夢のあとさき

 二人はイーサウからシアンの遺骨を持参していた。右腕山脈のクレールの小屋からしばらく行ったところに少し開けた場所があった。そこにシアンの墓を作る。
「ここは、いいですね」
 幼い日、祖母の元に遊びに来たキアランが遊んだ場所でもあるのだろう。春になればここは花々で埋まるに違いない。高い場所であったから、海も望めた。きらきらと穏やかな波が輝く。
「気に入るかな?」
 死者が気に入るかどうかなど、ニトロにはわからない。気に入るかどうかも関係はないような気がしている。あるいはそれは、キアランが、息子を偲ぶ場所として相応しいかを問いたかったのかもしれない。
「きっと気に入ると思いますよ」
 新しくできたばかりの墓所から彼が振り返る。口許だけに微笑み。無理をしているな、とニトロは思うが、何を言ってやることもできない。
 キアランは、遺骨を埋葬する前、しばしためらっていた。連れて帰りたいのか、もしかしたらイーサウの方がよかったのか。戸惑ったニトロにキアランはそうではない、と首を振る。
「あなたが作ってくれた万華鏡、やっぱり一緒に入れてやろうと思って」
 別に持ってきていた万華鏡をキアランは取り出し、遺骨の小箱にしまいなおした。息子の思い出、として取っておくつもりだった。
「でも、シアンが遊べないと、寂しがるような気がして」
「そうか?」
「お気に入りでしたからね。僕と一緒に覗いて、本当に楽しそうに笑っていた」
 あのときすでにシアンは死霊であったのだ、と聞かされても実感はないキアランだった。ダモンがその魂をもってシアンをこの世に繋ぎ留めてくれていた。呪いを解かれたシアンを実体として捉えていたのはそのおかげなのだ、とキアランは聞いた。言われてはじめて思い当たる節があった。呪われていたシアンのこと。夜になって人間の姿を取り戻した彼の抱擁は羽のようだった。
「じゃあ今度、新しいの作ってやるよ」
 ニトロの言葉にキアランが驚いたよう顔を上げる。それが次いで笑みに変わる。小さな笑みが、零れるほどに。
「えぇ」
 息が抜けるようなかすかな返答。それでもキアランは微笑んだまま遺骨を埋葬した。シアンが楽しんでいた万華鏡。キアランは息子の思い出と共にまた覗くことだろう。
 ――どんなのにすっかな。
 ニトロは物思いに耽るキアランを尻目にそんなことを考えていた。同じものではキアランにとってはつらすぎるだろう。ならばいっそまったく違うものにするか。それでは偲べないか。
 こんなとき、他人の感情にあまりにも疎い、というのは困ったものだと苦笑する。キアランの望みがわかりにくい。どうすれば気に入ってもらえるかが、わからない。
 カレンならば、何を言うだろう。どうせ他人のことなんぞわかるわけはない、と切り捨てられる気がした。その程度の問題でいいのだ、と笑う気がした。ニトロが口許で笑ったとき、キアランは振り返る。
 二人揃って、もう一度埋葬され、墓石を立てたばかりの墓に跪く。シアンに語りかけるつもりで。何を言うべきだったのか、ニトロには考えがなかった。
 けれど言葉は自然に出てきた。キアランのことは心配するな、と。父のことをお願い、ずっと言っていたシアンに向けて。
 ――できる限り、幸せであってもらえるよう、努力するよ。
 不意に風の音。海から届く風であったに違いない。それが不思議とシアンの忍びやかな笑い声に聞こえニトロは顔を上げた。同時にキアランも。二人、顔を見合わせて小さく微笑む。
 結局ニトロは万華鏡は考え中、としてしまった。いずれ遠からず本人にどんなものがいいか尋ねることになるだろう予感はある。
「ニトロ。今更ですが、よかったんですか?」
「なにが?」
「シアンの墓を、ここに作って。わざわざここまで花を供えに来るのでは、あなたも大変では?」
 そうすると疑っていないキアランにニトロは大きく笑う。そのとおりだった。暇さえあれば、否、時間を作ってでもシアンに話しかけに来るだろうと思っている。その顔が渋くなる。
「ニトロ?」
「いや、な……。あんたじゃない。シアンの墓をな、議長がイーサウにって言い出してたからよ。さっさとこっちに作るに限ると思ってな」
「どういう意味です?」
 肩をすくめ、ニトロは言う。議長は善意で言っている、と言いおきながら。議長としてはキアランという人狼にも愛する家族があり、可愛い息子がいたのだと街の人々に知らしめたい、その思いだろう。
 が、あの状況のすぐ後だ。しかも戦後の好景気の予感に熱狂中のイーサウでもある。となると間違いなく行きつく先は。
「種族融和の象徴にでもされたらたまったもんじゃねぇからな」
 吐き出す、というよりは少し寂しそうなニトロだった。当然だ、とキアランは感じる。融和の象徴、などとあえて語るとは、すなわち異種族が歴然とそこにある、ということでもある。わざわざ語られるようなことではない、とキアランは思うが、人狼の中にも人間を異種族として避ける者はいるからなんとも言いがたい。
「難しいものですね。あえて語られることのない世の中、というものができればいいのでしょうが」
「無理だな。というか、そういう社会はあるんだぜ?」
「え……」
 ぽかん、としたキアランの顔など中々見たことがなかった。それほど驚いたのかと思えばニトロの方がより驚く。そう言えば、とニトロは思い出す。キアランは島主の屋敷に若いうちから軟禁状態だったのだ、と。人狼としての知識もあまりないだろうし、そもそも人狼自体が右腕山脈から離れたがらないおかげで世間には疎いらしい。
「アリルカって言ってな。そんな国がある。半エルフと、闇エルフ、そのガキどもと人間が作って、いまでも暮らしてる。もちろん魔術師もいる。そういう国だ」
「すごい……こと、なのでしょうね。実感がまるで湧きません」
「気になるんだったら連れてってやるよ。俺はたまに墓参りに行くし」
 キアランが言葉に詰まる。ニトロが墓前に参る人物とはどんな相手なのだろう、尋ねていいのか。戸惑ったらしい。ニトロとしては聞かれても問題ないからこそ口にしたのだが。ふと気づく。それを気遣いと言うのだと。そんな自分に苦笑した。
「師匠の師匠、俺にとっては大師匠だな。その人が、アリルカに眠ってる」
「そう、だったんですか」
「ま、近々行くか?」
 はい、と嬉しそうに返答するキアランに、ニトロは感じる。そのときにでも、かのフェリクス・エリナードと自分がどんな関係だったのかをキアランに語ることだろうと。魔導師会でもほとんど知られていない話を彼にはするだろうと。
「さて、これからどうしましょう? 追いかけますか?」
 神官たちの乗った馬車のことだろう。一応は、連盟の用事で出てきたのだから合流した方がよいのだろう、と考えるキアランの律義さ。ニトロは笑って首を振る。
「どうせあいつらものんびり帰るだろ。急ぎの用事でもねぇし。こっちも休暇にしよう」
 監車があった行きとは違い、身軽になった一行ではあるけれど、神官たちのことだ、神学談議に花を咲かせながら帰ることだろう。五日や六日は見ておいて問題はない。
「そういう、ものですか?」
 ニトロが勝手をした、と露見した場合、彼の不利になることはないのだろうか。キアランの無言の問いが理解できる歓喜。ニトロは口許に浮かぶ笑みを隠しがたい。それを誤解したのだろうキアランの表情。それを誤解と知ることができる興味深さ。
「大丈夫だ。問題ねぇよ」
 断言すれば、首をひねりながらニトロに従うと決めたらしいキアラン。面白い男だとつくづく思う。ダモンはよくニトロを評して「覚悟を決めすぎる男」と言う。キアランはどうなのだろうとふと思う。それを探るのも楽しそうだと。
「ちょっと、試してみないか?」
 にやりと笑ってニトロが手を差し出す。キアランは考えることなくその手を取った。一度墓を振り返る。
「また来るよ。親父さんの話も色々してやるからな」
「僕も一緒に来るつもりですけど?」
「それはそれ。これはこれ」
 くっくと笑うニトロがいつになく機嫌がいいとキアランはそれが喜ばしい。シアンのこと、エヴリルのこと。他にも色々。いま少し、道が晴れた気がした。
 ニトロがキアランの手を取ったまま小声で詠唱をはじめた。あっとキアランは息を飲む。はじめてではある。が、不思議と悟る。
「ほい、到着」
 転移だった。ニトロに運ばれ、一瞬にしてどこかに。周囲を見回し、キアランは思い切り息を吸い込む。ここはどこだと問うてしまいたい。わかっているから問えない。
「竜の泉、ですか……。すごいな」
 一瞬にして右腕山脈からここまで移動、と言っていいのだろうか。驚き辺りを見回し。信じがたいけれど、やはり現実として澄んだ泉がそこにある。
「どうしました?」
 ニトロのにやにや笑いが目に入り、さすがにキアランも訝しい。そのキアランの頬にニトロは手を当て、覗き込むよう見つめてきた。思わず身を引きそうになる。驚いただけだが、嫌がった、と解釈されたくはない。慌ててキアランはその場に留まる。ニトロは気づいた様子もなく口許を歪めて笑っていた。
「大丈夫だな。うん、やっぱな。想像通りだ」
「ニトロ? 話してくれるつもりがあるんだったら説明してくれませんか。それではいくらなんでもちょっとわからない」
「わかってるって。あんた、前に話したこと覚えてるか?」
 あ、とキアランが声を上げた。記憶力の確かさにニトロは思わず拳を握ってしまう。嬉しかったのだ、とは後になって気づいた。
「言って、いましたよね? 転移で吐き気がするから、と。その、非常事態でもない限りは避けたほうが無難だろうと」
 否、イーサウの地で彼はこうも言っていた、魔法に近いのならば可能かもしれないと。いずれ試してみようとも。キアランの表情にニトロはにやりと笑った。
「あんときの俺はあんたが魔法寄りの生きもんだって知らなかったわけで。いつだっけ? 試してみようって言っただろ。海を走れるくらい魔力を使ってんだったら絶対行けると思ってな」
 事実キアランは一切の吐き気を感じていない。軽い酩酊感をわずか一瞬の間に覚えただけ。それもすぐさま消えてしまうほど。
「魔術師が感じてるのと一緒だな。はじめのころはそうなる。すぐ慣れちまってそれも感じなくなるんだけどな」
 肩をすくめながらも嬉しそうなニトロだった。そっぽを向いて、泉を眺めて。くつりと笑い、キアランもまた彼の隣に並んでみれば体ごとそむけてしまったニトロだった。




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