廃墟の町を静かに駆け抜けていく。いつの間にか駆け足になっていた。それなのに松明の光には少しも追いつかない。
「シリル」
 後ろからサイファが声をかける。
「えぇ、気づいています」
 前方に、ぼんやりと明りが見えていた。追ってきた松明ではない。松明はその光に合流し、留まった。
「盗賊、かな」
 少しもそうは思っていない声でウルフが言う。抜き身の剣が三日月に鈍い光を放った。
「どこの世界にこんな悠長な盗賊がいるのよ」
「悠長?」
「廃墟よ、ここ」
「それもそうだね」
 ウルフが少しばかり笑った。一行は走り続けている。明りが近くなっていた。
「シリル」
 警戒をサイファが呼びかける。シリルが足を止めた。明りはもう目の前だった。
「あなた方は……」
 光の中、いたのは数多くの人間。ここが廃墟でなかったならば町の人間と見たことだろう。皆、ぼんやりと視線の定まらない目をして一行を見ている。
「あっ」
 振り返ったアレクが声を上げた。気づいて振り向いたサイファも声こそ上げなかったものの、同じように驚く。この自分に気づかせないで背後を囲むとは、と。
 一行は松明を持った人間に囲まれていた。
 ずるり、人間たちが一歩を踏み出す。
「なにが目的なの」
 アレクが果敢に声を張り上げる。が、耳がないように人間は止まらない。
 どこからか笑い声が聞こえた。
「なに……」
 眉を顰めたらしいウルフの声がサイファに聞こえる。
「気をつけろ」
「わかってるわよ」
 ウルフに言ったのだが、アレクが答える。このような状況でなかったならば、サイファとてその勘違いに笑ったことだろうが、今はそうも行かない。
 前方の松明が割れた。
「来る」
 シリルが小声でウルフに注意を促す。松明を持った人間などとは格段に違う、何か。それが歩いてくる。
 足音が二つ。忍ばせる気もないと言うことは一行をくみし易しと侮っている証左かもしれない。
「くっ」
 下がりかけた足を必死でアレクが止めていた。何事かを払い落とすよう、首を振った拍子に薄い三日月の光が金の耳飾りに反射する。
 前方から姿を現したのは、古めかしい、破れたローブをまとった影。人間の本能に恐怖を訴えかける影。光の外で顔形がうかがえないのが、よりいっそうそれを煽った。
「我が下僕になるがいい……」
 地の底から聞こえてくる声があるとすれば、このような声でもあろうか。肌が粟立つのを押さえようもなかった。シリルとウルフは、剣を握る手に汗が滲むのを感じていた。
 ずっ、と一行を囲む輪が狭まった。
「誰が!」
 気丈に言い返したのは無論、アレク。いつのまに抜いたのか、手には短剣がある。
「ほう……」
 どこか、面白がるような声で影が言う。
「人間が、切れるか? 同族が、切れるか?」
「かかってくるなら、お相手するわよ」
「ならば戦うがいい。どちらにせよ、我が下僕となる運命に変わりはない……」
 夜の中に消えていくような声。だがそこに留まり続ける。
 頼りない足取りで、人間の輪がまた狭まる。ゆらり、揺れて一行に寄ってくる。彼らは手に手に武器を持っていた。粗末な、武器ともいえない武器。鍬や鋤、棍棒らしいものは麺棒だろうか。女も男もいる。それらが無表情に迫ってくるさまは恐ろしい。
「来ないで!」
 耐え切れず、アレクが半ば悲鳴を上げる。かまわず一番近くの男がアレクに向かい鍬を振りかぶる。火花が散って、そこにシリルの剣があった。
「なにが目的だ」
 男に問いかけても答えず、さらに向かってくる。
「ならば、容赦はしない」
 アレクに危害を加えられそうになったのが許せないのか、シリルが男の武器を剣で跳ね上げ、それでもまだ向かってくる男の腕を切り飛ばした。
「シリル、こいつらおかしい!」
 上ずった声はウルフだった。
「僕もそう思ってるとこだ」
 剣についた血を拭うまもなく、別の女が棍棒で打ちかかってくるのを今度ははじめから腕を飛ばす。
「ちょっとやばいかも」
 アレクの余裕のある声は作られたもの。松明の明かりの中、強張った顔をしていた。
 切り飛ばされた腕は地に落ちるとぐずぐずと崩れ、そして人間はそれをものともせず襲い掛かってくる。
「素直に言うこと聞きゃいいのによぉ」
 下卑た声がして、松明の中に姿を現す。
「貴様……!」
 あの、オルトの町の男だった。
「坊さんは神殿に座ってりゃいいのによ」
 大げさに肩をすくめてにたり、笑う。その間も人間は襲い掛かり続けた。
「アンデッドか……」
 サイファが呟き、呪文をすばやく編み上げて解放する。魔法の火が、矢となって死者の群れに逆襲した。
 その火明りの中にサイファの顔が浮かぶ。オルトの町の男が息を呑むのが聞こえた。
「綺麗だって、言ったじゃんか」
「なに遊んでんのよ!」
 ウルフの軽口に、アレクが怒鳴る。いかんせん、サイファにも数が多すぎた。倒しきれない死者が、前衛に向かっている。背後からも襲い掛かる死者の群れにも何度となく火の矢を浴びせる。ローブの影が地を這うような笑い声を上げていた。
 ウルフの剣が、遅れていた。死者の群れは意外と動きが素早かった。それ以上に数の問題がある。振り続けた剣が、重たい。
「ちっ」
 鍬が腕に当たり、かすり傷を負う。
「ウルフ」
「大丈夫」
 シリルにわずかな言葉で答え、ウルフは剣を振り続けた。サイファも黙って見ているわけではなく、数え切れないほど火の矢を飛ばしている。
 かつては、この町の住人だったのだろう。いくら小さな町と言っても住人すべてが向かってくるとなれば、たった四人の冒険者にはいささか荷が重い。
「ほらほら傷だらけになっちゃうぜ。痛い思いするよりさっさと降伏してリッチ様の下僕になっちまえって」
 オルトの町の男の、その軽口が戦況を変えたとは、男は思いもしなかっただろう。
「シリル!」
 強い、サイファの声だった。同時にサイファが別の呪文を詠唱する。シリルが手の剣をアレクに投げ渡した。
「貴様、余計なことを……」
 ローブの影が男に向かい手を上げた。
「ひっ」
 男の体が一瞬固まり、それから萎びていく。生気を吸い取られていた。顔に皺が増し、もがく体から水分が急速に失われていく。アレクが喉の奥でこらえていた。
 リッチと呼ばれた影が男にかかずらっている間にサイファは呪文を発動させていた。辺りが一瞬にして明るくなる。一行の両側に丈高い火の壁が出現していた。それから次いでリッチの後ろ、一行の背後にも。
 めらめらと燃える炎の壁に阻まれて死者は一行に近づけない。それでもリッチの命令は絶対なのか、火の壁に自ら飛び込んで、無表情に燃えていく。胸の悪くなるような情景だった。
「おのれ……」
 リッチが憎悪を滴らせ、両手を頭上に掲げる。普段使っていないとは思えない構えでアレクが長剣を持ち、シリルの横を守る。呪文の維持に集中するサイファは横手の影に気づかなかった。
「サイファ!」
 視界の端に映った影にウルフが声を上げる。が、咄嗟にサイファは動けない。それは燃え盛る死者だった。
「ぐっ」
 声を上げることもできないサイファの前でウルフが体当たりで火達磨の死者を止めていた。ぶすぶすと、革鎧の焦げる臭いがする。火傷を負いながらも、剣で死者を再度火の中に叩き込み、荒い息をつく。それからサイファが傷を負っていないのを確認して少し、笑った。
「許さん、許さん……」
 リッチが、呪文を編み上げ終わった。が、そこまでだった。解放する前にシリルの声が響き渡る。
「マルサド神に願い奉る。光もて邪悪を打ち払いたまえ。我、この地を浄化せん!」
 炎の壁の明りとも、松明の明りとも違う光が、その場を満たした。シリルの、掲げた両手から光はあふれていた。暖かい、日の光のようなそれにさらされて死者がたちまちに崩れていく。
 苦鳴が響き渡った。
「が……ッ」
 リッチが、身悶えしていた。一行に向かい、呪文を解放しようとして、けれど果たせずまだ掴みかかろうと足を進める。ウルフが飛び出していた。一息にリッチの元まで駆け寄り、剣を振り下ろす。ずるり、肩口から脇腹まで切り下ろされた体が、滑った。
 ずれた体を両腕で抱え込みながらリッチはまだ歩を進める。その足が、一歩ずつ、崩れていった。そして指先から腕が崩れ、シリルの前まで来たときついに地にわだかまる。ローブだけが残り、それから塵となって消えた。
 その瞬間だった。
 例えようもない声だった。悲鳴でも苦鳴でもない。リッチの、最後の絶叫にアレクとウルフが頭を抱えて座り込む。彼らの喉からは、声も上がらなかった。
「アレク!」
 シリルが彼のそばに走り寄り抱きかかえる。のた打ち回ることもできない苦痛にさいなまれていた。
「大丈夫だ。すぐに収まる」
 サイファがなだめているのは、ウルフ。耳を押さえて唇を噛むウルフをローブの中に包み込み、耳許で囁き続ける。痛みに、サイファの腕からさえ逃れようとするのをしっかりと抱き、火の中に照り映える赤毛を撫でていた。
 すでに制約を解かれた火の壁は姿を消し、ちろちろと一行の周囲で燃えているばかり。死者の影もなく、ただ静かな廃墟だった。
 明け初めた朝の光がぼんやりと空を紫に染めはじめていた。




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