自分が間違っていたのかもしれない。言われてみればエリナードには彼の生活というものがあって、偉大な英雄であろうともそれは他人の自分には関係のないこと、なのかもしれない。 そう何度となく言い聞かせてはいるものの、納得したぶん、現状が受け入れにくい。あれから毎日、エリナードの元で講話を授けられ、イメルの助手を務めている。――と言えば聞こえはいいけれど、現実はエリナードに説教をされ、イメルには雑務をやらされているだけのこと。 「エリナード師。それは、いったい?」 湖のほとりの、どうやら彼の気に入りの場所らしいそこで、エリナードはいまも手仕事をしている。はじめて会ったときと同じだ、とデニスは思う。 「んー。仕事」 やる気のなさそうな声にデニスは落胆する。また何も教えてはもらえない。かちり、と音がしてエリナードが作っていたものを箱の中に放り投げる。一つ出来上がったようだった。 「お前な、見てるだけだったら手伝えよ」 「え……いいのですか!?」 「こんなもん、言われる前にやれっての。できるだろうが、ただの細工もんなんだからよ。別に魔法もへったくれもねぇよ。こっちの棒に、こっちの石を嵌める。いいな?」 言われて再び、デニスは落胆した。毎日エリナードに何か一言いわれるたびにこんな思いをしている。 「魔法じゃ……ないんですね……」 「物は魔法で作ってるけどな」 「え! そうなんですか!」 わくわくとして銀色に染められた木の棒を手に取る。指の長さより短いそれであっても、美しい形をしていた。石のほうは、と見やればどう見ても本物の宝石だ。 「それ、偽もんだからな?」 見澄ましたよう、エリナードが笑う。驚くデニスにフェリクス直伝の偽宝石だ、と笑った。それにもまたデニスは唖然とする。それほど驚いていては身が持たないだろう、とエリナードなど思うのだがどうやら彼は違うらしい。もっとも、魔術師としては致命的に危うい、とエリナードは思っている。自らの常識に囚われる魔術師など物の役にも立たない。 「偽物、ですか? その、これはいったい何に使うものなのでしょうか」 「あ? 言ってなかったか? 歌祭りだよ、歌祭り。ガキのおもちゃだ」 「あの、リオン師の杖の前で奉じられると言う祭りですね!」 言ったものの、子供のおもちゃという意味がわからない。が、ならばと首をかしげてしまう。 「あの……師よ。子供に偽物、と言うのはどうなのでしょう」 「あのなぁ。ガキに本物やれってか? 教育に悪いだろうが、教育に」 「ですが、偽物は――」 「って言っても、それだって本物みたいなもんだけどよ。なんてったって師匠直伝だからな。マジで作りゃ三十年は本物だぜ? まぁ、ガキのおもちゃだからよ、一晩で消えるようにしてあるけどな」 「三十年だろうと一晩だろうと、詐欺は詐欺です」 「アリルカのガキどもはこれがおもちゃだってわかってるからいいんだっつーの。お前みたいにわけのわかってねぇやつが外に持ち出して売りさばいたら、そりゃ詐欺だがな」 「僕はそんなことはしません!」 「へぇ? 俺が渡して売って来いって言ったら、お前はどうするんだ?」 「お断りします!」 「それが本物でも? 見分けは? どうやってつけんだ、え? 未熟もん」 にんまりと笑われて、からかわれたのだとデニスは知る。エリナードはそのようなことはしないだろう。そして万が一にもアリルカの誰かが外国でそのような詐欺に及べば、断固とした態度を取るのだろう。たとえそれが子供のしたことであったとしても。それは理解したけれど、納得が行かなかった、心情的に。 「エリナード」 内心で葛藤するデニスの背後から声がした。慌てて振り返るこの若き魔術師には決定的に注意力が足らない、とエリナードは内心で溜息をつきつつ片手を上げる。 「おう、できてるぜ。まぁ、ほとんどな。デニス。茶でも淹れろ。それくらいしかできねぇんだからよ」 ばっさりと切って捨てられたデニスは、それでも言いなりに茶を淹れる。目許だけは険しくなってしまったけれど。だいたい、とデニスは思っている。どうしてこんなところにまで茶道具を持ってくるのか、と。 「仕事が長丁場になるからだっつーの」 「エリナード師! 僕は!」 「もうちょっと感情を制御しような、坊や? 垂れ流しで鬱陶しいぜ」 ひらひらと手を振って言うものだから、アリルカに来て以来ずっとエリナードは耐えていたのかもしれない、と思い至ってデニスは赤くなる。それを片目で見やりつつエリナードは腰を下ろした客に茶を勧める。 「もうちっと待っててくれ。すぐ終わる」 軽くうなずいて客はデニスを見やった。見られたデニスはおろおろしながらエリナードに言われた通り、細工物を仕上げて行く。中々うまく行かなかった。 「あぁ……そうだ。こいつ、カレンの弟子。デニスってガキだ」 「ほう、カレンの?」 「あぁ。デニス、こいつはミスティ、お前の師匠の元師匠だ」 え、と驚いた拍子に細工物を失敗しそうになった。咄嗟に出てきたエリナードの手が細工物を奪い取り、気づけばそこに出来上がったものがある。 「壊すなよ、数しか作ってねぇんだからよ」 「すみません……。あの! カレン師の、とは……」 「聞いていないのか? カレンは元々私が見ていた。結局エリナードに預けたが」 「では……ミスティ師は、やはり水系の魔術をお使いになるのですか?」 「おっ前なぁ。ミスティって名前聞いて普通はわかんだろうが。ミスティ・アイフェイオン、魔術師同盟の最初の四導師の一人だぜ? つまり、俺の同僚で、火系魔術師だっての」 呆れられてデニスの顔が紙より白くなった。ミスティは無表情ながらそれを面白く見ている、と付き合いの長いエリナードは気づいているけれどデニスにはわからないだろう。 「も、申し訳ありません――!」 案の定、震える声で地に額がつくほど頭を下げていた。ミスティは、と見れば気にした風もなく肩をすくめるだけ。そのあたりの淡白さが火系にはあり得ない様子に見えて、だからエリナードはミスティが苦手だった時期がある。 「ほい、出来上がり。数してくれ。あると思うがな」 「いい。足らなかったらこちらでなんとかするさ。見るか?」 「なんだ、俺が最後だったのかよ? 見せろ見せろ、どうだよ?」 目を輝かせたエリナードにデニスはぽかんとしてしまう。そして口まで開ける羽目になった。ミスティが片手を上げれば、どこからともなく幾つもの箱が。 「お、これはあれだな。オーランドの秘蔵っ子だな?」 箱の一つには繊細極まりない花束がいくつも入っていた、ただし一つ一つが手のひら大の細工物。別の箱には同じく小さな小鳥が。羽の詰まった水晶のような珠や触れると揺らめく様々な色彩の小さな水球まである。そのどれもが小さな小さな細工物。 「エリナード師、これは……」 「だから言っただろ。歌祭りのおもちゃだって。で、デニスよ、これ見て気がつくことは?」 にやりと、エリナードが笑う。あたふたとデニスは考えつつ、ちらりとミスティを見てしまった。すると彼は反則だ、とばかり顔の前で指を振る。その悪戯めいた仕種にエリナードが吹き出していた。 「あの……その! どれも、風系か、水系、地系の魔法に見えます!」 「そーゆーときはな、坊や。火系の細工物がありませんって言うんだ。簡略に話せっつーの」 「――お前の話もそれなりに遠いと思うんだが?」 「うっせ。ほっとけよ」 笑い合う二人に挟まれて、デニスは改めて気分が高揚してきたのを感じる。魔術師の大同盟の、最初の四導師。すでに全員が一線から退いているけれど、偉大でないはずもない。そのうちの二人が、いまここで笑い合っている。それをこの目で見ている。 「この細工物は、元々はエリナードの発案だ。歌祭りに子供に贈り物をやろうとな」 「言うな、俺がいい人に見えんだろうが」 「師匠譲りのお人好し、と言うことにしておけばいいだろう? だからアリルカの魔術師たちは協力して細工物を作る。祭りの当日、夜の一番の歌の後に火系の魔術師が総出で花火を上げるんだ」 「んでもって、ガキにおもちゃが降ってくるってわけだ。あたると痛いからよ、その場で一つずつ重量軽減かけんだ、いい鍛錬になるぜ、あれは」 「言っていろ、お前が一番凝って楽しむくせに」 「遊びってのはマジんなってやるから意味があるんだっての。手ぇ抜く遊びなんてもんがあるかってんだ」 「それには同感だな。では、夜に」 「あぁ、後でな。なんか手伝いがいるようだったら言ってくれ。使い走りだったらここにいるからよ」 「遠慮をするような仲でもない、どうあっても手が足らなければ連絡をするよ」 にやり、笑ってミスティは背を向ける。いつの間にか箱はすべて片付いていた。どこに行ったのか、そもそもいつ魔法を使ったのかもデニスにはわからなかった。 「エリナード師……」 混乱していた、デニスは。どことなくミスティには酷いことを言われたような気もするものの、どこがどうとわからないのはそのせいに違いない。 「師は……遊びと仰いました。その、魔法を遊びに使うのは、正しいのでしょうか」 「はい? だったらお前は何に使うのが正しいっての?」 「それは、人の役に立つことに使うべきだと」 「ガキが楽しい。それ見る大人も楽しい。じゅーぶん人の役に立ってるぜ?」 へらり、とエリナードが笑った。嘲笑われている、とまでは言わないけれど馬鹿にはされているのだろう、おそらくは。デニスは口をつぐんで考える。何もわからなかった。 「俺は別に人に褒められてぇわけでもねぇし、誰かの役に立ちてぇって魔法を習ったわけでもねぇ。もしもお前が魔道を歩くんなら、俺とお前の道は違うんだろうよ。もっとも、いまのままならお前の道はすぐそこで崖崩れ起こしてっけどな?」 呟くよう言いつつエリナードは別の細工物を作っていた。手の中、まるで水滴が連なったような繊細な紐。ちょうど出来上がったころ、ファネルが彼を迎えに歩いてきた。 |