昨夜の残りで朝食を済ませ、泉で水袋いっぱいに水をつめる。それぞれが武装の確認を静かにして、旅のマントを羽織る。それで準備は終わりだった。 「なんか歴戦の冒険者みたいだ」 ウルフが笑う。少し、緊張しているのかもしれない。答えたアレクの声も強張って聞こえた。 「どうしますか」 二人から離れたシリルが、サイファの元にやってくる。 「昨日、ウルフとは話した。今日はゆっくり進むべきだろう」 「そう思います」 シリルがほっとうなずいた。間違いなく、シリルにはアレクを守り抜くだけの技量がある。だが、ウルフも守り、サイファが呪文を唱える間耐え抜くのは、荷が重いはずだった。 元は街道だった荒れ道を、のんびり進んで行った。良い天気だった。アレクとシリルが並んで先を行き、後ろにウルフとサイファがいる。隊列を組むというほどでもない。 「ねぇ、サイファ。髪、邪魔じゃないの」 首だけを後ろに向けてアレクが尋ねる。アレクの髪は後ろの長い部分だけが、綺麗に編まれている。柔らかい革鎧の背中で金の紐が跳ねていた。 「別に」 人目をはばかることのない場所なので、サイファはフードを背にはねのけている。時折、風が髪を乱した。 「戦うとき、邪魔じゃないんだ」 「前線に出ないからな」 「あぁ、そっか。アンタは後ろで魔法使うのか」 「そのための、魔術師が必要だったのだろう?」 「そうなんだけどね」 言ってアレクが苦笑いをする。その顔を問うように見返したサイファに 「アンタって、前に出て戦いそうなんだもん」 そう、アレクが笑った。 「剣のひとつくらい、使えるんじゃないの」 「まったく」 「ふーん、そうなんだ」 「お前も、長剣が苦手には見えないが」 探りあいが面倒になったサイファはあえて触れられたくないだろう事に触れた。 「別に苦手じゃないわよ」 アレクはそれをあっさり認めた。不可解にサイファの方が混乱する。使えるのに使わないには、理由があるはずなのだ。そして人間というものは、それを指摘されるのを嫌うはずなのだ。 「アタシは罠の解除をするのが専門なの。長剣なんかあったら、邪魔になるだけ」 「いい腕をしていると思いますよ、僕も」 「へぇ、アレクって盗賊?」 「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい! 遺跡荒らしって言って欲しいわ」 「遺跡荒らしのどこが……」 「ウルフ、可愛い坊やよね?」 立ち止まったアレクが体ごと振り向いて笑う。一行の中ではサイファに次いで長身のアレクがウルフの目を覗き込んでいるのは間違いなく、脅迫だ。 もちろんウルフは無言で何度もうなずいている。 「さっさと進め」 馬鹿騒ぎに付き合っていられない、とばかりにサイファが促す。 「あら、今日はのんびりなんでしょ」 「いいから、兄さん」 「兄さんって言わないで!」 抗議しながらもアレクは再び歩き出す。シリルはシリルでアレクの扱いをよく知っている、と言うべきなのだろうが、やはり人間は良くわからない、としかサイファには言いようがない。 シャルマークも、まだこのあたりは荒廃した普通の土地だった。もっと奥に進めば植物さえも異形に成り果てていると言う。今はまだ、どこの荒地でも見かける他愛ない草や、栄養の少ない土でも育つ木が生えているだけだった。 不意にウルフが短剣を抜いて枝を落とす。何事か、と全員に緊張が走った。 「いいもん見つけた。良く熟してるよ」 そう、ウルフが掲げた枝には、赤い拳大の果実が。残る三人が一斉に溜息をついたのに、ウルフ一人が首をかしげている。 「なんか変?」 「ウルフ、頼むから一言いってからにしてくれる?」 「え、あ。ごめん」 「ごめんじゃないわよ! ものすごく驚くでしょッ。アンタのためにゆっくり進んでるって、わかってんの!」 「……ごめんなさい」 「アンタの経験不足で他のみんなが緊張してんの、だからアンタがいきなり動いたらびっくりするって……」 「その辺にしておけ」 説教はいつまでも続きそうなので仕方なくサイファが間にはいる。シリルも本当ならば言いたいことがあるのだろう。だから何も言わずにアレクの言うことを聞いている。彼が仲裁に入らない以上、アレクの気の済むまでウルフが責められることになるのは目に見えていた。 「アンタが坊やをかばうとは思わなかったわ」 皮肉げに言って、唇の端を歪める。よほど腹に据えかねたのは、それを見ているだけで充分にわかる。 「くどくど言わなくても理解したはずだと、期待している」 「誰がくどくどですって!」 「ウルフ、わかったよね?」 「うん、本当にごめん」 叱られている間、伏せていた目を上げて再び謝る。子供な分、素直できちんと理解した、と今は見える。 「よこせ」 サイファがウルフに手を伸ばす。 「あ……はい」 青ざめた笑みを無理に浮かべてウルフは果実のひとつをちぎって手渡した。一番、良く熟れた実を選んで。 マントの袖で軽く拭って歯を立てる。濃厚な果汁が口に広がった。 「アタシにもちょうだい」 アレクの手にも果実を乗せ、それからシリルにも渡す。その間にウルフの顔色はよくなっていった。 元々こだわらない性格なのだろう、果実を食べながらアレクはさっさと歩き始めた。シリルがかすかにサイファを見て微笑む。一行は再び前に進み始めた。 前方に、魔物の姿が見えたのは、ほどなくしてからだった。 「どうします?」 まだ向こうはこちらに気づいていない。しかも二匹と数も少ない。 「行くべきだろう」 シリルと顔を見合わせ、サイファはうなずく。ウルフの腕を見るには適当だった。アレクが横で何も言わずに手首の短剣を抜き放つ。 「行くぞ」 ウルフの顔も見ず、サイファは言った。横でうなずく気配だけがして、すぐに消える。シリルとウルフが走り出す。次いでアレク。最後にサイファが。 激しい足音に、魔物がびくりと飛び上がった。このあたりで見かける魔物の中でももっとも弱いゴブリンだ。それでも粗末な武器を抜いてこちらに向かってきた。 シリルが中央に、横にウルフ、反対に少し下がってアレクがいる。三人に守られる形でサイファが。まだ呪文は唱えない。ゴブリンが隊列を見てまずサイファに襲いかかろうとアレクの横を回ろうとした。短剣がひらめく。ゴブリンの腕に浅手。ぱっと血が飛んだ。自分の血に興奮したのか、雄たけびを上げてアレクに切りかかろうとしたゴブリンをシリルが一刀の元に切り捨てる。 ウルフはもう一匹と対峙していた。背後に立つサイファから、彼の顔は見えない。だが、明らかに気配が変わった。子供、とは今は呼べない。ゆっくりと構えた、と見えた。光。次の瞬間にはゴブリンは地に倒れていた。 三人とも、息一つ乱してはいなかった。 「けっこう……」 振り返ったアレクが言いかけ、そして止まる。全員が振り向いた。背後にゴブリンが数匹、いた。 「あーら、団体さんだったみたいねぇ」 ことさら軽くアレクが言う。仲間が殺された怒りだろうか、武器を天に掲げ、わめき声を上げて突進してくるその数、十五匹。 咄嗟に戦士たちがサイファの前に出た。魔術師を直接攻撃にさらすわけには行かない。抜き放ったままの血に濡れた剣を眼前に構え、シリルとウルフは立ち向かう。 その、シリルの肩をサイファが軽く押しやる。疑問ひとつ挟まずシリルが体を開いた。 「イルゥ」 簡単な言葉で編み上げた呪文を解放する。両手をかかげ、片手を引き絞る、そして放つ。矢を放つ仕種と共にゴブリンのすべてに光が飛んだ。 ごふり。十五匹すべてが腹に光の矢を受け血を吐いて倒れる。一匹の撃ち漏らしもなかった。 「移動した方がよかろう」 言葉もない一行に、サイファが淡々と声をかけ、歩き出す。声にわずかの乱れもなかった。 「……すごいものです」 追いついて、再びサイファの前に出たシリルがようやくそれだけを言う。 「すごかったよね!」 やっと興奮してきたのか、ウルフが頬を赤くしていた。 「魔法ってすごいや」 そう言った姿は先ほどの、別人のような殺気を放つ男のものではなく元の子供のもの。 「君はわかってないよ」 シリルが笑ってウルフの肩に手を伸ばして叩く。アレクはにやり、笑って見ているだけだった。 「酷いなぁ、シリルまでそんなこと言うなんて」 「違うんだ。冒険に出ようって魔術師なら、光の矢を放つことくらいはできる。でも、普通はあんなにたくさんは、撃てない」 「え、そうなんだ。数とかって関係あるの」 「あるさ、もちろん。それなりに名の通る魔術師でもどうかなぁ、五本がせいぜいじゃないかなぁ」 黙ってそれを聞いているサイファに、アレクが無言でそうなの、と問いかける。サイファも黙ったままうなずいた。 「それをあんなに無造作に……やっぱりあなたはすごい、サイファ」 目を輝かせてシリルが言う。魔法の種類こそ違えども、彼も魔法の使い手だった。サイファの行為の真の偉大さがわかるのはシリルだけだろう。 「あれよね、年の功ってヤツ」 「アレク!」 「だって鍛錬する時間はいっぱいあったでしょ?」 「それは間違いない。言い方は癪に障るが」 「アタシたちの誰よりお年を召してるんですものねェ、気が短いのくらい許してあげなくっちゃ」 言って喉の奥でくつくつ笑った。 「年寄りは敬うものだ、と親に習っていないのか」 「あら、お年寄りは大切にしてるわ。生きがいを奪っちゃいけないなって思って」 「……兄さん、いい加減にして」 「兄さんって言わないで!」 「だったらサイファをからかわないでよ。頼むから」 いったいなにが原因なのか、機嫌を損ねたアレクをシリルが必死になだめる。見ている分には面白い光景だった。 |