイファが、仲間が殺されていたのだ、と。そう思っても少しも気は晴れなかったけれど。そもそもそれならば切り損ねたのはもっと大変なことのはずなのだから。
 気持ちの整理などつかないかもしれない。そう思ってサイファを見ればかすかにうなずいてくれたように見えた。少なくとも彼を守れた。だから今はそれでいい、ウルフは軽く目を閉じる。
 そうやって全員が気を抜いてしまった一瞬だった。扉が蹴り開けられる音。そして駆け寄る重たい足音。
「殺せェ!」
 瞬時に一行は男たちに囲まれてしまっていた。舌打ちをしたのはアレクだろう。短剣を構えはするものの、複数に囲まれてしまっては戦力にならない。自分の身を守るのが精一杯だった。
「アレク!」
「アタシは大丈夫!」
 シリルの声に答えはするものの、額に汗が浮かんでいる。苦戦していた。サイファもためらっている。乱戦になってしまっていたのだ。敵味方が入り乱れたおかげで敵を一網打尽に包み込む魔法が使えない。
「サイファ!」
 体を開いて敵を避けたのがウルフの視界の端に映ったか、懸念の声が飛ぶ。それに首を振って無事を伝えた。
 サイファの手がひるがえり、編み上げた呪文を解放する。不意にウルフの剣が光を放つ。
「わっ」
 驚いたウルフの声にかまうことなくサイファはまた呪文を編み、敵を一人ずつ撃ちはじめた。わずかの間、驚いていたもののウルフはすぐに立ち直り剣を振るう。そして再び驚いた。今までとは段違いに良く切れる。人間を殺すことに抵抗がなかったわけではないが、先程より今の方がずっと危険で思い悩む余裕などない。
 その中でもウルフの目は的確に観察を続けていた。清潔とは間違っても言えない身なり、荒んだ目。粗末な武器を持って切りかかってくる人間は、人間と言うよりゴブリンのようだった。階下のゴブリンは彼らの手下でもあったのだろう。
 そう思えばいささかなりとも気が休まる。魔物同然の暮らしをしている人間など、同族とはもう思えない。ウルフは気持ちを切り替えて敵を倒すことだけを考えていた。
「ちっ」
 アレクがよけそこなって頬を切られる。シリルがすぐに切り倒した。その開いた隙間からまた一人敵が飛び出し、甚大な被害を与えている魔術師を殺そうと剣を振りかぶった。
「サイファっ」
 体をひねってかわすには遅すぎた。サイファは唇を噛み、後ろに跳びすさる。それでも軽く肩を切られた。
 叫び声を上げながらウルフが敵に切りかかったのは直後のことだった。怒りが頂点に達したか、日ごろの面影さえうかがわせない顔つきでウルフは次々と敵を殺していく。一撃だった。一人ずつ、確実な剣で倒していく。
 燃える目で辺りを見回し、敵がいないと知ったときは失望さえ浮かべていた。そんなウルフの肩に手をかけたのはサイファ。
「サイファ……」
 突然いつものウルフに戻り、サイファの肩口に額を寄せる。そして傷を負っていることに思い至って慌てて離れた。
「大丈夫だ」
 囁くような小声。安心させたかった。いつもウルフは忘れる。自分は人間ではない、この程度は掠り傷にも入らない。そう思ったけれどサイファは黙っていた。誰かに案じられる、と言うのは存外気持ちのいいものだった。すでに忘れた、と思っていた感覚を思い出す。
「本当に?」
「嘘をついてどうなる」
「……うん」
 ようやく口許がほころんでウルフが吐息をつく。今まで息を詰めていたような深い吐息だった。
「そちらはどうだ」
 なぜかそれを見ているのがいやでサイファは目をそらし、兄弟をうかがう。二人はそれぞれ剣の血を振り払いながら片手を上げて無事を知らせた。
「アレク」
「いいわよ」
「よくない」
 お馴染みの口喧嘩をしながらシリルが兄の頬に手を当てている。口の中で祈りを呟けば、まだ血を流していた傷はあっという間に完治する。
「呪文の無駄じゃない」
「どこがさ」
「こんなの傷薬つけとけば治るもの」
「痕が残ったら嫌でしょ」
「あーら、傷だらけが嫌なのはアンタじゃ――」
「アレク、黙って」
 言葉の途中で口を塞いだが、しっかり残る二人は聞いていた。ウルフが吹き出すのを必死でこらえておかしな顔になっている。それを視界の端に入れてしまったサイファがこらえきれずに笑った。
「ちょっと!」
 抗議の声はアレクと、そしてウルフ。背中を向けたサイファは聞く耳持たずにまだ笑っていた。
「あ」
 まだ頬を膨らませたままのウルフが何かに目を留め走り寄る。階段を上がった正面奥に光るものがあった。先程の戦闘の際に敵が落としたものではない。それよりずっと奥にある。鈍い光を放つそれは小剣だった。
 短剣より長く、長剣よりは短いそれはアレクが使うのにちょうどいいだろう。そう体をかがめて拾おうとしたときだった。
「触るな!」
「え……?」
 シリルの声が飛んだにもかかわらず、ウルフの手は小剣に触れてしまった。不意に目の前が赤くなる。剣の柄を握った手に心臓があるようだ。どくどくと脈打ち、そして何も考えられなくなっていた。




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