外見どおりの小ぢんまりとした小屋だった。寝台の上に横たえられたエリナードはしげしげと辺りを見回す。どことなく落ち着く室内だった。
「あんた、普段は薬草師も兼ねてんのか?」
 戦闘班の束ねをしている、と言うファネルの家にしては珍しいものがある。ある意味では、似つかわしいものとも言えるが。壁一面に備え付けられた薬用動植物の数々だった。
「いや……」
 それに目を留めたファネルが含羞んだような、切ないような不思議な顔をする。黙って瓶の一つを手に取りもてあそぶ。
「すべて、フェリクスが残したものだ」
「――師匠が?」
「もっとも、あれから人の世ではずいぶんと時間が経っている。彼が残したものそのものではないがな。せっかくあるものを無駄にするのもなんだ。使い方を学んで、色々と役立たせてもらった。だから、中身はほとんど入れ替わっているな」
 ファネルの言葉の裏側にあるものをエリナードは察する。配置から何から、ファネルは何一つとして変えていないのだ、中身以外は何一つとして。エリナードはふと気づいてしまう。
「あぁ……。ここは元々フェリクスの家だった。彼が旅立って、私が代わりに住んでいる」
 ファネルの言葉にエリナードは声を失う。ただ引っ越してきただけではない響きが確かにそこにはある。なんとも言えない虚しさと狂おしさにも似た慕情。ぐっと胸が詰まって何も言えなかった。
「あの頃、ここにフェリクスは住んでいた。――シェリと呼ばれた小さな真珠色のドラゴンと共に」
「あんたはそれを見てた?」
「見ていたと言うより、何度か看病をした、が正しいな」
 溜息まじりの笑みにファネルが現実に戻ってきたのを感じる。もてあそんでいた瓶を棚に戻し、ファネルはエリナードの上掛けを直す。
「イメル辺りから聞いていないか? 暴走したり、魔力を使いすぎたりと、かなり頻繁にあれは倒れたからな。定命の身で無茶をしたものだ」
「まぁ、俺の師匠だしな」
「納得できるのがそもそもどうかと私は思うぞ」
「そこは否定しろよ!」
 からりと笑ってエリナードは黙ってされるままファネルの手を受け入れる。ファネルがいま何をしているか、エリナードにはわかっていた。
 彼の手が、足を撫でさすり、痛みを軽くしようと努力する。その手が自分に触れているのではない、とエリナードはわかっていた。
 ファネルはいま、エリナードに触れながら、そこにフェリクスを見ている。遠い昔になってしまった過去。けれど神人の子らには昨日のような過去。
「お前はフェリクスの無茶をあまり驚かないのだな。イメルは当時もずいぶんと青くなっていたものだが」
「言ってんだろ。俺は師匠の倅だぜ。無茶は見慣れてる。それに……一番の無茶を知ってるからな」
「ラクルーサを出奔したことか? いや、壊滅寸前まで追い込んだことか」
「いいや? そんなの軽いもんだぜ。あの人は……壊れかけの俺を丸ごと自分の精神の中に抱え込んだ。俺をこの体に返してからも、かなり長い間精神の接触を保ったまんまだった。ほとんど共生だぜ、あれは。あの頃は……そんなことしなくても平気だ、大丈夫だって思っちゃいたぜ。でも、違った。それがわかったのが、やっぱ当然っちゃ当然なんだけどよ、立ち直った後だった」
 だからこそ、フェリクスが危ぶんでなにより誰より側にいてくれたのだとエリナードは知っている。あの傍若無人な態度の影で、どれほど優しい男だったのか。いまとなっては知る者もいない。
「ファネル。イメルから聞いてたな?」
 驚かないファネルに訝しげな目を向け、エリナードはにやりと笑う。それにファネルがわずかに慌てたような顔をした。
「いいぜ、別に。昔話だ。気にするようなことじゃねぇし。つか、あんたが気にすることじゃねぇだろ。べらべら喋ったイメルが悪い」
「イメルは――」
「ほんと、いいやつなんだけどよ、口が軽いのが玉に瑕だよな?」
 そう言うことにしておけ、とでも言うようなエリナードにファネルはフェリクスを幻視した。一度としてそのような姿の彼を見た覚えなどないというのに。
「師匠はそう言う無茶をやらかしたからな。ほんっと、無茶無謀ってやつだよな。下手打ちゃ死ぬぜ?」
「それだけ、お前が可愛かったと言うことなのだろう?」
 言うな、とばかりエリナードはファネルを睨む。悪戯にされたそれにかまうことなくファネルは立ち上がり、茶の支度をした。痛みを軽くする薬草茶がよいだろう、そう選び始める己の手になぜか安堵を見る。これだけの薬用動植物を的確に選び出すことができるようになっている自分。フェリクスのある意味では遺産。残されている、そう思えばたまらない。けれど役に立っていると思えばありがたい。それらが混然となった安堵だった。
「立ち直った切っ掛け、と言うのを聞いてもいいのか? フェリクスではなさそうな口ぶりだったな?」
 寝台の上、エリナードの半身を起こしてやる。背中にクッションをあてがえば少しは楽だろう。昔フェリクスに同じようなことをしてやった記憶がファネルを刺す。
「言うまでもねぇってやつじゃね? ――ライソンさ」
 熱い茶を受け取り、吹き冷まそうとでも言うようエリナードは視線を合わせなかった。ファネルもまた、そのまま茶を飲んだ。自分に淹れた茶はいつもの香草茶。それなのに、薬草茶の匂いのせいだろうか。不思議と普段とは違う香りがした。
「……俺は、あんたの気持ちが少しわかる気がするよ」
 ゆっくりと茶をすすりつつ、エリナードが茶器を見つめたまま言う。ファネルも黙って先を促した。
「……俺は、ライソンが先に逝くってわかってた。ただでさえ傭兵だ。どこでくたばるかわかったもんじゃねぇ。幸い、長生きはした。それでも、先に死んだ」
 ゆっくりと、あるいは急速に流れていくライソンの時間。変わらず立ち止まっている自分の時間。エリナードは二人の流れを歩いてきた、そんな気がしてならない。
「はじめから、わかってた。あいつは魔術師でもなんでもねぇし。俺がぴんぴんしてるうちにくたばるのは、わかってた」
「それでも?」
「あぁ、それでも。俺はほんのちょっとでもかまわねぇって、それでもあいつが欲しかった。先に逝かれるのがわかってて、それでも一緒に生きたかった」
 エリナードが眼差しを上げた。そこにはこの世の外の美がある。闇に堕ち、神人の子としては遥かに生々しい存在感を持つファネルにして、人間とは比べ物にならない。
「それが、どうして私の気持ちと言う話になる?」
 その天より青い目がエリナードをまっすぐに見ていた。先ほどの殺気をいやでも思い出す。迂闊なことを言えば叩き切られるだろうと如実に感じる。だからこそ、エリナードは口許に笑みを刻む。
「師匠さ」
「フェリクス? フェリクスがなんだと言う? お前は――」
「そうせっつくんじゃねぇよ。言ってんだろ。俺は、ライソンが先に死ぬってわかってたんだぜ? あんたは? 化け物じみて強かったけどな、師匠もあれで定命の生きもんなんだぜ?」
 茶化した声にファネルは言葉を失った。先に逝くとわかっていたのは誰か。エリナードにはわかっていた。自分も、知ってはいた。そして互いに失ったもの。エリナードが黙ってうなずいた。
「俺とは違う。あんたは神人の子で、俺は魔術師だ。送ったのは、闇エルフの子で、傭兵だ。あんたが送ったのは、あの人で、俺が送ったのは連れ合いだ。だよな? でも、ちょっと想像するくらいはできるぜ」
 そっと空の青が消えた。無言で瞑目するファネルの手にエリナードは自分のそれを重ねる。繊細な、武器など持ったことがないような手をしているのかと思っていた。けれどそこには神人の子にして、戦闘の束ねをするものの手があった。
「……フェリクスは、私の希望だった」
「無茶言うよな」
「なにがだ!」
 かっと顔を上げたファネルの前、エリナードが静かに微笑んでいた。そこになぜかフェリクスの笑みを見た、そんな気がしてファネルは息を飲む。
「死なない定めのあんたが、死ぬ定めの師匠に希望を見た? ――無茶言わないでよ、僕にだってできることとできないことがあるってそれくらい理解できないわけ?って呆れて笑うぜ?」
「……呆れられても、罵られてもかまわない。そんな、フェリクスが見たかった」
「見せたかったさ」
 含みのある言葉にファネルは彼を見る。だからこそ、読み取った。エリナードが見せたかったのではなく、フェリクス自身があるいは望んだかもしれないと。無言で首を振るファネルにエリナードは言う。
「もし師匠が元気だったらそう思うだろって話さ」
「……お前は、ずいぶんとフェリクスのことがわかるのだな。魔術師の師弟とはそう言うものか?」
「だから言っただろ。俺は師匠と半共生だったんだ、かなり長い間。抱え込まれてた時間も入れりゃ、ほぼ五年。師匠が他人にゃ絶対見せねぇことも知ってるし、後遺症って言やいいのかな。否応なしにお互い強い感情は筒抜けだった」
 ファネルは思い出す。かつてイメルもライソンもが言っていた。エリナードはタイラントの死もフェリクスの悪魔召喚もすべてその瞬間に感じ取っていた、と。そう言うことだったのか、と理解する。
「私は……なにに感謝をするべきかな。いまこうして、お前と話ができた。それが途轍もなくありがたい、そんな気がする」
「同感。思い出話って、いいよな? どうにもならねぇ話でもよ、懐かしいってふりして話しゃ多少は気が楽になるもんな」
「それがライソンの話でも、か?」
「神人の子ってそう言うことに嘴挟まねぇもんらしいのによく言うぜ」
「ライソンを知らない、と言うわけでもないからな。若き日のことを聞いてみたい。そんな気がしただけだ」
 言いつつファネルは不思議だった。エリナードの言こそが正しい。今更ながらに羞恥が湧き上がり、寝台の側から立ち上がる。
「食事は普通にできるのだろうな? ならば用意をしてこよう」
 ここには簡単な設備しかないから食事は店で買ってくるか誰かが作ったものを分けてもらうかだ、とファネルは呟くよう告げて小屋を出る。
「さすがって言うべきだよなぁ。無茶加減は親譲りだったんだな、師匠ってばよ」
 どうやら縄梯子も使わず小屋から飛び降りたらしいファネルの気配にエリナードはくすくすと笑う。改めて室内を見回し、懐かしい師の面影に目を細めていた。




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