あまりにも美しくて。美しいなどと言う言葉にはとてもできなくて。デニスは息を飲む。立ち尽くす。その目はひたすらに二人の魔法を見ていた。戦う姿ですらない。エリナードの、カレンの魔法を見ていた。 「いいの? ほっといて」 そこに滑り込んでくるイメルの声。はじめはぼんやりと、次第に意識の明るさを目に戻し、デニスは彼を見る。 「イメル師……。なんて……魔法だ……」 「ちょっと、大丈夫?」 「いまの師の声、魔法ですよね。すごい……すごく……綺麗で……あぁ、言葉がない……すごい」 確かにそのとおりだった。心を奪われたデニスを目覚めさせたのはイメルの呪歌。それを応用した彼の声。呪歌の使い手が声を放てば、ただそれだけで魔法は発動する。気づいたか、とばかりイメルがにやりと笑った。 「それで。どうするの。あの二人、放っておくの?」 いまもまだ戦っているエリナードとカレン。氷と水の剣が馳せ違い、火花を散らす。魔法剣ならではの硬質な火花だった。 「――僕は」 その問いにデニスはうつむいた。何ができると言うのだろう、この自分に。ただの弟子である、いまだ見習いから一歩踏み出したにすぎない自分に。 「それでも君は、魔術師だ」 イメルの言葉に顔を上げた。いま、デニスは悟った。自分は魔術師などではないと。そう言ってくれるイメルではある。けれど。 「いまだ、力及ばず。一介の弟子にすぎません。修行半ばなんて、そんなものじゃない。まだ、魔道を歩くに値しない、ただの僕です」 「うん、そうだね。その言葉が言えるなら――」 にこりとイメルが微笑んだ。その襟首がつい、とファネルに引かれた。体勢を崩したイメルの目の前、エリナードの氷の剣が薙いで行く。 「ちょっと、エリナード! 危ないだろ!? 俺を巻き込むな!」 「うっせぇ、ちんたら喋ってるお前が悪い。よけろ!」 「よけられるか! 俺は戦闘が不得意なんだ!」 言い返し、けれどイメルは苦笑している。それから背後を振り返り、ファネルに目で詫びた。 「詫びは要らん。さっさと止めてくれた方がありがたい」 ぼそりと言うファネルに、デニスの心が痛む。魔法で補助し、戦っているエリナード。それがどれほど彼の体に負担をかけているか。ファネルの姿にデニスは知った。言葉ではなく、いま心で知った。 「……すみません」 「お前がなぜ詫びる、デニス? どちらかと言えば、頭に血を上らせた二人が悪いのであって、お前は関係ないような気がするが」 「いいえ――」 戦いのことではなかった。唐突な謝罪にファネルが首をかしげるのも当たり前だ、とデニスはうつむく。無性に、恥ずかしかった。自分の振る舞いが、生き方が、すべてが。 どうして二人のことを悪しざまに思ったりしたのだろう。自分の思う英雄でなかったからと言って、ファネルと生きるエリナードを非難したりしたのだろう。 「――子供と言うのは、成長するもの。いずれ遠からず、学ぶもの」 「それでも! なんて、最低だ……僕は……」 「学べばそれでよし。そう言うものだ」 大人はそれを見守り導くのが務めなのだから。ファネルは淡々とそう言う。けれどその中に熱いものをはじめてデニスは聞いた。胸の奥が痛む。そして痛むからこそ、立ち上がらなくてはならないと思う。痛いだけにしておいては、いつまでも子供だとばかりに。 そしてデニスは二人の魔術師の戦いに眼差しを戻した。二人して息一つ乱していない。魔法剣で戦うのみならず、辺りには様々な魔法が飛び交っている。戦闘が本格的なものになる、と悟った時点でイメルが結界を張ってくれていなかったならば、とっくにデニスなど怪我をしていただろう。 「それなのに」 どうしてこんなに美しいのだろう。魔法が飛び交うさまが、こんなにも美しいものだとは思わなかった。 「君は、あんなふうに戦いたいと思うの、デニス」 忍び込んできたイメルの声にデニスは呆然と首を振る。次第に激しく。 「違います! いいえ、違うんです。本当に、すごい。綺麗で、言葉もない。憧れます。でも、そうじゃない……、そうじゃ、なくて」 自分の思いが言葉にならずデニスはもどかしげに首を振る。それに、理解した。いままで考える、と言う作業をどれほど疎かにしてきたことかを。何も考えず、ただ好き放題してきた結果が、いまの自分だ。だから、言葉がない。そしていま、数少ない言葉の中から、選んで、それでも語らなければならない。 「戦うとか……すごいとか……そんなんじゃなくて。誰かとか、役に立つとか、関係なくて」 拙いデニスの言葉をイメルは待っていた。ファネルもじっと待っていた。その目はエリナードを不安げに見ていたけれど。 「ただ、魔法が綺麗です。――僕は、あんな魔法を手にしたい」 「同じことをしてみたい? 教えてあげようか?」 「――意地悪ですね、イメル師。もしも僕がここではいって言ったら、放り出す気でいましたよね」 ちらりとデニスが強張った笑みを浮かべた。それにイメルがにんまりと笑う。 「違うんです。同じことをしたいんじゃない。まず、あそこに行かなきゃならない。それは、そうなんです。だから、教えてもらわなきゃならない。それは、そうなんです。でも、そうじゃない。僕は――あの魔法を乗り越えて行かなきゃならない」 顔を上げたデニスは、二人の魔術師を見ていた。否、その魔法を見ていた。ずきずきと胸が痛む。ようやく、魔道を歩くとはどういうことなのか、その片鱗がわかった今だというのに。 「だから、ここで僕はカレン師を守らなきゃ、ならないんです」 「弟子の君が? なにができるって言うの?」 「なにもできないかもしれません。でも、カレン師は、僕のせいで、僕のために戦ってくれてるんです。万が一のことがあったら、そのカレン師の魔法が失われてしまう。魔道が続いて行くために、そんなことがあっちゃ――」 いけないんです。その言葉と共にデニスはイメルの張った結界を突き破る。子供は無茶だね、呆れたイメルの声を背後に。 そしてカレンの前に飛びだした。無策といわば言うがいいとばかり、ただ練り上げてもいない、否、できなかった魔力の塊を両手に抱え、エリナードの剣をせめて防ごうと。 「このクソガキが!」 それはどちらの声だったのだろう。女性でありながら罵声を飛ばすカレンのものだったのか、それともそのように育てたエリナードのものだったのか。よく似て違う二人の魔術師。そのよく似た声がデニスの耳に響く。あるいは、二つの声が。 「デニス!」 ぐい、と襟首を引かれた。デニスは先ほどのイメルよりなお激しく体を崩した。ろくに鍛えてもいない体だった。それが無性に悲しい。エリナードの剣が眼前に迫ってくる。そのために、カレンが襟を引いたのだとわかっていてすら、デニスにはどうにもできない。無意味に魔力の塊を突き出して、呆気なくエリナードの手に散らされた。ほんの一瞬のこと。それがこんなにもゆっくりと認識できている。不思議より、切なかった。エリナードに背を向け、その胸の中へと自分を庇ってくれたカレンがいるからこそ。カレンの背が切り裂かれる、その音が聞こえた気がした。 「よし、合格」 が、聞こえてきたのはそんな気の抜けるようなエリナードの言葉。気づけばデニスは腰をぬかして座り込んでいた。 「ちょっと待て、師匠。あんた、最後はマジで切るつもりだったな、おい」 「おうよ。覚悟を見せてもらうってやつだな」 「てめぇ……」 地の底を這うようなカレンの声だった。そこに響いて来るイメルの明るい笑い声。けらけらと笑いながらデニスの手を取って立たせてくれた。 「イメル師……なんで……。いまのは……」 「うん? さてねぇ。エリナードに聞いたら?」 意地の悪いことを笑顔で言ってイメルはデニスの手を引いている。側にいるよ、と励ますように。エリナードの元に戻ったファネルが無言で彼の体を抱き上げた。 「心配かけたな。あとで薬頼むわ」 「――懐柔はされんからな、その程度では」 「どの程度なら懐柔されてくれんのか、ちょっと楽しみではあるよな、うん?」 にんまりとするエリナードにファネルがほんのりと頬を赤らめる。見てはならない、けれど何より美しいものを見た、とデニスもまた頬を染める。 「師匠、あんた。説明してくれる気はあるのか!?」 「ねぇって言っても説明させんだろうが。なんでマジだったかって? そりゃ、お前の覚悟が見てぇからだ。なんで見たいか。預かったのは短い間だけどよ、そのお子ちゃまは手がかかるぜ。そのガキを導いて真っ当な魔術師に育て上げるにゃ苦労の連続だぜ。それがお前にできるのか、え?」 「できるできねぇじゃないでしょうが。やると決めたらやるもんだ」 「って口で言うのは簡単だけどよ。だから覚悟を見せろって言ったんだ。で、見せてもらったわけだ」 「じゃあ……」 ぱっとカレンの顔が明るくなった。そしてイメルに連れられているデニスを見やる。こちらに来い、と眼差しに呼ばれておずおずと近づけば、がっしりと肩を掴まれた。 「デニス。お前はまだ魔道を歩く気は、あるのか」 まさかそんなことを問うてもらえるとは思ってもいなかったデニスは目を丸くする。唇を噛みしめ、師を見つめる。 「……歩いて、いいのでしょうか、師よ。僕は、愚か者です。この上ない愚か者です。人の言葉を聞く耳はなく、歪んだ眼差ししか持たない愚か者です」 「そしてお前はいま、そう言う自分であると知った。それで?」 「真っ直ぐな目と、公平な耳を持ちたいと思います。――魔道を歩くために」 「誰かの役に立ちたいから?」 カレンのどことなく揶揄するような声にデニスは顔を赤らめた。なんと薄い言葉だったのか、いまならばよくわかる。 「ただ、魔法が綺麗だから。手に、掴みたいから……」 「ま、そう恥ずかしそうにしたもんでもねぇけどな? 別に役に立つってのは趣味としちゃ悪くねぇ趣味だしよ。いまなら、その意味はわかるよな、デニス坊や?」 困り顔でそっぽを向いたエリナードだった。己のための魔道を歩きつつも周囲に調和し、周囲から思いやられ、そのぶん心を返す。その行為が彼を英雄と呼ばしめる。デニスははじめて正しく英雄である彼を見た、そう思う。 「はい」 「それにな、デニスよ。お前ははじめて、自分のためじゃなくって誰かのために動いたんだぜ?」 エリナードがにやりと笑ってカレンを見やる。デニスは息を飲む。カレンの前に無謀にも飛びだしたことを、エリナードは評価する、そう言っているのか。身の置き所がないような、誇らしいような、不思議な気がした。 |