すっかり日が暮れていた。四人がそれぞれ必要なものを買い揃えるとなると、意外と時間がかかる。一度サイファが塔から糧食を持ってきてくれたとは言え、突然の出発になってしまった一行には、足らないものなど、かなりあった。補給できるときにしておく。それが生命に関わることにならないとも限らないからだった。
「おじさん、エール!」
 酒場に入るなり、アレクが言う。宿屋に入る前、ちらりと見て安全そうだ、と思ったとおり冒険者のたまり場になってはいるが危険な兆候はなかった。
 どちらを見回しても武装しているものはいない。あるいはそれはこの町の不文律なのかもしれない。
「へぇ、お待ちを」
 言いながらも主人はすぐに四つのジョッキを持ってくる。
「ちょっと待って」
 いぶかしげな顔をした主人の前でアレクが一息でエールを飲み干す。
「おかわり、よろしくね」
 華やかに、笑った。呆れ顔と儲けに喜ぶ顔、どちらをしたものかと半々の表情を浮かべた主人に代わって女将と思しき中年の女がジョッキを持って現れる。
「はい、おまちどお」
「あら、ありがと」
 どこから見ても女二人が笑みを交わしてるようにしか見えないのだが、実情を知っている一向はひそかに頭を抱える。
 そんなことは知っていても無視するアレクのこと、新しいジョッキをまた半分ほど飲み干して盛大に息をつく。
「姐ちゃん、いい飲みっぷりだな。俺からもおごらしてくれや」
「ありがと。でも酔い潰そうなんて考えない方がいいわよ」
 アタシ強いから、言ってアレクが笑い出す。シリルはまだ頭を抱えていたが、付き合いの短い二人には、すでに酔っているのでは、という懸念が芽生え始めていた。
「アレク、ほどほどにね」
「わかってるわよ」
「ねぇ、アレク。最高でどれくらい飲んだ?」
「頼むからウルフ。そんな恐ろしいことを僕に思い出させないで」
「え、あ……、なんか悪いこと聞いちゃった?」
「それほどすさまじいことがあった、ということだろう」
 ウルフの問いかけに、つい答えたサイファを物凄い目でアレクが睨む。フードを被ったままのサイファはその気配は感じはしたものの、見えないのだからどうと言うことはない、と嘯きかねない態度で平然としていた。
「ねえ、お兄さんたち。この辺で魔物退治してるの?」
「おうよ。それなりに使えるぜ」
「じゃあ、なんか面白い情報ってないかしら」
 すっかり酒の勢いを借りて馴染んでしまったアレクが男たちに問いかける。こんな風にしていつも情報を引き出しているのかもしれない。中々うまい手だ、サイファは物珍しげに見ていた。
「おもしれぇことなぁ」
 男たちがてんでに顔を見合わせて小声で話し始める。最初にエールをおごった男がアレクの横に座って腿の上に手を置いてにたり、笑う。
「教えてやってもいいけど。高いぜ?」
「じゃ、いらない」
「おいおい姐ちゃん、そりゃないぜ」
 単に駆け引きだと思ったのだろう。男は軽くいなして取り合わず、解いたままの髪を指に絡めた。
 その仕種に、ウルフが腰を浮かしかける。サイファが止めた。なぜ、と言う目をして見る気配に、そっと顎をしゃくってシリルを指す。
「兄さん、その人に触らないでくれるかな」
 とっくに立ち上がったシリルが男の肩に手を掛ける。アレクの満足そうな顔を見る限り、それを狙っていた、としかサイファには思えなかった。シリルとは別の意味で頭痛の種が増えた気がする。
「なんでぇ、男つきかよ」
 興味を失った顔の男が大げさな溜息をついてがっくり肩を落として見せる。
「わかってくれたら、いいんだ」
 穏やかな声を崩さないままにシリルは言い、自分の席に戻る。その肩口にそっとアレクが頬を寄せるのは、明らかに嫌がらせだろう、とサイファは見る。シリルは以前、恋人ではない、と言い切った。それはおそらく事実だろう。けれど、二人の間に何事もない、と思うほどサイファも純ではない。介入しようと思うほどお節介でもなかったが。
 男の手前、振り払うこともできないシリルが曖昧な笑みを浮かべその実、本気で困っているのをアレクが楽しげに見ながら自分の耳飾りに触れていた。
「悪いわね。焼きもち妬きの彼氏で困っちゃうわ」
「飽きたらいつでもこいや。姐ちゃんなら歓迎だ」
「考えとくわ」
「ま、お近づきのしるしってとこだな。おもしれぇこと教えてやるよ」
「気前のいい男って、いいわね」
 唇だけでアレクが笑う。男だと、知ってはいても妖艶でぞくりとする。ウルフが顔を赤らめて目をそらした。
「ここから、街道を外れて二日ぐらい行ったとこに町があるらしい」
「らしいってなによ」
 言いながらアレクがエールを注文する。ついでにサイファも片手を上げ声には出さずアレクを指し、同じものと意思表示をする。ウルフも声を上げ、シリルも自棄を起こしたか、やはり追加を頼んだ。
「俺らはこの辺りが根城なんだよ、二日先じゃわからねぇ」
「そういうもんかなぁ」
「坊主、冒険始めてどれくらいだ、え? どうせひよっ子だろうが。そういうもん、なんだよ。覚えとけ」
 アレクを相手にするのとは一転して凄まれ、ウルフは言葉もなく体を縮める。
「まぁいいや。とりあえずあるらしいとしかわかってねぇが、どうやら大物が向かったみたいだ」
 伝聞ばっかですまねぇな、とこれはアレクに向かって笑顔と共に。どうやら男と女では明らかに態度を変える人種のようだ。
「大物?」
 シリルが口を挟む。
「大物だ」
 男は目で笑って同じことを繰り返す。
「で、大物ってなによ」
「おうよ、それがな」
 嬉々として喋りだすのを見て、シリルがひそかに溜息をつく。自分も充分に同情に値する経緯で一向に加わったが、シリルはこれと兄弟なのだ、と思えばまだ下はいる、と同情したくなるサイファだった。
「あんたらも冒険者の端くれなら、三王子の噂は知ってるだろ?」
「あの、三王子?」
「それだそれ。どうやらその町に入ったってな噂があるんだな」
「奇妙だな……」
 ぽつり、シリルが呟く。サイファもまた、無言でうなずいた。ここに来ていきなり三王子の具体的な行き先が、あるかどうかわからないと言う町であれわかる、と言うのはやはりサイファにもいぶかしく思える。
「なんで?」
 小声でウルフが問いかけるのに、同じよう小声で後で、と返す。
「あんた、魔術師か? いいから説明してやれよ」
 嘲笑もあらわに男が言う。間違いなく戦士形の体型をした男は筋力至上主義らしい。
「やめたほうがいいと思うなぁ」
「なにがだ、坊主」
「この人、めちゃくちゃ綺麗だから。あんた宗旨替えするかもしれないよ」
「ホントホント。びっくりするくらい綺麗だもんねぇ」
 アレクが調子を合わせて笑い出す。ウルフにしては上出来だ、と少しは褒めてもいい。サイファが話せば声で半エルフと知れ兼ねない。騒ぎが起こる可能性は少しでも減らしたい。冒険者だけがここにいるとは言っても半エルフに対する偏見は根強い。何があってもおかしくはないのだから。
 だから、半エルフだから喋らない、と明かすのは言語道断だった。それをしなかったのは、褒めてもいい。が、言うに事欠いて綺麗だの宗旨替えだのとは何事か。こっそりテーブルの下で拳を握るサイファをシリルが痛ましげな目で見ている。
「そんな綺麗な面なら男でも拝まして欲しいもんだぜ、あん?」
 男の嘲りが凍りついた。
「ダメ。絶対見せないから」
 断言したウルフがサイファの腕を取って引き寄せたのだ。
 ウルフにとっては「引き寄せた」だけだっただろう。サイファを馬鹿馬鹿しいことから守りたいと思っただけなのは良くわかる。だが状況が状況だ。誰の目から見てもそれは「抱き寄せた」としか見えなかった。
 思い切り殴ってやりたい、サイファは心から思っている。握った拳が震えていた。が、今ここでそれをすればそれこそ誰が見ても痴話喧嘩。自分で傷口に塩を塗るに等しい。
「アンタ、言うようになったわねぇ」
 笑い転げて見せるアレクの声でその場の全員がようやく我に返った。うつろな笑い声が響く。
「それで、三王子の話ってどうなのよ」
 かなり強引にアレクが元の話に戻す。が、目に涙までためて笑っているので、誰もが話をずらされたことに気づかなかった。
「お、おう」
 毒気を抜かれた男がジョッキをあおって息を入れる。それでも一言も喋らないサイファをちらり、見て話を続けた。
「その町ってのがな、えれぇ気味の悪い所らしいんだな。三王子はその原因を突き止めに行ったって噂だぜ」
「気味の悪い、ねぇ?」
「なんでそんな風に言われてんのかは俺もしらねぇ」
「三王子かぁ。どう、行ってみる?」
 最後はシリルに向けたものだった。
「とりあえず、朝まで考えない?」
「そっちの二人がいいならそれでいいわ」
「俺に選択権なんてあるわけ?」
 情けなさそうな声を出すウルフにアレクは無論、笑顔で
「ないわ」
 言い切った。
「あなたは、どうです。考えておいてください」
 シリルがサイファに向けて問い、答えられないと知って言葉を足す。
「お兄さん、情報ありがと」
 どうやら力関係が見えたらしい男がにやにやと笑うのにアレクは礼を言う。そのせいか、わずかに下を向いた男の顔に浮かんだ表情を目にすることはなかった。軽い調子で金をテーブルに置いて
「これで好きなだけ飲んでちょうだいな。お相手できなくって悪いけど」
「お、すまねぇな」
 男もそれを拒みはしない。どうやらこれが冒険者同士の情報のやり取り、と言うものらしい。ようやくサイファにも把握できてきたのだった。




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