ぎょっとしたようにシリルが目を向ける。アレクは魔術師を睨みつけ、ウルフは何が起こったのかわかっていない。
「誇り高き軍神マルサドの武闘神官ともあろう男が女装した男を守護するとはな。心から同情する」
 笑いは嘲りを含んだものではなかった。が、アレクが手首の剣を抜き放つのと、シリルがそれを押さえるのが同時だった。
「え……アレクって男だったの」
 まだ信じがたいと言いたげにウルフがアレクを見つめる。実際、美しい女にしか見えない。
「確かに、美しいな」
「アンタが言うと嫌味にしか聞こえないわよ」
「サイファは本当に綺麗だもんね」
「混ぜ返さないで」
 小声でシリルがウルフをたしなめる。
「お前は確かに美しい。話しているとさらにそう思う。だが黙ると目が男の目になる。化け続けるつもりなら、気をつけろ」
「ご忠告、感謝しとくわ」
 すっかり機嫌を損ねたようにアレクがあらぬほうを向くのに、シリルが溜息をついた。
「お言葉通り、サイファと呼ばせていただきますが。サイファ、同情していただくには及びません。真実のアレクは、素晴らしい人なのですよ」
「ほう?」
 どうやら一行の中ではもっとも常識をわきまえているように見えたシリルだが、女装した男を素晴らしい人間であると言い切る辺り、その評価も改めた方が良いのかもしれない、サイファはそう思い始め内心で溜息をつく。とんでもない人間と同行する羽目になった、と。
「ご存知でしょうに」
 そんなサイファの心など知らぬげにシリルが笑みを見せる。
「知っているのはお前が武闘神官であることと、アレクがその『定めし者』だと言うことくらいだ」
「それだけ知っているならアレクがそれに相応しい人物であることだってお解かりになるでしょうに」
「長く生きていても認めたくないことと言うものは、あるものだ」
 サイファの言葉に笑ったのはアレクだった。あまりにも苦々しげな口調に溜飲が下がったのだろう。
「ねぇ、サイファ。定めし者ってなに」
「なぜ私に聞く。シリルに聞け」
 いつの間にかまとわりつくように隣に来ているウルフを鬱陶しげに手で払う。一日弱の時間だというのにすっかり慣れたようでウルフはその程度では諦めず、マントの袖をつかんではサイファの目を覗き込む。
「止せ」
「じゃ、教えてよ」
「離せ」
 今度こそは力の限りに振り払った。そんな二人をおかしげに残りの二人が見ている。調子が乱される、しかも目撃されている。こんなに忌々しいことはない、舌打ちしたくなるサイファだった。
「定めし者って言うのはね」
「あら、もうちょっと遊ばせとけばいいのに」
「まぁ、そう言わずに、ね。武闘神官はわかるだろう?」
「戦う神官」
 まったくその通りな、だが賢いとは言えない答えを得々とするウルフを見ていると、サイファは自分がむきになって怒るのが馬鹿らしくなってくる。アレクもまた、笑いを噛み殺していた。
「それで、だいたいはあってるかな」
 苦笑しながらシリルが答える。武闘神官というのは、マルサド神の神官の中でも最も戒律の厳しい位階だった。なりたい、と言ってなれるものでもない。まず神官であること。持祭を勤められる以上の神聖魔法の使い手であること。そして何より武器の腕が立つこと。細かい戒律はさらにあれども、これだけの条件を整えるだけでも、並大抵ではない。
「定めし者って言うのは……その武闘神官が守る義務と権利がある人のことを言うんだけど……説明は難しいな」
 シリルが頭を悩ませたのも無理はない。宗教的なことは外部の人間には理解させることも説明することも難しい。
「シリルはアレクを守りますって誓ったって事?」
「だいたいそれで近いね」
 実際は誓っただけではなく、命に代えても守る義務がある。アレクがそれを嫌がっているのは知っているが、いったん定まった以上、それはシリルの権利ともなる。
「神聖だが、淫靡な誓いだ」
 どういうことなのかを理解しているサイファが呟いた。
「やらしいこと言わないでよね」
「誓いが淫靡なのであってお前らがそう、とは言っていない」
「だからそういう誤解を招くようなことを言わないでちょうだいって言ってるの!」
「誤解? どこが?」
 無理な言いがかりに驚いた、という表情を取り繕ってはいたが、明らかにアレクをからかっていた。さすがにこれにはウルフも気づき、サイファの腕を取ってたしなめる。
「別に私はお前らがどういう性的嗜好を持とうが知ったことではない、と婉曲に言っているだけなのだが」
「それも、誤解です」
 シリルが口を挟む。が、アレクの腕を後ろから羽交い絞めにしながらなので少しばかりおかしい。
「定めし者と武闘神官の間にはある種の絆が必要、と聞いたが」
「それはそのとおりです。ですが、アレクと僕は恋人ではありません」
 顔をそむけたアレクの目が、わずかに歪んだ。
「アレクは僕の、兄ですから」
 言い難そうに、シリルが言った。
「シリルっていいね。こんな美人のお兄さんがいるなんて、うらやましいなぁ」
「普通、美人の姉の方が嬉しいと思うが」
「どっちでもいいじゃん。アレクは女の格好してても綺麗なんだからさ」
 おおらかに、ウルフが言ってのけた。本人が意識してのことではないだろう、サイファは思う。だが、場の空気を読む才能には、長けているようだった。
「立ち入ったことを聞いた。すまない」
 兄弟の間に漂う微妙な空気を引き出してしまったことに対して、サイファは謝罪する。わずかばかり強張った顔で、アレクはそれを受け入れシリルもそれにならった。
「それよりさ、大変なことがあるんだけど」
「問題ならもう山積みよ」
「じゃあ、さらに一山」
 言って明るく笑い、それから少しばかり困った顔をウルフはした。
「俺さ、シリルはああ言ってくれたけど、ほとんど実戦経験がないんだよね」
 焚き火の、火のはぜる音だけが夜に響いた。示し合わせたわけでもないのに、全員がまじまじとウルフの顔を見つめている。
「ちょっと……アンタ、それでよくこんなとこに旅に出よう、なんて思ったわね」
「だって、楽しそうだったし」
「どこが楽しそうなのよ!」
「じゃあ、アレクはなんでこんなとこ来たかったの」
「そりゃあ、アタシはきれいなもんが欲しかったし……」
「でも怖いよ」
「アタシは自分で自分の身くらい守れる。それに認めたくないけど、シリルがいる」
 アンタはどうなのよ、そうアレクの目が言っていた。
「一通り以上に使えるだろうことは、僕が保証する。実戦経験があんまりないなんて、信じられないくらいだよ」
 焚き火に乗り出すようにしてウルフを責めていたアレクを、再びシリルが後ろからつかんで引き戻す。なんとなくサイファにもわかり始めていた。なにがどう、という訳でもなくただこの三人はこれで気が合ってしまったのだろう。実際、自分と会うより少し前に会っただけだとは、サイファにはとても信じがたい。
「アレクが自分の身を守れるって言うなら俺だって出来ると思うんだけどなぁ」
 シリルの仲裁にかまうことなく、ウルフが放言するのをサイファはこっそり陰に隠れて、笑った。その笑いがさすがに止まる。
「俺は鍛錬してんだよ、坊主」
 聞こえてきたのはまぎれもない男の声。サイファが目を上げればアレクがウルフに向かって凄んでいた。知らず、天を仰ぐ。シリルと二人で。
「兄さん、それやめて。頼むからその格好で凄まないで」
「……兄さんって言わないでちょうだい」
「だったら、お願いだから素に戻らないで、眩暈がする」
 硬直するウルフに代わり、シリルが懇願する。アレクは鼻で笑って勝ち誇る。
「いいこと、ウルフ。アタシを馬鹿にしたら……」
「し、したら?」
「素に戻るからな」
 半ばサイファの背に隠れるようにしていたウルフに向かい、アレクが乗り出してささやく。男の声で。必死でうなずきながら、自分の手に触れているウルフの腕が総毛だったのをサイファは面白く感じていた。
 アレクはいい女だ。だが、男であるときも魅力的なのかもしれない、シリルの言うとおりに。悪戯をするように輝いているアレクの紫色の目を見ているとサイファでもそれを認めそうになる。
「アレク、頼むから!」
「なによ、そんなに嫌がらなくってもいいじゃないの」
「目の前にあるものがすべて信じられなくなりそうなんだよ」
 力なく言うシリルに、アレクは不満そうな顔を向け、それから小首を傾げて華やかな笑みを浮かべる。それは一行が知る「アレク」の笑顔だった。
「でもね、アタシ思うの。普通、兄さんが女の格好するほうこそ、嫌がるんじゃない?」
「その辺は、諦めた」
 妙にきっぱり言ったシリルにウルフがたまらず吹き出し、サイファの腕にもたれかかって腹を折る。あまりの馴れ馴れしさにそのまま焚き火に突き込んでやろうか、と一瞬思ったサイファだがさすがに思いとどまり身をよじって離れるにとどめた。
「ほんと、アレクたちって楽しいや」
 呼吸を整えるまでどれくらいかかったことか。どれほど怖いことがあろうとも、厳しい旅になろうとも、こんなに楽しい人たちと知り合えたならそれ以上の価値が絶対にある、とウルフは態度で語っていた。
「アンタたちだって見てると楽しいわよー」
 唇を歪めて言うアレクに、ついうなずいて同意しかけたシリルだったが、冷たいサイファの視線にたじろいで中途半端なところで首が止まってしまう。
「誰と誰があんた達、なのかね」
「何をいまさら。アンタとウルフに決まってるでしょ」
「心外だ」
「でも、楽しいわよ。本当にね」
 一見、優しげな顔だった。例えばやんちゃな弟に姉が見せるような。だが、そうではないことをすでにサイファは学ばされてしまっている。知らず唇の端が引き攣った。
「サイファと一緒なんて、嬉しいなぁ」
 先ほど、場の空気が読める、と思ったのは間違いだったらしい。あれはまぐれに違いない。殴る気力もなくして頭を抱えたサイファに向かい、今度こそシリルが爆笑していた。




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