いつの間にか、自然にもとの隊列に戻っている。まるで何年も共に過ごしてきたかのようだった。 「ねぇ、サイファ」 「なんだ」 小声でウルフが問いかけるのに前を見たまま答えた。 「サイファって、いくつなの」 言った途端、前方で二人が口論を止め、ついで吹き出す。まったく兄弟には見えない二人だが、こんな所で妙に良く似た行動を取る。 「なんで笑うんだよ!」 顔を赤くして言い募るウルフを視界の端に入れてしまったのか、いっそう苦しげにアレクが笑う。 「ごめ……いや……きっと……」 「アンタが、驚く……おかしッ」 息も絶え絶えといわんばかりに笑う二人をサイファは冷たい目で見て、何か言ってやろうかとした。が、思い直して溜息をつくばかり。 「酷いよ二人とも!」 軽く握った拳で二人にウルフが打ちかかる。サイファの目には子供が三人じゃれているようにしか見えなかった。 「そこの兄弟、笑いすぎだ」 冷ややかに言ったつもりが、なぜかそれさえ二人の笑いを誘ったようで、こうなると始末に負えない。諦めてウルフだけを引きずり放し、さっさと歩き出す。 「サイファ、酷いよね?」 襟首をつかまれたままウルフが振り返って問う。 「さっさと自分の足で歩け」 言われてようやく引きずられていることに気づいたウルフは体勢を直し、サイファの目を覗き込む。 「あ、怒ってる?」 「当たり前だ」 「綺麗だなぁ」 「……馬鹿か貴様は」 「だって、サイファ怒ると目が嵐みたいな空色になる。綺麗だよ」 この旅が終わるまでに、自分は何度溜息をつくのだろうか。一生分をつき尽くしてしまうのかもしれない。そう思いながらもサイファの溜息は止まらなかった。 「やぁねぇ、坊やが馬鹿かって、馬鹿に決まってるじゃないの」 追いついたアレクが二人の会話を聞きつけて入り込む。自分で言ったくせに、アレクがそう言えば違う、と言いたくなってくるのがサイファには不可解だった。 「お兄さん、それはないじゃん!」 「アンタに兄さん呼ばわりされる覚えはないわよ」 「ずっと兄さんって呼んでやる」 「やめて、お願いだから」 「だったら馬鹿って言わないでよ」 「わかった、わかったから」 呆れてアレクがまた笑う。弟らしくない立派な弟と、明らかに幼い弟と、急に兄弟が増えた、そんな気がしているのかもしれない。 「で、サイファっていくつなの」 「アンタもしつこいわねー」 「いいじゃん」 和やか、とは言いかねる会話をシリルが微笑んで見ている。これではいったいどちらが兄だかわかったものではない。 「アンタだって歴史は少しくらいは知ってるでしょ」 「だいたいならね」 「アルハイド大陸から、至高王がいなくなったのがいつごろかは、ウルフも知っているよね」 シリルが口を出す。 「千年くらい前でしょ」 知っていて当然のことを胸を張って答えた。 「至高王と一緒に、神人たちも消えたって、知ってる?」 「うん」 「神人っていまはエルフって呼ばれてるよね」 「うん」 「じゃあ、半エルフは?」 「神人と人間の間の子供」 「神人がいなくなったのは?」 「千年前」 「いなくなったら子供って生まれる?」 「生まれるわけないじゃん! あ……」 噛んで含めるよりなお噛み砕いたシリルの説明で、ようやくウルフも飲み込めたらしい。驚いた顔をしてサイファを見つめた。 「サイファって、千歳?」 アレクが頭を抱えていた。間違ってはいない。サイファも否定はしない。実を言えばもう少し歳は上なのだが、千年に比べればたいした相違ではなかったから、訂正もしない。 だが、ウルフの言い方はあまりにも。 「馬鹿だわ」 「アレク、それは、もうちょっと、その」 「アンタだってそう思ってるでしょ」 「そこまでは……いや、ね」 「馬鹿よ馬鹿。紛れもない馬鹿!」 「そう連呼するな。せめて……」 二人の間に入ったサイファだが、言葉が止まる。 「馬鹿でしょ」 「……だな」 サイファまで同意してしまって、ウルフはさすがに憤然とした。そっぽを向いて一人、足を速める。その態度こそが子供のようで幼くて、馬鹿だと言われるのだとは本人だけが気づいていない。 ウルフとて、蔑まれているのでないことくらいはわかっているのだが、三人そろって子ども扱いされるのは、納得がいかない。そもそも兄弟とはそれほど年も離れていないはずではないか。 そんなことを考えながら歩いていたら、気づけば隊列は元通り。前に兄弟、横にサイファ。 「ねぇ、アンタ」 まだ笑いの残った声をして、アレクが首だけ振り返る。 「なに」 頬を膨らませたままのウルフがそれでも律儀に答えた。 「けっこう使えるじゃない」 「え……」 「たかがゴブリンでも苦戦すると思ってたわ」 「僕も、緊張で剣が鈍るだろうと思ってたんだけど」 「なんか、そういうの、平気みたい」 褒められて、戸惑いながらもウルフは言う。サイファは黙ってやり取りを見ながら思い出す。別人のようだった、と。 「けっこう真面目に練習してたんじゃない?」 「訓練は嫌いじゃなかったから」 「どれくらいしてたの?」 「おい、後どれくらいだ」 サイファが介入した。なにを突然、と言いたげな目をするアレクに無表情にサイファが同じことを繰り返す。目の端に、ウルフの感謝の視線が映った。 「そうですね、オルトの町には夕方ごろ到着できるのでは」 「そうか」 「シリル、地図持ってるのよね」 「持ってるよ、と言うか他の冒険者から聞いて作った地図だから完全に信用できる、とは言いがたいけど」 「じゃあ、あれはなに?」 歩きながら話していた一行の目にうっすらと人工物の影が見えた。 「あぁ……町だね」 「アンタいま夕方って言ったじゃないの」 「だから信用できるかわからないって言ってるでしょ」 「いいじゃん、早く着くぶんにはさー」 ウルフがのんびり言い、それもそうだと兄弟そろってうなずいた。 「でも残念だな」 「なにがよ」 「だっていい天気だったから」 「天気が良かろうが悪かろうが町には入るわよ」 「わかってるって」 「野営をしなくっていいんだから」 「アレク、野営は嫌い?」 「嫌いじゃないわ。でもベッドの方が好き」 「じゃあ、なんで冒険なんかしてんの?」 「ほーんと、なんでかしらねぇ」 「……から」 ぼそり、シリルが何かを言った。危険な視線がシリルに向けられ、彼は何も見なかったふりをして足を速める。 「ちょっと待ちなさいよ!」 その言葉と同時にシリルは駆け出した。無論、アレクも追いかける。 町が近いこともあって、二人は無防備だ。いざとなれば走り込めるくらいの距離なのだから、さほど心配もないのだろう。 ふと、サイファが身をかがめて草を一握りむしる。青い草の匂いがした。 「サイファ」 答えずサイファはちぎれた草を唇に当てた。大地の生々しさその物の匂いを息いっぱいに吸い込む。 「なにしてるの」 それから手の草を風に飛ばした。流され、舞い散る草が光に当たって美しかった。 「別に」 これから人間のいる所に行く。三人は自分たちが何も感じないものだからサイファが人間を嫌っているとは気づいてもいないのだろう。自分を嫌っているものを好くことなど、できるはずもない。 「さっき、ありがとう」 急に会話を拒むような態度を取り始めたサイファに、ウルフはそれをなぜか聞くことはせず、ただ礼だけを言う。 それから二人、足を速めて兄弟を追いかけ始めた。 「あんまり、前のこと聞かれたくない」 サイファに聞かせるつもりだったのだろうか。だから聞かないでくれ、と頼んでいるつもりかもしれない。知らずサイファはかっとした。 「だから聞いていない」 「……そっか。そうだよね。ごめん」 「すぐに謝るな」 「でも俺が悪かったから」 本当にそう思っているのだと、軽く右手に触れてきたウルフの手が伝える。人間の感情が読めるわけではない。大方の人間より鋭かったけれど、心がわかるわけではないのだ。 ただ、これほどまでに素直な心は伝わってくる。嘘をついている人間は、こんな風に手に触れたりしない。 「……わかっている」 返事をすれば一度、きつく握られそしてすぐに放される。ウルフの顔を見なくとも、今が満面の笑みであるとは容易に知れた。 「兄弟、いい加減にしろ!」 まだ走り回っている二人に珍しくサイファが大きな声で呼びかければ、驚いて立ち止まり、次いで走り寄ってくる。 彼らがウルフを子供扱いしていても、やはりサイファには同じような子供にしか見えなかった。 |