神人の子は慎み深く、地上の生き物とは思えないほど優雅だ、とデニスは聞いていた。だがこのファネルは。優雅なことは間違いない。けれどエリナードに示す態度の一つ一つに違和感がある。デニスの心はすでにその答えを知っていたけれど、頭がどうしても追い付かなかった。
「あ、あの――! エリナード師!」
「だから! 聞きてぇことがあるなら断りなしに聞けって何度言ったらわかんだっつーの。いい加減めんどくせぇぞ、お前」
 言葉を奪われ、デニスは目を白黒とさせる。それをファネルが面白そうな顔で見ていた。ちらりと目にしたエリナードが小さく微笑む。彼にとっても楽しい表情だったらしい。
「え、と、その!」
 ついぞ気づかぬデニスはおろおろと己の中に言葉を探していた。なにをどう言えば。そもそも何を問えばいいのかわからない。
 こんなことはカレンの元ではなかった、否、学院時代ですらなかった。ひどく子供になった気がしてより一層落ち着かなくなった。
「失礼を承知で伺いますが――」
 言った途端、またも険悪な、けれど悪意はどうやらなさそうなエリナードの藍色の眼差し。前置きは要らない、と言うことらしいが中々そうもいかないデニスだった。
「あの……。たとえば、です。師が、ご不自由な体を魔法で補助できるよう、さらに研究を推し進めたら、もっと人の役に立つ、と思うんです」
 いくら神官がいて、重傷や場合によっては致命傷でも治してくれることがあるとはいっても、エリナードの例もある。神聖魔法ですら完璧とは程遠い。
 むしろエリナードは幸運だったとしか言えない。イーサウの重要人物であったからこそ、神官の手が間に合った。もしも一介の庶民であったならば、あの場でカレン諸共に即死だ。いくら自分たちの魔法で防御をしたとしても、限界はある。それをエリナードは知っている。
 だから、デニスが言いたいこともわからないでもない。神官による魔法で回復させたとしても残ってしまう後遺症。あるいは、生来の不自由。もしも魔法で補助することができたならばどれほど役に立つことだろう。
「たとえば、です。そのような魔法を魔法具にこめてですね――」
「売るのかよ?」
「それは……その」
「まぁ、売るのは当然だよな。魔術師って言っても食わなきゃ死ぬし。だがよ、デニス」
「はい」
「じゃあ、買えねぇやつはどーすんの?」
 はっとデニスが顔を上げた。考えていなかった、と言うよりは想像もしていなかったのだろう。大方また空想に浸っていたか。エリナードの予想は当たる。
「ですから、体が不自由な人には安価にして――」
「安売りすんのはいいけどよ、財源はどっから持ってくるわけ? こっちは慈善事業じゃねぇぞ」
 渋い顔をするエリナードが信じられない、とばかりデニスは呆然としていた。魔術師は、人の役に立つのが最大の目的だと思っていた。誰からも喜ばれることをするのは、どんな職業であっても素晴らしいことではないか。
「だいたいな。どれだけ安売りしようが買えねぇやつは買えねぇし、買いたくねぇってやつだっているぜ?」
「そんな! だって、みんなと同じようにできるんですよ!? 要らないはずはないです!」
「俺には別にみんなと一緒が全部正しいなんて思えねぇけどな? それ、危ねぇぞ、デニス」
 一瞬、エリナードの藍色の目が光った、デニスにはそう見えた。飲まれたせいかもしれない。気がつけば、体の脇で硬く拳を握っていた。
「なにが、でしょうか。師よ」
「ここは――」
 つい、とエリナードが周囲を見回す。それだけでここ、と言ったのがアリルカと言う国のことだとデニスには理解できた。
「多種族の国だ。わかるか? みんな一緒に仲良く楽しいって国じゃねぇんだよ、ここはな」
 言ってエリナードは己の体を支えているファネルに首を振り向けた。苦笑しつつ、けれど神人の子もまたうなずいている。
「わかるか? アリルカは、神人の子らと、その子ら、それに人間と魔術師。詳しく分けりゃな、神人の子らだって、半エルフに闇エルフ、ガキもその子供らってことになる。種族単位で考え方も違う、習慣も違う。全員同じになんかなれるか」
「それは、努力すれば――」
「どんな努力だ? 同じにすんならよ、基準はどこにするんだ? 人間か? 神人の子らに慣れろって押しつけんのかよ? 逆でも一緒だぜ。全員一緒、みんなでおんなじように仲良く、なんつーのはな、気持ちの悪い理想でしかねぇんだよ」
 叩きつけるようでありながら静かなエリナードの声だった。だからこそ、デニスはうつむく。が、エリナードは看破している。この若き魔術師がまったく納得していないと。
「アリルカで全員がおんなじこと考えてるとすりゃな、デニス。習慣も考え方も生き方も違う。死なねぇやつらも死ぬやつらも、でもとりあえず今ここに集って一緒に生きてる。だったら隣の道を歩きながら、たまに手を貸しあって歩いて行こうぜってことだ。それだけでいいんだ。全員が同じことなんか考える必要なんかどこにもねぇよ」
「でも――」
「だいたい、さっきの魔法具の話に戻るぜ? 買わねぇことを選択したやつがいたとする。そしたらそいつは体が不自由なままだ、そうだよな? そしたらそいつは悪目立ちだ。わざわざ不自由なのを見せびらかして同情でも買いてぇのか、なんつー話になるのが社会ってもんなんだぜ、お子ちゃまよ」
 鼻で笑ったエリナードにデニスは言葉もない。ちらりとファネルを見やれば哀しそうな眼差しをして遠くを見ていた。もしかしたら実感があるのかもしれない、ふとそんなことを思う。
「それに、俺個人の話で言うんならな。そんな魔法を研究してぇとは思わねぇし」
「え!? どうしてですか!?」
 ぽつりと言ったらしいエリナードの言葉にかぶせるよう、大声を上げてしまったデニスだった。さすがに恥ずかしくなって顔を赤らめたけれど、エリナードは気にも留めていないらしい。
「どうしてって。やりたくねぇから?」
「だって!」
「あのな。たとえば、だ。なぁ、ファネル」
「なんだ」
「魔法があるからもう手伝わなくっていいぜって言ったら、あんたどうするよ?」
「――ひどく、拒絶されたような気がするだろうな」
「だよな」
 もっともだ、とばかりうなずくエリナードに、そして答えたファネルに、デニスは不可解な目を向けた。なにがなんだか、やはりわからない。
「あの、師よ……。その、どうしてなんでしょうか。その、ファネルは、人の役に立つと言うような誓いがあるとか、ですか」
「そんな意味わかんねぇ誓いがあるかよ」
「のべつ幕なし誰彼かまわずに手を貸すのが趣味、と言うわけでもないのだが」
「だよなぁ。あんた、すげぇお人好しだと思われてたりしてな。まぁ、うちの師匠見りゃ当然か」
 にやりと笑ったエリナードにファネルが肩をすくめる。どうやら二人の間でだけ通じる冗談らしい。置いていかれたデニスはけれどそれどころではなかった。
「だったらどうして――」
「見りゃわかんだろうが。お前の目は節穴かってーの。ここまで見せてまだわかんねぇんだったら目ん玉くりぬいて銀紙張っとけ。用は足りるだろうが、それでよ」
 暴言を吐きつつ、エリナードは笑ってこれでもか、とばかりファネルに体を預けて頬まで寄せる。さすがにこれでわからなかったら馬鹿だ、とデニスは思う。思うが。
「でも、エリナード師! だって、ライ――」
 咄嗟に言葉を止めたのは自分にしては上出来だった、とデニスは思った。ファネルの前でライソンの名を出すのは妥当ではないだろう、どう考えても。
「あぁ、ライソンか。――まぁ、あいつなら、なに言うかは見当つくっつーか、俺はわかるけどよ」
「見くびるな。私にもわかる」
「へぇ?」
 眉を上げて見せたエリナードの顔をわずかに覗き込むようファネルは見やり、そしてそっと目だけで微笑んだ。
「エリンを頼む。あいつを幸せにしてやってくれれば、こんなに嬉しいことはないぜ。――ライソンならば、そう言うだろう」
「……よせよ、ちょっとあいつの声に聞こえちまったじゃねぇかよ」
「すまん」
「マジで詫びんな。俺がいじめたみてぇだろ」
 小さく笑ってエリナードの拳がファネルの胸元を叩く。戯れのようで、けれど真摯な行為だった。デニスは気遣いも何も意味がない、と言うより意味がどこかにあるのかすらわからなくなってきた。
「お前はな、俺とライソンを真実の愛で結ばれたなんちゃら、みてぇな気色悪い夢見てっからそんな顔すんだ。ライソンには惚れてたぜ。いまもまだ好きだ。それはそれで嘘じゃねぇ」
「……おい」
「あんただってわかってることだろうが。ヤな顔すんな。まぁ、口に出した俺に非があるのは認めるけどよ。このお子ちゃま、はっきり言わねぇとわかんねぇんだもん」
 お手上げだ、とばかり首を振るエリナードにファネルは笑っていた。ただの冗談だ、と言わんばかりに。
「でもよ、デニス。だったら俺はライソンが死んだ後も、ずっと長い間死ぬまで一人であいつを偲んでなきゃならねぇの? 他人がどう言おうがな、俺のライソンはそんなことは絶対に望まねぇよ」
 エリナードの眼差しがわずかに曇った。ライソンの最期の日。イーサウ初の闘技会を終え、楽しく二人で家に帰って、そして遺言一つ残さず逝った。満足していたのだろうと思う。自分は充分に生きて満足した。だから、次に進め。言い残すことは何もない。それがライソンの遺志だったのだと、エリナードは信じて疑わない。ライソンに耳元で怒鳴られたかのよう、はっきりと聞こえていた。
「――昨日、お前に真実の愛だとお前が思ってるもんに近いもんを見たことがあるって俺は言ったよな? 悪い、ファネル。席外してくれ」
「かまわん。気遣いには及ばん」
「ったく。あんたが聞いて楽しい話じゃねぇだろうがよ」
 吐き出すエリナードの背をファネルが軽く叩いていた、なだめるように。自分は大丈夫だから、そう言ってでもいるようでかえってエリナードには信じがたかった。
「その前に、お前が妙な誤解をすると話が面倒だからよ、言っとくけどな。このファネルも、真実の愛とやらじゃねぇからな。まぁ、あれだ。多少、色気が抜けきってねぇ茶飲み友達ってとこだよな?」
「――お前は友人とあのように過ごすのか」
「それを神人の子のあんたが言うか?」
 からかうエリナードにファネルがぱっと頬を染めた。デニスはもう何度目になるのだろう。くらくらとした眩暈が常態のように感じはじめていた。




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