オルトの町は厳重に警戒されていた。当然だった。まだネシアから二日足らずとは言え、ここはすでにシャルマークの内なのだ。 灰色の壁が町を囲み、いまは開かれている門には警備兵が立つ。日が暮れれば門は閉ざされるのだろう。 「冒険者か」 警備兵は一行を鋭い目で見、用件を聞く。 「そうです。食事と宿、それから糧食の補充をしたいと思って」 一行の中ではもっとも常識的なシリルが応対を務める。サイファはすでに深緑のフードをしっかりと下ろしていた。 「そこのフード。顔を見せろ」 それを不審に思ったのだろう。シリルの要求はもっともとうなずきながら警備兵は言う。アレクがネシアでの騒ぎを思い出したか、体をすくめる。 「……半エルフだ。見ないほうが良かろう。身元はそこの神官が保証する」 「半エルフ……」 ぞくりと響く声だけでもそれと知れたか警備兵は一歩、下がった。それにウルフが険しい目をして前に出かかる。アレクがさりげなく前に出なければ、掴みかかっていたかもしれない。 「神官殿の、仲間でいいのか」 シリルの鎧下の神官服を見て、はじめて神官だと気づいたのだろう。シリルもそれに応え、襟元から下げていた聖印を引っ張り出して警備兵に見せる。警備兵の声は震えていた。 「そうです。私たちの仲間です」 「な、なら、いいんだ。宿屋は大通りから西に二筋入ったところにあるのがいい。小さいが、落ち着けるはずだ。一階の酒場は冒険者もよく集まる」 「ありがとう、感謝します。あなたに御恵みがありますように」 穏やかな顔をしてシリルが言い、歩き出す。サイファが続き、アレクに引きずられようにウルフが続いた。 「神官面もできるんだな」 「なんですか、その言い方は。僕はれっきとした神官ですよ」 「あまりそうは見えんな」 フードの陰になって見えなかったけれど、シリルにはサイファが笑っているのがわかった。 「まだ、若いですからね」 「私から見ればお前たちは一様に若い」 「それはそうですが」 「が。武闘神官として認められたにしては異常に若いだろうな」 神聖魔法を習得するには時間がかかる。ごく幼いころに啓示を得て修道生活に入ったとしてもシリルの年にはまだようやく初歩の魔法を習い終えた、と言うところだろう。まして武闘神官だ。シリルの過去には何かがあるはずなのだ。 「……聞かないでもらえますか」 苦しそうな顔をしてシリルが答える。 「ならばアレクにもそう言っておけ」 「……意外です」 「なにがだ」 「さっき、アレクがウルフの過去を聞きそうになりましたよね」 フードの奥をそっと覗く。何も見えなかった。 「それをあなたは咎めているんでしょう?」 「だったらなんだ」 「ウルフを気遣うような人には、見えないと言ったら怒りますか」 「怒るかもしれないな」 「なら、言いません」 そう、シリルは笑った。サイファはちらり横を見て溜息をつく。 そのころ後ろではアレクとウルフが華やかな口論を戦わせていた。 「いい加減にしなさいよ!」 「だって、あいつすごい失礼じゃんか」 「アンタね、わかってる?」 「なにがさ」 「あれが普通なの!」 まだ警備兵のことで怒っているウルフをなだめようとするでもなく、アレクは言い返す。 「どこが! だって俺もあんたもシリルも平気じゃんか」 「アタシたちが異常なの」 「どうしてさ。サイファは綺麗だ」 「はいはい、綺麗よねー。それが普通は怖いの」 「綺麗が怖いって、なにそれ」 説明しようか、一瞬アレクは思った。がすぐに思い直す。無駄だ、と。 「とにかく、あれが人間の普通の反応なの、わかった?」 「わかんない」 「馬鹿!」 「馬鹿って言わないって言ったじゃんか!」 「わかったから怒鳴らないでちょうだい。アンタも覚えておきなさい、あれが普通。一般的な人間の反応なの」 「どうしてだよ……サイファ、綺麗なだけじゃん。悪いことなんかしてないよ」 「アンタがなんで平気なのかは知らない。アタシはシリルから聞いてる。シリルは神殿で教育受けてるからね。でも普通の人は半エルフが怖いものなの、こんな冒険者ばっかの町でもサイファは危険かもしれない」 冒険者は広く世界を歩く。シャルマークだけではなく大陸全土を歩くのだ。そのぶん町に暮らす人々よりは見聞も広いし、偏見にもとらわれないものが多い。 「いざと言うときはアンタが守ってやんなさい」 「……いざって時に俺が生きてると思うわけ?」 「それもそうよねぇ。サイファが危ないときはアタシ達もう全滅よね」 「でしょ」 明るく笑ってウルフが同意する。思わずアレクはまじまじと見、それから爆笑した。 「ほら二人とも、早く来ないと迷子になるよ」 振り返って呼ぶシリルの声に揃って駆け出し、アレクはサイファとシリルの間に入り込む。 「おいしいもんがあるといいなぁ、ね、シリル?」 自分より小柄なシリルの目を覗き込むようにして微笑み、軽く腕を絡ませた。 「酒はほどほどにね」 「わかってるわよ」 絡まる腕を解こう、と努力はしているのだろう。慣れたものらしくアレクはことごとくそれを跳ね返し、何もないよう歩を進めていた。 「アレク、強いなぁ」 感嘆してウルフが呟く。隣のサイファが黙々と歩いているのが気にかかった。わざと少し歩調を緩める。いぶかしげにサイファがウルフの足並みにあわせた。 「サイファ」 前を行く二人との間に二三の人が入り込む。シャルマーク領内の冒険者の起点になっているのだろう。活気のある町だった。 「なんだ」 声からそれと悟られるのを嫌がってかサイファの声は低い。それでもうつむくことはなく、毅然と歩いている姿にウルフは目を奪われそうになる。 フードを深く下ろしていてさえ、サイファは綺麗だ、ウルフは思うのだ。だからきっと顔形の美しさが綺麗なのではないのだろうと漠然と思うのだけれど、はっきり言葉になっては出てこなかった。 「どうか、したのかなと思って」 「それはお前だろう」 「どうして?」 「急に、ゆっくり歩き出した」 言った声は、サイファが自分で思うよりずっと戸惑ったものだった。 「サイファが、さっきからあんまり喋らなくなっちゃったから。気になって」 「……嫌いだ」 「え?」 言ってから、サイファは口を噤む。遅いとわかっていたけれど、黙るより他にどうしようもなかった。 「サイファ、言って」 「いい。なんでもない」 「俺、頭悪いから言ってくれなきゃわかんないよ」 あえて、ウルフは自分からそんな物言いをした。明るく、茶化すように。気遣われている、そう思えば頭に血が上りそうだった。 「人間は嫌いだと言った」 もう、上っていたのかもしれない。隣でウルフが体を硬くする気配でそれと知った。 「俺も、嫌い?」 フードの奥からウルフをうかがう。青い顔をしていた。なぜ、そんなことを聞くのだろう、甘えている。唇を噛んでサイファは答えない。 「サイファ」 名を呼ぶ声。すがるような震えたそれについ、唇を噛み破った。血の味が、した。 「アレクやシリルも、嫌い?」 しつこい、怒鳴りかけてやめる。人目があったからだ、内心に言ったそれは自分でも言い訳だと知っている稚拙さ。 「仲間、だよね」 「うるさい」 一言で黙らせた。ウルフの気配がなくなる、前の二人の元に駆けて行ったのだろう。ほっと息をつく。雑踏の中、独りになるのは好きだった。辺りを見回せば呼び売りの声や酒場の笑い声が耳に届く。三人の姿はなかった。 不意に、独りきりだ、そんな思いに駆られた。不安、かもしれない。ここから塔に戻ってもいいのだな、思えどもただぼんやりと立ち尽くすだけ。 突然、横から腕を引かれた。振り払う。下がって距離をとろうとした、呪文を唱えるだけの時間稼ぎに。 「馬鹿」 アレクが、立っていた。腰に手を当てて、白い頬を赤くしている。怒っているのか。 「ウルフは」 知らずサイファの口から言葉が漏れる。聞く気などなかったというのに。 「坊やだったらシリルと一緒。聞くくらいなら泣かせんじゃないわよ」 「泣かせた……?」 再び腕を引っ張られたサイファは呆然とされるままになっている。アレクの一言が頭の中、こだましていた。 「目ェ真っ赤にして走ってきたわ。アンタなに言ったの」 「言わない」 「なんか言ったからに決まってるんでしょ」 「そうじゃ、ない」 言わなかった。言って欲しがったことを言わなかった。せめて嫌いじゃないと言ってやればよかったのか。そうなのだろうとわかってはいる。 「じゃあなんなのよ。坊やは馬鹿だからちゃんとご丁寧にご説明あそばさないとご理解いただけないわよー、わかってんの?」 「わかってないのだろうな、たぶん」 「でしょうね」 言った声も皮肉ならば、アレクの顔も皮肉に歪んでいた。大きく息をつき、それから勢いよくそっぽを向く。その拍子に編んだ髪がサイファの肩を打った。 「宿、そこよ」 目で指し示した建物の前、シリルとその陰に隠れるようウルフがいる。まだ少し目が赤かった。 |