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監車から出されたエヴリルは、廃坑道が近づくにつれて狂乱しはじめた。無理もない。あそこには彼女の恐怖の源がある。 「ニトロ師?」 顔を顰めたドンカの高司祭の要請に従ってニトロは無造作に魔法で拘束する。神聖魔法でもできなくはないが、鍵語魔法の方が効率がいい。あっという間に身動きを封じられ、けれどニトロの意のままに歩かされるエヴリル。声も出せず眼球だけががぎょろぎょろと動く。 護送兵も廃坑道に入るのははじめてだった。そして彼らは知る。話にだけ、聞いていた事実を。ここで、十七人にも及ぶ人が死んでいったのだと。内十四人は嬰児であったのだと。こんな、なにもない場所で。陽も射さない、湿って薄暗い場所で。小さな小さな生まれたばかりの赤ん坊が。吐き気をこらえ、エヴリルを囲む護送兵の顔。ニトロは横目に見ていた。 「ここでいいですかな」 高司祭が立ち止まったのは、正にシアンが暮らしていた場所。ここだけは天井の岩が崩れ、陽が射しこむ。最後の慈悲、と彼は考えたのだろう。 「いえ……ここではなく、もう少し奥に行きましょう」 不意にダモンが口を開いた。怪訝そうな高司祭にダモンは告げる、シアンのことを。 「ここで、彼の息子が『生きて』いました。父親としては殺人者に踏み荒らされるのは、いやでしょう」 ダモンは軽く微笑んでキアランに向かって頭を下げる。それに感極まった表情のキアラン。隣に佇むニトロではなく、伯父のカハルが彼の肩に手を置く。家族として、甥の子を悼む。 「ここ、でしたか……」 高司祭が言葉に詰まった。彼もまた、実際の場所を目にして、思うところがありすぎるのだろう。エヴリルのような犯罪者が存在するとは想像もしていなかった高司祭。罪の場所を目にして何を思うのか、ニトロにはわからない。 「奥に行きましょう」 高司祭はきっぱりと言う。エヴリルがいっそう恐ろしげな唸り声を上げた。ニトロの魔法の拘束すら振り払わんばかりに。なるほど、彼女は更に奥に恐れを抱いている、ということだとニトロは思う。廃坑道の奥の奥、それが赤子を捨てろと指示した場所なのではないかと。 エヴリルが、魔法で拘束されているにもかかわらず足を何度となく止めようとする。そのたびにニトロが魔法的に引きずることになる。ずりずりと廃坑道の土に跡がついた。 ぽ、と明かりが灯る。それもニトロのしたこと。魔法灯火の明かりに、護送兵たちがばつの悪そうな顔。エヴリルのあまりの有様に松明を灯すことも忘れていた彼らだった。しばらくすると松明の光も加わり、少し物が見えやすくなる。 「ここでいいでしょう。この者には相応しい」 エイシャの司祭が断言する。廃坑道の奥は今にも崩れそうな土と岩の壁。辺りに骨の欠片が散乱している。それらは獣の食べかすだ、と神官たちにはわかっている、ニトロにも、人狼たちにも。けれどエヴリルの目には、そうではない。言葉を封じられたまま、けれどついに彼女は絶叫する。 神官たちはかまいもしなかった。この場を目にし、彼らは怒りに震えている。再び感じたものもいた。ダモンとアーロン。あのときの子供たちの泣き声。いままた耳に蘇る。 引きずられたエヴリルが神官たちが作る輪の中央に据えられた。神聖魔法の準備のためニトロが拘束を解いた瞬間、エヴリルは俊敏にも逃げようとする。が、喉を引き攣らせて、止まった。 「素晴らしい手際ですね、ダモン」 にこりと微笑んだエイシャの司祭。ダモンは手の動きすら見せず例の暗器でエヴリルを拘束していた。体中に絡みつく見えない糸。エヴリルであっても、動けば死ぬ、と理解したことだろう。もっとも、動いた場合にはダモンは拘束を緩めただろうが。安易に死に逃げることを彼は許さない。 「でははじめましょうか?」 エイシャの神官は一般的に穏やかで優しい。たいていの人々が神官、と言われて持つ印象そのままだ。けれどいまの司祭の表情を見てそう言うものはいないに違いない。微笑んだままの眼差しの冷酷さ。ドンカの高司祭、そしてアーロンが揃ってうなずく。 ダモンとドンカの持祭、双子神の若い神官が下がる。高位の神官たちが囲む輪の中、エヴリルはまだ逃げようとしていた。ドンカの高司祭が肩に手を置く、それだけで彼女は動きを止めた。止めさせられた。 「最愛のエイシャよ。自らの幻想の中に住まわる者の迷妄を払いたまえ」 「麗しきアスタよ、美しきアステルよ。愛なく欲望に溺れた者に報いを」 「約定の神たるドンカの名に於いて、裁きを」 瞬間、エヴリルが悲鳴を上げた。聞くに堪えないその響き。兵たちが恐れて一歩を引く。ニトロと人狼たちはその場に留まった。我が身を抱え、絶叫を繰り返し、涙と涎に汚れたエヴリル。その場を走り去る。神官たちを突き飛ばしかねない勢いだった。 「あの女は、これからどこへ?」 カハルの厳しい声音。このまま逃がすのか、との問い。ドンカの高司祭が黙って首を振る。エイシャの司祭が目顔でエヴリルの行き先を示す。 「いや……ここにも……! あっちにも! いや、来ないで、来ないでったら!!」 突き当りまで走り、隅にうずくまる。そして頭を抱えたかと思えば立ち上がり、また走る。反対の隅で同じことをし、また逃げる。その繰り返し。 「行きましょう。あの者はここから出られない。神の許しを得るその日まで、あるいは死ぬ時まで、このままです」 「神官殿は、どちらだと?」 「……個人的な見解ですが、死ぬまででしょうな」 「わかりました。それならば」 カハルがうなずく。人狼の目に見据えられ、ドンカの高司祭はわずかに怯む。彼が異種族だからではない。殺された赤子の親族の険しい眼差し。 「私からも一言お伝えしておきましょうか」 ゆったりとした笑顔を取り戻したエイシャの司祭だった。カハルとキアランに向かって、エヴリルが何を見ているのか、を教えてくれた。 「彼女はいま、子供に追いかけられています。よちよち歩きの赤ん坊にね」 なぜ殺した、どうして見捨てた。呪いの言葉を吐きながら追いかけてくる赤ん坊は恐ろしいでしょう、と笑顔のまま言う神官。そちらの方がよほど恐ろしい、ニトロは肩をすくめる。 「でもね、ここにはもう哀しい子供はいません」 「そう、なのですか?」 「アーロン殿がきちんと送ってくれました。子供たちはみな、もう神々の御許におりますよ」 だからそれはエヴリルの罪が見せている景色なのだ、とエイシャの神官は言う。彼女に罪の意識などというものがあるのかどうか、それが怪しいとニトロは思うが、見ているのならば問題はない。 「あなたがた、彼女を哀れと思いますか?」 エイシャの司祭の言葉に兵たちがはっとする。廃坑道を出て行きながら問う神官に、兵たちはもじもじとしていた。 「……恐ろしいです。ですが、哀れでもあります」 意を決した一人の兵。ちらりとキアランを見ていた。それでも自分の言葉、として彼は言う。キアランは軽く頭を下げてその気持ちに報いた。 「そのとおりです。ですからね、我々はこれから、あの者のような罪を犯すことがないよう、誰かが罪に手を染めそうになったならば、止めなくてはなりませんね。誰かが、止めるべきなのですよ、こんなことになる前に」 エヴリルは手遅れだった。わかっているだけで十四人の嬰児。数人の大人の女性の死者も出ている。調査が進めば更に増えることだろう。神々の手に委ねることになる前に、人の手で罪は止められる。神官の言葉に兵たちがうなずいていた。 「さ、帰ろうか。さすがに罰とはいえ、気分がよくない」 廃坑道を出て大きく呼吸をする。山の緑の匂い。土の香、風の肌触り。神官であろうとも、否、だからこそ一層に息が詰まるほど気分が悪かったのだろう。そんなアーロンに、ドンカの高司祭が嫌な顔をする。伝統的に双子神の神官とは仲が悪いせいもある。もっとも高司祭の口許はかすかに笑っていたのだが。 「あぁ、悪い。先に帰っててもらえるか?」 いまになって言うニトロにアーロンが不思議そうな顔をした。悟ったのだろうダモンがにやりとする。それにアーロンもまた理解したらしい。 「墓参りとか、しとかねぇとな」 ぶっきらぼうに言うニトロにアーロンは不満げ。だが以前のようではない。内心でニトロは小さく笑う。そしてひょい、と隠しから取り出したものをアーロンに投げた。受け取った彼がまじまじと耳飾りを見つめる。 「お前用に調整してある。危険はないと思うけどな、なんかあったら呼べよ」 遠距離接触用の魔法具だった。アーロン専用に調整した、そう言われた彼は目を丸くする。いつ作ったのか、想像もできない技の冴え。それ以上に、ニトロの思いが。 「どうして急に優しくするんだ? 君はほんとに不思議な男だよ。もう!」 「お前が諦めたからだ」 「あ……」 半ば冗談口を叩いたアーロンに、きっぱりとしたニトロの言葉。キアランがごそごそとしているのはばつの悪さか、それとも。小さく溜息をつき、けれどアーロンは微笑む。 「二人に双子神の祝福を。寝室に変化が欲しくなったときにはいつでも呼んでくれ。私も混ぜてもらうからね?」 「……お前なぁ」 呆れるニトロにアーロンは片目をつぶる。ドンカの高司祭が顔を真っ赤にしていた。子孫繁栄をも司るドンカ神の神官はおおよそ同性愛にはあまりいい顔をしない。 「まぁ、まぁ。そう興奮せずに。神々が我々をこのようにお作りになったのだと思えば、彼らの在り方もまた神々の御心に適うもの。そうでしょう?」 ぽんぽん、とエイシャの司祭が肩を叩いてなだめつつ歩く。それに文句を言いながら従うから、意外とあちらとは相性がいいらしい。兵たちもまた笑って去って行った。廃坑道を振り返る者が数人。エヴリルを哀れむのか、それとも二度と彼女のような罪を犯すものを出さない決意なのか。ニトロにはわからなかった。それでもきっと何かは変化する。そうであればいいと願う。 「まぁ、こんなものだろうな。喉笛を噛み切っても気は晴れん」 カハルもまた、決着を見届けて山へと戻った。クレールに話を聞かせるつもりだろう。島に残ったのはニトロとキアランだけ。 「行こうか」 微笑んでうなずくキアランは、もう気持ちの整理がついているのだろう。キアランの父は、彼が島から逃亡を図ったときには健在だった。亡くなったのは、ラクルーサ侵攻の時。真っ先にラクルーサ兵に向かって行って殺されたものの一人だと、キアランはイーサウで聞いた。 「父らしい、と思います。父は、知っていたのかな、とも思います」 「うん?」 「元島主一派は、僕が魔物だと広めたらしいですけど、セヴィルには昔話があるんですよ」 島の住人が作ってくれた簡素な墓の前、二人は膝をついていた。ここにキアランの父が眠っている。隣にはもう少し立派な墓。そちらは母が。 「海を渡ってくる狼の話。父は僕がそれだと、気づいたんじゃないでしょうか」 魔物ではない、と抗議をするつもりで死んだのか、それとも人狼の息子など認めないと死んだのか。キアランは言わなかった。ニトロは無言で墓を見つめる。何を言っても嘘になると。そんなニトロにキアランのあえかな笑み。 |