デニスは考えたこともなかった。このような、遊びで魔法を使うなど。それでも夜空に輝く魔法灯火は幻想めいて美しかったし、時折歌の背景に、と魔術師が花びらを降らせるのも綺麗だった。 「そろそろだぜ、働いてきな」 エリナードに言われ、デニスはぱっと立ち上がる。それにファネルが小さく笑ったのにも気づかないほど意気揚々と。 「必要、あるのか?」 デニスが去ってからファネルは小声でエリナードに問う。そろそろミスティの花火がはじまる。子供たちのため、一晩限りの夢がはじまる。玩具が落ちて怪我をさせることがないように、とデニスに言いつけたのだ、とはわかっていた。 「ねぇよ。でも為にはなるからよ」 あっさりとエリナードは肩をすくめた。それを見たわけではないだろうけれど、ちょうどそのときミスティの花火が上がる。 小さな子供たちのみならず、大人までもが上げる歓声。相変わらずの腕の冴えだ、とエリナードは夜空を見上げる。 ただの花火ではない、魔術師が作る炎の芸術。リオンの杖に守りを授けてくれたエイシャへの感謝を表す竪琴の模様。アリルカを表現したものだろう、鬱蒼とした木々。太陽が巡り、月が追いかけ。そのすべてが色とりどりの花火。涼しい夏の雨が人々の上に降り注ぎ、そして。 「わぁ!」 毎年のことなのに、やはり子供は喜ぶ。彼らの頭上、魔術師たちの心尽くしの細工物が降ってくる。香しい花束に歌う小鳥、宝玉煌めくリオンの杖の小さな模型。他にも動く獣、独りでに鳴り響く竪琴や笛。小さな魔法の細工物。きゃっきゃと喜び駆けまわる子供たちに交じって大人まで拾っていた。 それを見つつエリナードはどこかにいるだろうイメルを感覚する。万全だった。ファネルが疑問に思ったよう、実際はデニス程度の魔術師の支えなどまったくの不必要。エリナードとイメル、そしてミスティが交代で緩い魔法の網を彼らの上に張っている。勢いよく落ちてきたものはその上で跳ねて、そして動きを緩める。いまだかつて歌祭りで怪我人を出したことはない。 「ほらな? 下手くそだろ。でも、喜んでんだろ、ガキどもが」 小さくエリナードが笑った。デニスのものだろう、不器用な魔法。落ちてきた細工物を受け止め動きを緩和しようとして、逆に勢いがつきすぎて空高く跳ね上がっていく。それを見て子供たちが笑い声を上げて喜ぶ。 「いいものだな」 「うん?」 「子供の笑い声というものは、いいものだな、と思う。身近にあると、とても気持ちが安らぐ」 「さすがにねぇと思うけどよ。俺に産め、とか――」 「言わん。気色が悪い。そもそも天然自然の原理原則を無視するな。いくら人外とはいえ、お前も地上の定めに縛られた真っ当な生き物だろう。――それとも、魔法で産めたりするのか?」 「産めるか! できても産むか!」 「実に安堵する回答だな」 にやりとした神人の子にエリナードは呆れて肩をすくめる。どうも自分と暮らしはじめてからファネルが変わった気がしてならない。言えばこちらが本性だ、とファネルは笑うのだけれど。 「楽しんでいますか?」 そこに現れたのは、ほんのりとした笑みを刻んだ半エルフ。エリナードは笑顔で彼を迎える。神人の子らの中で、最も付き合いが長い、と言えるのが彼だった。 「エラルダ、ご苦労さん。毎年大変だな、あんたも」 「楽しんでしていることですから。ここで歌は聞こえますか?」 「あぁ、充分聞こえるよ。楽しんでる」 もうどれほど前になるのだろう、イーサウ独立戦争時に知り合った神人の子。いまもまったく変わらず微笑んでいる。思えば自分も変化の少ない魔術師か、エリナードは内心で肩をすくめた。 「ファネル。どうですか」 「順調だ」 「そうですか。よかった……」 「あん、なんかあったのか?」 二人の神人の子を見比べ、エリナードは軽い眩暈を感じていた。はじめてエラルダに出会ったときには回復するまでに数日かかった。それほど神人の子らは美しい。いまもやはり美しいと思う。神人の子らを知らない人が一様に区別がつかない、と言うのはあるいはその美貌のせいかもしれない。あまりにも美しすぎて目が惑う。だからこそ、きちんと区別がつく自分というものをエリナードは笑う。なぜか、理由を知っているからこそ。 「いえ。あなたの若い知己が来ている、と聞きましたから。何か問題がないか気にかけていただけです」 「あぁ……なるほど。実際問題だらけだぜ? 順調にはほど遠いな」 「それは魔術師として、でしょう? アリルカとして問題なければ私は関知しませんよ」 からりと笑うエラルダに、まったくそのとおりなだけにエリナードは返す言葉がなかった。 「でも、どうなんですか? 彼は」 「んー。そうだなぁ……」 いまもまた、失敗して子供に笑われているデニス。けれど少しだけ楽しそうだ、とエリナードは思う。それに気づいたのだろう、ファネルも微笑んでいた。その笑みがつい、とそれてその先に人影。ミスティだった。 「よう、ご苦労さん。今年の花火は気合入ってたな」 「下手なものを披露してはお前に何を言われるかわかったものではないしな」 「俺のせいにするんじゃねぇよ。――で、ミスティ、うちのあのガキ、お前はどう見るよ?」 エラルダがミスティに目礼し、彼もまた微笑を返す。その二人にエリナードは魔法で取り寄せた飲み物を渡してやる。 「デニス、か……。基準をどこに置くか、だが。物にはならないだろうな」 「その場合の基準はどこよ?」 人生の行く末をいまここで決められようとしている、そう思ったのだろうエラルダが息を飲み、けれどファネルは苦笑して黙っている。それにエラルダはほっと息をつき魔術師たちを見やった。 「無論、星花宮だな」 「言うまでもねぇってやつか。んー、まぁ、だな。俺ら基準だとモノにゃならねぇな、あれは」 「なにか……魔道をはき違えている、と言うのは置くとして、だ。己の力量というものを理解していないな、彼は」 切り捨てるかのようなミスティの言葉にエラルダがおずおずと手を上げた。その姿にファネルは過去を思い返す。アリルカ独立を掲げた戦争のため、準備に魔法を習っていた彼のこと。そして教えていたフェリクスを。 「いいでしょうか? 魔法というものは、魔力がすべてではないはずです」 「そのとおり。そこんところをデニス坊やは理解してねぇわけよ。つか、自分に魔力があんまりねぇってのをまず理解してねぇのな? 練習して訓練積めばいつか俺たちみてぇな四導師級の魔法が使えると思ってる」 「無理だろう? お前たちは総じて人外の集団のようなもの」 「真っ向人外が言うんじゃねぇよ。褒められてんだか貶されてんだかわかんねぇっつーの、ファネル。んなことはどうでもよくってな、エラルダよ。俺たちは魔力も技術も桁違いだ。でもな、星花宮の四魔導師にゃ及ばねぇよ、魔力のほうは特にな。それなのに同じ程度の魔法が使える。こりゃ技術だ」 「技術を積むための歴史、と言ってもいいかな、エラルダ。我々には先人の知恵がある、知識がある。それを先に推し進め、次に繋ぐのが魔術師だ」 「だから要するに魔道の歴史ってのは、技術開発と一緒なんだよ。どれだけ効率化するかって問題はいつも付きまとうからよ」 「そして効率化が進めば、魔力がさほど重要ではない場面、と言うのも出てくる」 「ミスティの言う通りってやつだな。エラルダは覚えてんだろ、イーサウ独立戦の時、狼にいた魔術師のアラン。あいつはいまのデニス程度しか魔力はないぜ。ぶっちゃけ触媒なきゃロクに魔法がかけらんねぇんだ、お粗末なもんだぜ。でも魔法の使い方そのものは比べ物にならねぇわ」 「魔力の高い馬鹿よりは着実な低階梯魔術師と組みたいな、私は」 「俺もだ」 きっぱりと断言するエリナードにエラルダはあの戦いの日の光を見た気がした。ちらりと見やればファネルがまぶしそうに彼を見ている。見てはいけないものを見てしまったエラルダはそっと礼儀正しく視線をそらした。 「いまのところ、デニスは魔力だけが高い馬鹿、と言うことになるのだな?」 「いまのたとえだったらな。実際は魔力もねぇんだけどよ」 「なぜだろうな? お前は心当たりがあるんだろう、エリナード。あの英雄志向はなんなんだ?」 「文句は俺じゃなくて世界中の吟遊詩人に言え」 「あぁ、なるほど。お前に憧れて魔術師になりたいと言うことか。さすがカレンの弟子、というところかな。弟子どころか孫弟子からも慕われて羨ましいことだな、エリナード」 「……言ってろ。ほんっと、カレンのあの鬱陶しいあれはなんとかなんねぇのかよ。いい加減師匠離れしろよな、ほんと」 エリナードがぼやいた途端だった、ファネルが吹き出したのは。珍しい場面に遭遇したミスティがわずかに驚き、エラルダが微笑ましげに彼を見る。 「それを……お前が言うのか、エリィ?」 くつくつと笑いながら言うファネルにエリナードは天を仰いだ。ミスティの一派が上げている花火がまだ続いている。 「うっせぇよ。俺は自立はしてたぜ、たぶんな。まぁ……なんとかよ。カレンほどじゃねぇっての」 誰もそれを信じていなかった。おそらくは口にしたエリナード自身も。己が師であるフェリクスを、誰より慕っていたのは一番弟子のエリナード。そしてカレンがその師を慕うように、エリナードは弟子を庇っている。遥かなる日のフェリクスのように。 「お前たち師弟はとりあえず置くとして、だ。エリナード。あの志向は改めさせないと危ないぞ」 「わかってんだけどよ。つか、イメルと組んで説教三昧なんだけどよ、聞かねぇんだ、これが」 どうしたものか、と溜息をつくエリナードの肩にファネルは軽く手を置く。大丈夫だ、と励ますように。 「あの『いつかは僕も大英雄!』ってのをなんとかすりゃ、いい魔術師になると思うんだがなぁ」 「その前に、誰かのお役に立ちたいんです病も治した方がいいだろうさ」 「治るかなぁ、すっげぇ無理な気がする」 「なら、あの子供は便利屋にでもなった方が他人のためじゃないのか」 「あぁまったくだ。それこそ世のため人のためだぜ」 長い溜息をつくエリナードだった。けれどミスティもエラルダも、もちろんファネルも。彼がデニスを見捨てるとは微塵も思っていなかった。 |