そこにつくまでの間、それ以上の事は起きなかった。手強いと言える怪物にも会わなかったし目ぼしい宝も手に入っていない。金貨がもう少し手に入った程度だった。
 そこは廃墟だった。
「所詮は噂だったってことかしらね」
 苦笑いしながらアレクがぼやく。
 かつては小さいながらも穏やかな暮らしを営んでいた町だったのだろう。町を囲う外壁は崩れ去り、石と土の山と化している。
「とりあえずは行ってみようよ」
 アレクの愚痴を聞き流し、物珍しげにウルフが先を促した。
 だがしかし、これと言って見るべきものもない。家々の窓は壊れて垂れ下がり、通りは吹き寄せられた瓦礫でいっぱいだった。人の気配などもちろんない。
「三王子がいると言うのも噂だったらしいな」
 辺りを見回し、サイファが言った。何か違和感があるのだが、うまくは言えない。どことなくおかしいのだか、なにがおかしいのかがわからない。例えて言うならば夏の日の軒先に小さな氷柱を見つけてしまったような。
「そのようですね」
 シリルも何かを感じているようでしきりに辺りをうかがっている。
 歩けば歩くほど、荒廃の度合いが酷くなっていくようだった。
「ここ、宿屋だったのかな」
「ウルフ、泊まりたい?」
「……やめとく」
「正解ね」
 扉も崩れた、宿屋だったと思しき建物の中を覗いていたウルフにアレクが言う。すでに人々の姿が消えて久しいのだろう、鼠一匹見かけなかった。
「さて、どうする?」
 アレクが立ち止まり、後ろの二人を振り返る。その拍子に背中の髪がしなやかに跳ね上がった。
 一行は空を振り仰ぐ。町があれば泊まるつもりだった。なければ野営と決めていた。だが、ここでは。空は早、翳り始めている。
「野営、かな」
「町の外まで出る?」
「いや、ウルフ。さっき広場を見かけただろう? あそこはどうだろう」
「なんでよシリル」
「だって、何かあればそのほうが動きやすいだろうし」
「何かって、なに」
「……何かだよ」
 兄弟の相変わらずの言い争いに加わるつもりもないサイファは再び空を見上げる。肌がちくちくとする。
「サイファ」
「なんだ」
「この町、出たほうがいいかな」
「お前は出たいのか」
「そうじゃなくて。なんかおかしいと思ってるんでしょ?」
 稀に見せるウルフの妙な察しのよさに呆れてしまう。
「確かに」
「だったらさ」
「いや……」
「サイファもそう思いますか」
 アレクとの口論を中断してシリルが口を挟む。いやに真剣な目をしていた。
「そうってなによ」
「アレクは感じない?」
「だから、なにが」
「なんだか、妙な感じがするんだ」
「だからサイファに出たほうが、って聞いてたんだ」
「坊やも何か感じる?」
「んー。全然」
「僕とサイファは魔法を使う分、感覚が鋭いのかもしれない」
「私は襲撃の可能性を考えている」
 小声だったにもかかわらず、一行はその言葉に一瞬にして緊張した。
「だから、ある程度広い場所で、しかも全方向から襲撃される可能性の低い場所にいたほうがいいだろう」
「……誰が?」
「わからん。だから用心するのではないのか」
「それもそうね」
 アレクが肩をすくめる。それで決まりだった。一行は広場に引き返し野営の準備を整える。広場、と言ってもささやかな場所だった。町がまだ町であったころ、ここには遠くより旅をしてきた行商の馬車が止まったのだろう。荷物を乗せた馬車に子供たちが群がれば、それだけで広場は埋め尽くされてしまう。それくらいの広さだった。中央の、とっくに水の涸れた泉の底には落ち葉が寂しげにわだかまっているばかり。小さな町のせいだろう、広場に入る道は一本きりだった。一行にとってそれは格別に意味のあることになる。
「油断はできないけどね」
 アレクが辺りを見回す。広場の奥は崩れた建物が埋め尽くしている。襲撃の計画を立てるものが隠れるには絶好だろう。
「町の外で追いかけられるよりはいいよ」
 シリルがアレクそっくりに肩をすくめた。
「晩飯、どうするの? おなかすいたよ」
「坊やは育ち盛りねぇ」
「アレクとそんなに年変わらないと思うんだけど」
 不満げに言うのについアレクが吹き出す。緊張がわずかにほぐれた。
 アレク曰く「遺跡荒らしの勘が言ってるの」の一言で、火は使えなくなった。冷たい携帯食を皮袋の水で流し込む。
「これ、塩がきついわ」
「どれ?」
「干し肉」
 まずそうに舌を出したアレクの手にある干し肉を取ってシリルが口に入れる。そして同じ顔をする。
「ホントさ、普段は似てないのにたまに妙に似てるよね」
 笑ってウルフが言うのに、やはり兄弟は良く似た表情を浮かべて困り果てていた。食事が済むころ、町はすっかり闇に閉ざされた。幸い、月が照っていた。三日月とは言え、ないよりはいい。ごくごく淡い光が、側に寄り合う一行の姿をかすかに照らしている。
「昨日はアタシ達が先だったから、今夜はアンタ達ね」
 することもない上、何かがあればまず大切なのは体力だった。体力を保つためには眠るのが一番いい。アレクはさっさと旅のマントに包まって横になる。
「お願いします」
 シリルも次いで横になった。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。どこでも眠れてなんでも食べられる。それが冒険者の資質と言うものかもしれない。
 生き物の気配のまるでない、静かな夜だった。空にかかる薄い三日月の光だけの下、冒険者たちが影になって眠り、あるいは見張りする。静かすぎて薄気味が悪い。
 異変はシリルたちの夜番のときに起こった。
「シリル」
 アレクが囁く。
「気づいてる」
 そっとシリルも答えた。
 ぼんやりと、光が近づいてきていた。松明らしい明りがひとつ、廃墟の町を抜けてくる。人影はまだ見えない。背筋が凍るような眺めだった。
 警戒するシリルに代わり、アレクがサイファに手を掛ける。それだけで魔術師は目覚めた。
「眠ってた?」
 あまりに速い目覚めに、いぶかしげな声を上げる。サイファは答えずウルフをゆすり、次いで口許に手を当てた。ウルフが声を上げるのを防いだのだった。サイファもすでに松明に気づいていた。
「なに……」
 まだ朝ではないのに、とそれでも小さな声で抗議の声を上げかけたウルフがようやく光に気づき、眠ったままでも抱えていた剣を改めて握り締める。
 松明は少しずつ近づいてきていた。
「人かな?」
 強張った声でシリルが囁く。
「廃墟に?」
 アレクの声も硬かった。
 その間もゆっくり光は近寄り、松明を持つ影の顔が見え始めた。どことなく生気に欠けた女の顔だった。着ているものも清潔とは言い難い。
「何か御用ですか」
 とにかく人間だ、と言うことを確認したシリルが意を決して声をかける。
 女は答えない。ただ松明を掲げ、顔を伏せるばかり。泣いているように見えた。
「どうかなさったのですか」
 シリルの声に女は来た方を振り返り、そしてもう一度シリルを見る。それから片手を上げて手招きをした。
「御婦人……」
 問いただそうとするシリルを尻目に女は下がっていく。淀みなく、このような暗がりに松明の明りだけとは思えないほど滑らかに、女はもと来た道を戻っていく。
「どー見ても罠だわね」
 アレクが皮肉げな声を出す。
「罠かなぁ」
「坊や、どこが罠じゃないと思うわけ?」
「なんか困ってそうだったし」
「それが罠だって言うのよ」
 罠だと知った以上、声を潜めるのは無駄だとばかりにアレクの声は普通の調子に戻っていた。まだわからない、と首をひねるウルフを軽く小突いてアレクは立ち上がる。
「行きましょ」
「罠とわかって飛び込むか?」
 かすかに不審を滲ませたサイファの声だった。松明が去り、辺りは先ほど以上に闇が濃い。
「かかってみなきゃ何が起こってるのかわからないじゃない」
「それも一理だな」
「そう来なくちゃね」
「サイファ、アレクをそそのかさないでください」
 不安そうなシリルの声だったが、それでも彼は立ち上がる。静かにアレクに寄り添った。
「見失っちゃうよ」
 剣を抜きただぶら下げているように見えるウルフだったが、シリルの目にはどこから襲われてもすぐに対応できる姿勢だと見える。そうしてウルフもサイファの横に立つ。
「行くか」
 サイファの一言に一行はうなずき、すでにかすかになっている松明を追っていく。
「速いな」
 シリルがぽつり、言った。
「女の足にしちゃ速いわね」
 アレクも言いながら足を速める。一行は何が起こってもいいよう、シリルを先頭にその横をウルフとアレクが固め、サイファがシリルのあとに続く、そんな戦闘の隊列を自然に作っていた。
「おかしいよ」
 緊張したウルフの声。小走りのせいか、わずかばかり弾んでいる。
「なにをいまさら」
 アレクが笑った。




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