夜明けと共に一行はオルトの町を後にした。冒険者たちは早発ちが常なのか、すでに町中には人の影があちらこちらに散見された。
 ウルフたちも革の鎧を身につけ、アレクはきつく髪を編んでいる。さして日が経ったわけでもないのに、見慣れた旅姿だった。
「今日は天気良さそうだね」
 ウルフが朝も早いというのに元気に言う。いささか寝不足気味のアレクは機嫌が悪かった。
「だからなによ」
「なに怒ってんの?」
「別に怒ってないわよ」
「ほんとに?」
「しつこい男は嫌われるわよ」
 じろりと睨みつけた割に、それでも隣を歩くウルフを遠ざけようとはしなかった。
 困った顔をしたシリルと、彼に並んでサイファが後ろに続いている。シリルが困っているのは、アレクの機嫌の悪さの原因が自分にあると知っていたせいだった。
 結局あのあと、一行は色々と話し合いをしたのだけれど、元々の情報が少ない上に所詮は噂である。行ってみなければ事実かどうかもわからない、そもそも町があるかどうかも確かではないとなれば話をする意味もない。
 後は行ってみたいかどうか、それだけだった。
 そして一行はそのオルトから二日ほど行った町、とやらに行くことに決めてしまったのだ。だが、それが決まるまでに真夜中までかかってしまった。誰が悪い、といえば脱線しがちなアレクが一番悪いのだろうが、それに調子を合わせて遊んでしまうウルフもウルフだったし、止めないシリルも悪かった。サイファにいたっては、誰も軌道修正の任を担うとは思っていない。
 ――あのまま寝てしまったからなぁ。
 こっそりと心の中でシリルは溜息をつく。途中でサイファに邪魔をされた上に夜は相手をしないで眠ってしまったのだ。アレクの機嫌が悪いのも無理はない。
「サイファ」
 突然、思い出して声をかけた。
「なんだ」
 無愛想なサイファの声。フード越しの顔は見えなかったけれど、彼は彼で寝不足なのかもしれない。
「その……」
 声をかけたものの、なんと言って切り出したものか、困ってしまう。
「例のことなら、ウルフに言うつもりはないし、お前たちの関係に干渉する気もない」
 シリルの懸念などどこ吹く風、と言った様子であっさり言われてしまった。返ってそれで肩の力が抜ける。
「ありがとう。アレクとは、その」
「だから興味はない、と言っている」
「……軽蔑しているんでしょうね」
「なにがだ?」
 心底、不思議でたまらないといった声にシリルはサイファを見つめた。いつのまに町の門をくぐったものか、サイファのフードは先ほどより浅く額にかかっていた。
「僕はアレクを恋人ではないと言いました」
「それで」
「それなのに」
 知らずシリルの声に苦汁が混じる。
「恥じているのか」
「いいえ!」
「ならば、なぜ軽蔑されるなどと思う」
「それは……」
「お前が今のままでいいと思うならばそれもよし。変えたいと思うならばそれもよし。いずれにせよ、自分のことは自分で片付けるよりないだろう」
 珍しくサイファは一息にそれだけを言う。どこか、他人事のような気がしなかった。変えたいと、自分を変えたいと思っているのかもしれない。何度も失望させられた人間だけれど、失望するということはまだ望みを持っているということの裏返しなのかもしれなかった。
「えぇ、本当に」
 サイファが言った意味を正確に理解したのかどうか、シリルが曖昧に微笑う。
「なに二人でこそこそ話してんのよ」
 アレクの尖った声がする。
「内緒話だ」
 かすかにサイファが笑って答える。まだ不機嫌そうな目をしてアレクが彼を見つめ、それから何かに気づいた、といった顔をしてうなずいた。
「あっそ。黙ってる気ならいいわ」
「でしゃばりをする気はないんでな」
「ま、それどころじゃないでしょうしね」
 言ってにたり、アレクが笑った。今度はサイファが不機嫌になって黙る。図星を指されるのは気持ちのいいものではなかった。一人ウルフだけが何のことやらわからない、ときょとんとしていた。
 寒くもなく暑くもない、旅には良い季節だった。オルトの町の冒険者たちの功績なのだろう、幸いと言うべきか力ある魔物の姿も見かけない。おかげでウルフの経験を積むことができないのがあとで困難を招く可能性はあったが、一行の中でそれを心配するものはいなかった。
 彼らはすでにウルフの腕を見ていた。シリルに、武闘神官たるシリルに劣るものではない、と知っていた。加えて自分たちの技量がある。まずこのあたりで苦労することはなさそうだった。万が一の場合は誰もがウルフの補助を務めることぐらいはできた。
「さすがにちょっと暇ね」
 サイファとの短いやり取りですっかり機嫌の戻ったアレクが明るく言う。もっとも機嫌は時間と共に戻ったのかもしれない。あまりひとつのことに執着する性格ではなかった。すでにあれから数時間が経過している。
 単調な道は冒険、というより単なる旅といったほうが正しい。
「そろそろ街道を外れるはずだけど」
 シリルがオルトの町の男から貰い受けた地図を見ながら言う。
「アンタの地図は当てになんないのよね」
 大げさな溜息をついて見せたアレクにウルフが笑い声を立てる。一行はいつもの並び順に戻っていた。シリルの持つ地図を横からアレクが覗いている。
「まぁ、そう言わずに。ね」
「間違ってとんでもない方に連れて行かれるのは嫌なのよ」
「それは僕だって嫌だけど……」
「でもさ、アレク。その地図ってシリルの地図じゃないんでしょ?」
「そういう問題じゃないのよ。シリルは決定的に方向音痴なの」
「……本当か」
 治まっていたはずの頭痛がサイファに蘇る。まともに地図を見ることも出来ない者が地図を持っていることに、疑問を持たないとは。
「違います! アレクが根に持ってるだけで……」
「誰が根に持ってるって?」
「あ、いや……なんでもない」
 華やかな女の笑顔。低い男の声。サイファの頭痛は確実に痛みを増していた。腰の引けたシリルが逃げ出そうと身構えたとき、瞬時にその体勢が変わる。
「ウルフ!」
 シリルが緊張した声を上げる。ウルフはとっくに剣を構えていた。
「不覚だったわね」
 体の大きな二匹のオークがすぐそこに迫っていた。お喋りで気づかなかったとは、冒険者の端くれとして情けない事態だった。
「不意打ち食らわなかっただけマシってこと」
 シリルがわずかに唇の端を歪めてオークに切りかかる。厚い皮膚が剣に引き裂かれ血を流す。鋭い剣だった。
 ウルフも黙って見てはいない。シリルが向かったオークにウルフも剣を振るった。よけようと掲げた腕に見事に当たり、そしてそのまま跳ね飛ばす。くぐもった悲鳴を上げたオークの片腕からどろり、血が流れた。
「シリル!」
 アレクの声が飛ぶ。シリルは振り向き様に剣を振るいまだ無傷のオークを牽制した。その間にウルフは手傷を負ったオークにとどめを刺す。
 唇の中、サイファが呪文を唱える。揺らめく光が現れたかと思うと、オークの体を網のように押し包み逃れようともがくオークは細かい傷だらけになった。が、厚い皮膚はその程度では血を流しもしない。シリルは動きを封じられたオークに無表情に近づき剣を刺す。急所を一撃されたオークはそのまま地に倒れた。
「暇なんて、言うんじゃなかったわね」
 いかにも後悔した、といった顔を作ってアレクが天を仰ぐ。あからさますぎて誰も信用しない。かえって笑いが起きて緊張がほぐれたぐらいだった。
「こいつらなんか持ってるかしら」
 死体を足で蹴ってアレクが探る。見つかったのは数枚の金貨だけだった。
 オークに金貨の価値がわかるわけではない。魔物に経済の概念はなかった。ただそれが綺麗だから集めているに過ぎない。もう少し力ある魔物になると魔法の品物を持っていることもあるが、それも自分で利用しようとすることはなく、その魔力の波動が心地良いから持っているだけだと言われている。
「初収入だね」
 剣を振って血を落としたウルフが笑った。
「そういえばそうだね。君のお手柄かな」
「やった! サイファ、シリルに褒められたよ!」
 剣を鞘に収めることもせず飛びついてくるウルフをやっとのことでよける。そのまま蹴倒してくれようか、とも思ったが一応のところ手柄ではあるのだからと止め、
「次に抜き身のまま向かって来たら魔法を飛ばす」
 そう、脅すにとどめた。
「んじゃ、しまったらいいんだよね」
 だがしかし、ウルフは無邪気にそんなことを言いサイファの頭痛を深くするのだった。
「お二人さん、さっさと移動しないと血の臭いを嗅ぎつけられるわよ」
 ここぞとばかりに思い切りアレクのからかいを含んだ声が飛んだ。言い返したいと思いはするものの、なにぶん一人で黙って暮らしてきたサイファはとっさに反撃の言葉が浮かばない。何事も聞こえなかった顔をして歩き出すのがせいぜいだった。
「サイファ」
 小声でウルフが呼びかける。
「なんだ」
 律儀にサイファも答えている。それを前方で兄弟が少しだけかわした視線で笑いあっている気配がした。思わずむっとしたサイファはそれをまだ被ったままのフードのせいにする。暑いせいだ、と。
「俺、サイファの役に立ったよね?」
 不安げな声。剣を振るうときのためらいのないウルフと同じとはとても思えない。
「あぁ……」
 フードを背中に下ろす。風が気持ちよかった。マントの中にしまいこんでいた髪も外に出してしまえばいっそう涼しい。
「サイファ」
 泣き出しそうな声。
「役に、立った?」
 せっかくの良い気分が吹き飛びそうになる。溜息をこらえ、頭痛をこらえようと額に置きたくなった手も耐える。
「役に立っている」
 はっきり言わないとわからない、とは言ったがここまでとは。兄弟の忍び笑いにウルフの喜びにあふれた笑いがかぶさった。




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