がさり、草を踏みしだく音がして振り返れば、兄弟が立っていた。ここにいると気づいてはいなかったのだろう、シリルが驚いた顔をしている。
「あら、ここちょうどいいじゃない」
 辺りを見回してアレクが言う。確かに木立に囲まれて、小さな広場になっている。休み場所には具合が良かった。
 そんなアレクを見てサイファはほっと息をつく。今の会話を聞かれたくはなかったし、そのことでからかわれるのは御免だった。何か感づいている風ではあったが、何も言わないことに決めてくれたならばありがたい。
「ここで休憩にしようか」
 シリルがウルフを見て言った。
「そうだね、ちょっと疲れたし」
 ウルフも何もなかった顔をして同意する。それにシリルは目顔で「機嫌が直ったみたい」そうアレクに告げた。アレクもまた視線でうなずく。
「シリルがいいもの見つけたわよ」
「なになに」
「兎」
「やった、ご飯だ!」
「ホント坊やは坊やだわねぇ」
 アレクが呆れ声でシリルに言えば、ウルフが冗談めかして彼に掴みかかろうとする。あっさりかわされはしたが。
「ウルフ、遊んでないで薪集めてきて」
 シリルの言いつけにウルフは素直に従い、木々の下を走って回る。サイファは言われるまでもなく、ウルフが道々集めた果物を枝から外し、軽くマントでこすっていた。
「ウルフが集めたの?」
「あぁ」
「熟れておいしそうだこと。あの子もすっかり食べ物集めができるようになったわね」
 どこか笑いを含んだ声でアレクが言うのをサイファは聞かないふりをする。シリルが焚きつけに火を移し、程なく焚き火の良い匂いがしはじめる。
「これくらいでいい?」
 集めた薪を手に、ウルフがシリルに尋ねている。シリルがウルフを褒めている言葉と、それに子供扱いすると反発するウルフの言葉。和やかな休息の時間を実感する情景だった。
 サイファは軽く目を閉じる。人間の感情の波が好きだった。激しくて炎のようだ。だが、それも遠目で見ているから興味深いのであって、その渦中に叩き込まれると、どうしてよいかわからない。サイファにとって人間は、人間が半エルフを理解できない以上に不可解な生き物だった。
「サイファ」
 呼び声に目を開ける。どうやら少し眠ってしまったらしい。そのことにまず驚く。いつのまに自分はこれほどまでに無防備になってしまったのだろうか、と。
「あぁ、すまない」
「いえ。食事ができましたよ。食べませんか」
「全部やらせてしまったな。すまない」
「お疲れでしょう?」
 そうでないときには手伝ってもらいますよ、シリルが笑う。
「サイファの料理……なんか怖いわね」
「アレクよりマシだと思うよ」
「あら、シリル。それどういう意味よ」
「いや、別に」
 相変わらずの兄弟の口喧嘩にウルフは入り込むつもりもないようで、器によそった兎肉入りのシチュウを持ってサイファの横に腰掛けた。
「はい」
 ひとつをサイファに渡し、自分は熱いそれに息を吹きかけて冷ましている。妙に子供じみた仕種で、微笑ましい。
「熱いよ」
 湯気の向こうでウルフが笑う。やはり、先程の言葉など何も意識していないらしい。ひっそりとサイファは溜息をついた。
 騒がしく言い合いをしながら、兄弟も食事をはじめている。サイファは不思議にそれを見ている。良くぞあれだけ喋りながら食事ができるものだ、と。
「食べないの?」
 心配そうなウルフの声に正気に返り、サイファもまたシチュウに口をつける。乾燥豆と兎肉、それに香り草が入っていた。野営料理としては悪くなかった。こってりとしていて、疲労が体から拭われていくようだ。
「あ、これ甘い」
 アレクがウルフの集めた果実に歯を立てて喜んでいる。どうやら好みのものだったらしい。まだサイファが半分もシチュウを食べ終わっていないというのに、兄弟もウルフも果物に手をつけている。冒険者と言うものは、食事も早いものだな、などと妙な感心をしてしまうサイファだった。
「ねぇ……」
 不意にウルフが一行の注意をひきつける。
「どうしたのよ?」
「昨日の町のことなんだけどさ」
「それで?」
 歯切れの悪いウルフの言葉をアレクが苛立たしげに先へと促す。
「あの人たちって、生きてたんだよね」
「あの死者の群れのことかな?」
「そう」
 アレクを制してシリルが口を挟む。サイファにはだいたいなにが言いたいか見当がつき始めていた。
「かつてはあの町の住人だったんだろうね」
「でも、そんなに前のことじゃないでしょ」
「そうだね、ここ数十年だろうね」
「数十年……」
「もっと最近かもしれない」
「ねぇ、シリル。あの魔物が町を襲わなかったら、あの人たちは今でも元気に暮らしていたはずだよね、生きて」
「たぶんそうだろうね」
 痛ましげな目をシリルが伏せた。そうだろうと思ったからこそ、シリルはあの場で死者の冥福を祈っていたのだろう。サイファはシリルの優しさを思う。彼は数十年、と言った。もっと最近かもしれないと言った。だがサイファの見るところ、ここ数年と言ってよかった。ウルフに言えば悲しむだろが、あの死体の傷み方からしてそれほど時間が経っているとは思い難い。
 シリルもウルフのことを思うからこそ、真相に近いと考えていることを言わないのだろう。それがサイファには嬉しくもあり、苛立たしくもある。そして苛立つ自分にさらに苛立つのだ。
「あの魔物、どこからくるんだろう……」
「相変わらずお馬鹿な坊やねぇ」
「馬鹿って言わないって言ったじゃん」
「はいはい。言ったわねー。でも考えればすぐわかるでしょ」
「それはわかってるの。シャルマークの大穴が原因だって言うのは俺だってわかってる」
「じゃあなによ」
「大穴の向こうはどうなってるんだろうって」
「誰も見たことないでしょうね」
「大穴を塞いだら、もうあんなことなくなるんだろうなって、さ」
 茶化すアレクの言葉など、ウルフは聞いていなかった。ただじっと自分の膝に目を落とし、不可能だろうことを考えている。大穴を塞ぐ。誰一人目論んだ者もいなければ、実行しようとした者などいもしない。そもそも大穴に到達した者すら、数えるほどしかいないのだ。
「魔物がいなくなれば、ああいう町の人たちだって、怖い思いしないで暮らせる」
 誰に聞かせるでもなく、ウルフが言っている。それはただ自分ひとりに聞かせる言葉だったのかもしれない。
「塞げると、思ってるの」
 小さな声だった。けれど震えてはいない。むしろかすかな好奇心のうかがえる声。アレクのそれ。
「思ってないよ」
 ウルフが即答する。そしてはじめて声に出していたと気づいたのか、わずかに頬を赤らめた。
「無謀だね」
 シリルの声。それはやはり、どこか面白がっているような。
「だよね」
 応じるウルフの声も、今はなぜか自信が透けて見えた。
「お前ら……」
 サイファは頭を抱えたくなる。行くつもりなのは最初からわかっている。それでさえ、いささか以上に無茶だと思っていた。それが今、彼らはあの穴を塞ぐつもりになってしまっている。
「俺さ、オルトの町の男だって、魔物がいなかったら普通の小悪党だったと思うんだ」
「なによ、普通の小悪党って」
「んー、だからさ、賭け事して暴れたりとか酒飲んで乱闘したりとか、その程度ってこと」
「小悪党ねぇ」
 納得いかないと言いたげなアレクを制してシリルがうなずく。それにウルフが微笑んだ。
「僕はウルフの言うとおりだと思うよ、魔物がいなければ人は素朴なままでいられたんじゃないだろうかって、考えることがある」
「そう、俺が言いたいのはそういうこと」
「つまり、元を断ちたいってことでしょ?」
「できるかどうかわかんないけどね」
 そう言って、一行はサイファを見た。ぐっと喉が詰まる。ここで行かないとはとても言えなかった。言ったならばまず間違いなくそれは見殺しにすると言うことだ。アレクもシリルも死ぬだろう。ウルフも。
 死体となって倒れ伏すウルフ。脳裏によぎったそれを払うようサイファは目を閉じる。考えたくなかった。自分が行かないと言えばそうなることは目に見えているのだ。
「……同行しよう」
「やった!」
 ウルフがまだ中身の残ったシチュウになどかまいもせずに飛びついてくる。驚き慌ててサイファは器を高く掲げ、残る片手でウルフの頬を張り飛ばす。
「騒ぐな!」
「だって、嬉しいじゃん。もっと一緒にいられるし」
「……殴ってもいいだろうか」
 思わずシリルに目を向けていた。思い切り拳で殴りたい。どれほど気持ちがすっとするだろう、とそんなことを考えてしまう。
「拳はやめてください。僕の用事が増えますから」
 笑いながらシリルが言った。
「と言うか、すでに平手でひっぱたいてるわよ、アンタ」
 同じように笑いつつアレクが腹を抱えている。サイファはぐっと唇を噛みしめる。言われてみればその通り、確かに頬を張ったあとだった。思わず自分の掌を見つめてしまったサイファを兄弟が見つめては、息を詰め、また大笑いを弾けさせていた。




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