「――結局、こうやってもう何年も過ごしてる。こいつは俺に師匠の面影を見てるし、俺は俺でライソンを忘れる気はさらさらねぇよ」
「それは……」
「それでも、俺らはお互い相手が好きだぜ? お前みたいな小僧にゃまだわかんねぇだろうがよ、俺もファネルも生きてきた時間が長すぎる。抱えるもんも後悔も多いんだ。それでも、だったらそれだけで生き続けなきゃならねぇわけ? なんでそれを他人が決めるよ?」
 言葉もないデニスを憐れむようエリナードは見ていた。背中を支えるファネルの体だけが温かい。ほんの少し前に話し始めたような気がしていたけれど、小屋の前から見上げた空には高く陽が昇っている。
「ファネルはフェリクス師を愛してたよ。っつーか、いまでも愛してるよな?」
「お前のように軽々しく口に出しはせんがな」
「ヤな顔すんなって。照れちゃってるってやつか?」
「……エリィ」
 地の底を這うような声にエリナードはからりと笑う。デニスに、この若い魔術師に見せている姿だ、とファネルは気づいてはいる。真実の愛がどうのなど口にする前に考えろ、と言いたいのだとわかってはいる。生真面目なまでに若人を教導しようとする彼が微笑ましくもある。だが、自分が関わっていなければ、だと思わずにはいられない、神人の子のファネルは。
「でも……わかりません」
 うつむくデニスだった。さすがに身内の内々の話だ、ファネルがフェリクスと親子なのだ、とは言っていない。単に愛していた、とだけ言ってある。そしてデニスは妙な形でライソンとエリナードの話を知っている。だからこそ、居心地の悪い話でしかなかっただろう、ファネルとエリナードの物語は。まして本人に聞かされたのだ。
「俺はこれでも生身の男だ。ごく普通の幸福ってやつが欲しくもある。ライソンがそれを望んでるともわかってる。だったらなんで他人のお前が俺の幸せを決める?」
「――英雄に、望み過ぎなのでしょうか、僕は」
「知らねぇよ、そんなこと。俺は英雄でもなんでもない。ただの男で職業は魔術師だ。ただ、それだけだ。英雄なんざなりたいと思ったこたぁねぇし、真実の愛が欲しいと思ったこともねぇよ」
「本当か、エリィ?」
「まぁな、ちょっと嘘か。師匠たち見てたら、羨ましかったぜ、少しな。俺には絶対手に入んねぇもんだなって、感覚的にわかっちまったからよ」
「待ってください、エリナード師! でしたら、ファネルは。それでは彼の立場が――」
「だーかーらー。聞いてるか、俺の話を? ファネルと俺はお互い傷舐めあってるさ。それはそれで事実だ。でもそれだけじゃねぇよなってお互い言える程度にゃ信頼がある。この場合、愛情もって言っとくか?」
「そう言うことは他人の前で口にすべきことではないぞ、私の倫理観では」
「確かに」
 にやりとするエリナードの眼差しにファネルは救われる。自分たちがどう出逢ってどう交際してきたのか、など事のあらましであっても聞きたくはない。それこそ倫理に反する。その気持ちを慮って茶化して笑ってくれるエリナードがいる。それだけで許せてしまう。それが、デニスにはわからないのだろうとファネルは思う。
「俺たちは師匠たちみたいに魂分けあった一対、なんてすげぇもんじゃねぇよ。そんなもんは付き合ってんだ、わかるっての。それを俺はファネルに言う。言える。なんでだ?」
「え……それは……。その、エリナード師が、毒舌だから、ですか」
 ひくり、とエリナードの肩が動いた。デニスは咄嗟に身を縮める。が、背中を支えるファネルにはわかった、彼が笑いをこらえたのだと言うことが。ここで笑うわけにはいかなかったのだろう、さすがに。少しばかり覗き込めば目許が歪んでいた。
「誰が毒舌だ誰が」
「……お前が」
「ファネル! いや……まぁ、否定はしにくい事実ってやつだってのは認めるけどよ。そうじゃねぇだろうが、この小僧め! あのな、だから言ってんだろ。お互い、言いにくいことでも言える程度にゃ相手に対する信頼がある。お前にわかるように言うなら、絶対的な信頼がある。その上で、聞きたくない事実があるって認めた上で、それでも俺はファネルが好きだし、逆も同じだ」
「――それこそ口にしたくはないがな、デニス。要するにエリナードはいま、どんなことを口にしても互いの信頼が揺るがないほど私を愛しく思う、と言っている」
「――時々あんたが神人の子だってのを疑いたくなるけどよ!」
「そのあたりは闇エルフだ、諦めろ」
「とっくに諦めてるっつーの」
 ぼそりと言うエリナードをファネルが笑っていた。罵声と暴言のやり取りにしか聞こえないけれど、もしもそれを信頼と言うのならば理解しがたい何かの形があると言うことになるのだろうか。デニスは思う。思うけれど、納得はしがたくて混乱するばかりだった。
「あの、エリナード師」
「待てよ、もうこんな時間だぜ? 聞いてたお前はいいけどよ、話詰めの俺はくたくただってーの。だいたいこっちも仕事があんだ、お前ばっかにかまってられっか。イメルんとこでも行っとけ。あいつは常に手が足りねぇってぼやいてっからな。お前でも猫の手程度にゃ役に立つだろうよ」
 ぽんぽんと歯切れよく言われ、エリナードに負担を強いていたのをようやくデニスは理解する。それだけは理解したけれど、やはり追い払われた、そんな気もした。
「あの、イメル師のお手伝いが済んだら――」
「あいよ。一応カレンから預かったのは俺だからな、面倒は見てやるよ。ただし!」
「はい!」
「ただしって言ってんだろ? 俺は直接、魔法を教えるようなことはしねぇぞ。いまのお前に教えたら絶対に悪用する。――いいや、お前は違うって言うけどな、善意で悪用って現象がこの世にゃあるんだ。だから、教えねぇよ。見て、考えて、学びな」
 行ってよし、とばかり手を振られてしまった。これでは更なる抗議もできない。自分は決して魔法を悪用しようなど考えてもいないのだと師にはわかってもらえない。それが悲しかった。
 無言で一礼すれば、かすかな笑い声。ファネルのものだった。小さな、けれどよく通る声でイメルは議事堂にいるはずだ、と教えてくれた。
「――ありがとうございます」
 振り向きもせず小声で呟く。議事堂とはどこにあるのか、それを尋ねる気にはなれなかった。
 とぼとぼと歩けば、いつの間にか最初にエリナードに出会った湖のほとり。あまりにも美しくて、涙が出そうだった。ふと見やれば、水際に人がいる。どうやら釣りをしているらしかった。
「あの!」
 声をかければ微笑みながら唇に指を当てた男が振り返る。釣りの最中に大きな声を出すな、とたしなめられたのだと気づいてデニスは赤くなった。
「ん、何かな?」
 デニスよりはずいぶん年上だろう、けれど壮年ではない、まだ青年と言って充分にとおる年齢だった。しかし微笑みに深みがある。なぜだろう、と内心で首をかしげデニスは気づく。彼はいわゆる半エルフの子、らしい。道理で端正な顔をしているはずだった。
「あの……お手伝いします! 僕は魔術師なんです。ですから、魚を集めるくらいなら、お手伝いできます!」
「え?」
「魚、釣ってるんですよね? でしたら、いま僕が魚を集めるんで、それを――」
 言いかけたデニスの頭ががくりと沈む。何事か、と振り返れば背後には溜息をつくイメルが立っていた。
「悪いね。この子、邪魔したでしょ」
「ううん、大丈夫だよ。まだまだ魔法が楽しくって仕方ないってところなんだね。頑張って」
「あー、励まさないで。よけいなことするから、絶対」
 天でも仰ぎかねないイメルの語調に青年は笑う。それにイメルは苦笑してデニスの手を引いた。
「え……イメル師。あの!」
「人の趣味の邪魔して君は何がしたかったわけ?」
「え、趣味?」
「あいつは別に魚釣りが仕事じゃないの。どうしても魚が必要ってわけでもないの。仕事がひと段落して、自分の趣味で魚釣ってるの」
「では、魚は……その」
「釣れたら自分の晩飯になるだけ」
「だったら! 釣れなかったら可哀想じゃないですか。やっぱり手伝うべきです! そのために僕には技術があるんです!」
「あのなぁ……。別にね、釣れなくってもいいの、好きでやってるんだから。魚が釣れなかったら、どっか居酒屋か友達の家かで夕食を食べるだけ。だいたい、人が好きでしてることを邪魔してなにが手伝いなわけさ?」
 呆れた、とイメルが両手を広げた。いつの間にか湖をまわっている。向こうに見えている立派な建物はなんだろう、とデニスは思い、もしかしたらあれがファネルの言っていた議事堂か、と気づく。
「好きで、ですか? 労働が、ですか? だって……」
「働いてるんじゃないって俺はいま言ったよな? 趣味だ、趣味。人の話、聞いてるか?」
「でも――」
「だってもでももないの。あのな、デニス。いまから俺はじゃあ、君のためになるから、絶対にその方がいいから、君の魔法を封じようか」
「はい!?」
「なんで驚くの? だって君のためだよ? そのほうがずっといいだろ。俺にはその知識も技術もある。君のために、君が楽できるように、魔法を封じてあげるよ。な、俺って優しいよな?」
 にこりとイメルが笑っていた。さすがにここまで言われれば自分の行動を咎められているとわからないはずもない。
 けれどデニスにはわからなかった。人の役に立とうと思うことまでは間違っていないはず。先ほどの魚釣りは不幸な勘違いであるにすぎない。
「ま、まだ君はなんにも理解してないよね、やっぱりね。エリナードが頭抱えるわけだよ、ほんと」
 小さく笑い、諦めたようイメルは肩をすくめる。それから来い、と手招いた。議事堂の中、デニスは黙ってついて行く。わくわくとする素晴らしい建築だった。あまりにも美しくて、いつまでも探検したくなってしまう。
「こっちだよ、どこ行くの」
 慌ててイメルの背中に従えば、大きな扉の横、質素な戸を抜ける。少しばかりがっかりしたのは事実だった。あちらには何があるのだろうかと。
「さぁ、手伝ってもらうからな」
 きっと素晴らしく偉大な仕事の数々を目にするのだとデニスは思った。いまはまだ手の届かない魔法を目にするのだと思った。
「なんでだよ」
 まさか魔術師ともあろうものが購入伝票の処理をさせられるとは、思っても見なかったものを。




モドル   ススム   トップへ