額に当てた手を離し振り返ったシリルの前でまだアレクとウルフは言い合いを続けていた。 「さぁ、二人とも。もう少し進んでおこう」 その言葉にそろってきょとんとした顔をする。ようやくリィ・サイファがいないことに気づいたらしい。 「あれ、行っちゃったの」 「とっくにね」 シリルは二人の間に入って歩き出す。目標は前方に見えている林だった。かつては街道だったと思しき道から少しばかりそれたところにある。冒険者の話に寄れば、このあたりはまだ魔物の横行も少ない、と言うし、林の中ならば上手にやれば火を焚いても目立たない。 怪物共が少ない、とは言え、三人とも警戒は怠らない。遠くに異形の姿がちらりと見えたときなど、知らず側の木立に飛び込んでいた。 「今の見た?」 小声でアレクが言う。 「見た見た。気持ち悪い」 ウルフが本当にそう思っているのかどうか疑わしい口調で応じる。 「ホント。なんかさ、半分溶けてたわよね」 「うわ、思い出しちゃうからやめてよ」 「でろー、よ。でろー」 「……アレク。いい加減に」 シリルが止めに入らなければ、アレクはいつまででもウルフをからかって遊んでいたことだろう。 「さ、行くよ」 見る限りでは近かった林は、それからずいぶんと距離があった。途中、野営できそうな場所も見つけられなかった三人は、当初の予定通りそこまで歩く。 「やった」 林の中、良い場所があった。泉まで程近く、水もどうやら飲めそうだった。いかに異形の怪物とは言え、生きている限り水は飲まねばならない。水場を汚すと言う悪い性癖があったものの、怪物が飲める水はまた、人間の飲用にも耐え得る水だった。 「足跡は、相当前のものだね」 魔物の足跡を水辺で見つけたシリルは言う。これならば今夜は安心できることだろう。もちろん、交代で不寝番は務めるべきだったが。 「誰が食事作るのよ」 「僕がやる」 「シリル、ご飯上手なんだ」 「と言うよりアレクがへ……」 「なんですって! アンタもう一度言ってみなさいよッ」 シリルに皆まで言わせず殴りかかったアレクを見ながらウルフが笑う。それでも声を押さえているあたり、まだ理性は残っているらしい。 「ホント、二人は仲いいねぇ」 「どこがよ!」 「いいじゃん」 「全然、だいたいね……」 「アレク、その辺にしようよ。ウルフ、火を熾して。アレクは水汲んできて」 シリルの仲裁に、二人はそろって返事だけは良いものを返し、それぞれの仕事にかかる。その前にウルフを一睨みするのをアレクは忘れなかった。 突然の乱闘でネシアの町を追われることになったものの、そこは冒険者の常と言うべきか、三人は三人ともある程度の荷物は身につけたままだった。幸い、そこに糧食も入っている。シリルはこの先なにがあるかわからないからと、すぐに食べられるものを残し、調理の手間がかかるものを優先的に選び出す。 程なく乾燥豆の濃厚なスープが出来上がった。多少、古いがパンもある。薄く切って火の回りに串刺しにしてトーストすることにしたのが、二人には好評だった。 パンの香りが立ち始めた。夜は、とっくに暮れている。 「帰って、来ないね」 膝を抱えたウルフがぽつり、言った。残る二人も不安になる。魔術師が、同行する義理はないのだ。このまま見捨てられても文句も言えない。そもそも文句を言われるのはこちらだ、そんな思いが皆にあった。 「あ」 異変を最初に感じたのはシリルだった。 「なによ、いきなり声ださないで。びっくり……」 シリルに食って掛かったアレクの言葉が途中で止まる。ぼんやりと、林が滲んでいた。まるでそこだけ霞がかかったように、木が歪む。瞬きをしたらそこに、魔術師が立っていた。 「お帰り!」 嬉しげに飛びついたウルフを邪険な腕の一払いで地に落とし、リィ・サイファは抱えていたものを地面に置く。 「突然だったから、装備に足らないものもあるだろう、と思った」 「ありがたい。感謝します」 シリルが見るところ、大半は食料のようだった。身につけていたものだけではいささか心許ない、と思っていただけこれには心底ほっとする。 「アンタ……」 アレクが呆然とリィ・サイファを見ていた。無理もない。身にまとうものは別れたときと変わらないものの、手首や襟元に華麗な装飾品がのぞいている。女に見紛うばかりの美貌とは言え、そこにあるのはまぎれもなく男の顔と体だった。それに華奢な宝飾品が飾られている様など、かえって倒錯的に男の精悍さを引き立ててもいる。そして耳にはアレクの耳飾りが。 「つけないって言ったじゃないのよ!」 「両手がふさがっていた」 「やっぱ似合うって言ったとおりじゃん!」 「言うな。好きでつけるか」 「じゃあそのきらきらしい宝石はなんなのよ」 「……魔法のアーティファクトですね」 「いい目をしている」 「それって、なに?」 まだまとわりつこうとするウルフを一瞥し、魔術師は溜息をつきたくなる気持ちを必死で抑えた。焚き火の向こう、かすかにシリルが笑いをこらえた気配がするのが腹立たしい。 「簡単には、魔法の力が込められた道具って言ったらいいかな」 「じゃあ、難しく言ったら?」 「お前に理解できるとは思えん」 どうやって説明しようか、一瞬迷ったシリルを前にリィ・サイファは無下に言い放つ。 「ちょっと、返してよ、それ気に入ってんだから」 いつの間に横に来たのか、アレクがリィ・サイファの耳に手を伸ばす。 「……っ」 「ざまァ見なさいよ、アタシより似合うのがいけないんだから」 耳飾りを取り戻したアレクが笑う。それをもったいない、とウルフは見ていた。長い黒髪に赤い宝石のはまった金の耳飾りは本当に良く彼に似合っていたのに、と。 「そろそろトーストもできたみたいだ。食事にしようよ」 言おうかどうしようか迷っていたウルフの言葉は、それで見事に吹き飛んだ。しばらくは黙ってスープをすする音だけがしていた。 「お前たちの目的は、なんだ」 リィ・サイファが言ったのは、食事を終えてしばらく経ってからのことだった。 「そこの坊やが三王子の話しなかった?」 「王子の救出だけが目的、とは思えん」 「ま、それもそうよね」 話しはアレクに任せる、と言うことなのか他の二人は黙ってそこでうなずいている。 「アタシはきれいなものが好き。だから欲しいものがあるの」 「……至高王の剣と王冠、か」 「あら、知ってるなら話は早いわ。そういうこと」 シャルマーク王討伐の後、姿を消した至高王の王冠と剣は、今もかつての王宮にあるのだ、と伝説は言う。上王その人が帯び、戴いた剣と王冠なだけに、それは美しいのだ、とも言う。 「アタシはその王冠が欲しいの。一緒に来てくれたウルフには剣って、とりあえず話しはついてるんだけど、アンタが困るのよね」 「シリルは」 この一行の中で会話ができそうなのは、シリルだけと見ている。リィ・サイファにとってはあまり虐げられて欲しくはない人物、かも知れない。 「これはいいの」 「僕はいいんです」 二人が言うのが同時だった。あまりにもきっぱりとした物言いだったせいか、アレクの言っている言葉の非道さが目立たない。 「僕はアレクと同行する義務があるので。ウルフは違いますから」 「違う?」 「まだ会ったばかりなんです。ウルフが、言いませんでしたか」 「……聞いてない」 「あーら、それはご愁傷様」 「アレク」 たしなめるシリルの声も耳に入らなかった。どうやら一行は、まだ出会ったばかりで意気投合し、冒険の旅に出よう、シャルマークに行こう、ということになったようだ。いまさらながら我が身の不幸を嘆きたくなるリィ・サイファだった。 「アンタ、欲しいもんある?」 「暇つぶしだと思えば、腹も立たんか」 独り言めいたそれだったが、完全に巻き込まれた魔術師を憐れむようアレクがにやりと笑い、それを見たシリルが同情の視線を送る。 「じゃ、それで決まりね」 もうけた、とばかりにアレクが言って笑った。 「それはいいが、剣は使えるのか」 一行で最も若く見えるウルフに向けてリィ・サイファが問う。 「それなりに使える、と思ってるんだけどな」 「僕が見る限りでは、中々の使い手のようですが」 「シリルはね……」 「軍神マルサドの武闘神官だろう? 武闘神官が言うならば、信用してもいい」 「アンタ、ホント良く知ってるわね。アンタの塔がある辺りって言ったら、一番近いのは……ミルテシアの国境近くだから――月神サールの神殿の勢力下じゃないの? マルサド神はそれほど有力な神殿があるわけじゃないのに」 「それが魔術師の知識、というものですよ。ね、リィ・サイファ」 まるで自分のことのように誇らしげにシリルがアレクに語るのをリィ・サイファは黙って聞いている。ウルフはウルフで改めて、なんだかすごい人だったんだ、と言いたげに魔術師を見ていた。 「サイファでいい」 不意に魔術師が言う。 「そうは言われても、あなたのような偉大な魔術師を」 「馬鹿馬鹿しい」 「なにがよ」 「偉大って、すごいことだと思うんだけどなぁ」 「……お前ら、どう考えても偽名だろう。偽名と言って悪ければ、生まれ持った名ではない、と言い換えてもいいが」 「あぁ、まぁ、それは、ね」 言葉を濁してシリルが横を向く。それに魔術師はかすかに笑いを向け、けれど口調は変えずに言う。 「人間の親は息子にアレクサンドラ、と名付けるのか?」 |