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監車の中から鈍い呪詛が響いていた。それから護送隊は顔をそむけている。エヴリルを入れた監車は窓のない馬車だった。囚人を入れたあとに扉は打ちつけてしまうから実質、扉もない。その馬車の周囲、万が一がないように護送隊は展開して進んでいる。 もう一台の馬車には大勢が乗っていた。エイシャ女神、双子神、ドンカ神の三神殿から派遣された高位神官とその従者役の神官が三組、そしてニトロとキアラン。いくら大きな幌馬車とはいえ、馬車の中にこれほどの人数が乗っているとなればニトロとしては居心地が悪くてかなわない。息までしにくいような気すらするほど。そっとついた溜息をダモンが笑った。 神官たちの中にはダモンがいた。双子神神殿からの派遣組にはアーロンもいる。それでなんとか耐えられているようなものだった。 開け放ったままの後ろから何気なく外を眺める。監車からはまだエヴリルの低い声。父のマイナーは、連盟に対する敵対行為で公式に処刑が決まった。エヴリル自身もすでに処置を聞かされている。何もかもが彼女には気に食わないのだろう。エヴリルの言葉が聞こえたか護送兵の一人が唇を噛み、わずかに憐れむような眼差しを。 「ニトロ師?」 ふっと笑ったニトロの唇に目を留めたのはドンカの高司祭。怪訝そうな顔をしていた。見られたと知ったニトロは改めて苦笑する。 「不思議だな、と思ってただけですよ。――彼らはエヴリルが『人間だから』憐れむ。同じ『人間だから』可哀想にも思う。我々魔術師や、キアランたち人狼は『人間ではないから』しょうがないと言う」 「それは――」 襲撃のことを言っているのか、ドンカの高司祭の険しい眼差し。ニトロは違う、と首を振る。いまだに根に持っているわけではないと。実際は根に持ってはいるが。問題はそこではない。 「異種族と人間族との差はなんだろうな、と思ってたんですよ。人間性とは何ぞや、とね」 「難しいことを……」 む、と高司祭は黙り込む。高司祭の目から見ても、キアランは「ヒト」だった。人間ではない。が、魔物ではない、断じて。人を人たらしめている何かが彼にはある、と感じている。が、それが何かと問われると高司祭でも迷う。 「人間性とは……理性の発露ではないか、と私は思うが」 しばらく考えたあとのことだった。生真面目なドンカ神の司祭らしい回答だ、とニトロは思う。その生真面目さが息苦しくて、実はドンカ神殿が苦手なニトロだ。 「それは、どうでしょうね? 理性を、感情に左右されずに判断する能力、と定義したとき、理性的に行動するなら、他人なんか信じられるものじゃない。そもそも信頼とは感情に由来する行為ですしね。――私なら、なんというか……理性と感情の間で揺れながら、それでもなお、他者を信じようとするのが人なのかな、と思いますけどね」 キアランは、ニトロが無意識に近隣の住人を信頼していたからこそ、襲撃を許す結果になった。ニトロはいま、言外に言う。一度は襲撃された。裏切られた。それを悔いてはいるけれど、彼らを信じることをやめてはいない、と。ドンカの高司祭の目が見開かれた。けれど口を開いたのはダモン。 「それを君が言う日が来るとはね」 くすりと笑ってダモンは言う。ニトロはそっぽを向いていた。ダモンが言いたいことはわかっている気がした。 「君の口から他人を信じるなんていう言葉が出るとは、正直に言えば僕は想像もしていなかったよ、ニトロ」 「まーな」 「それも、ただ信じるだけじゃない。動物だって仲間は信じる」 「……そう、ですね。山の狼も、群れは無条件で信じているようです。僕は狼ではないので、本当のところはよくはわかりませんが」 キアランの発言に彼を知らなかった神官たちが目を瞬く。キアランは人狼であって狼ではない。そのあたりがいま一歩まだ飲み込めない様子だった。神官にして、この有様だ。常人にとってはやはり人狼は紛れもない異種族だろう。 「社会性を持っている生き物なら、仲間は信じるものなんだと思うよ。その方が生きるのに有利だ」 身も蓋もないことを言うダモンと、そのとおりだとうなずくニトロ。アーロンが二人の会話に食い入るよう耳を傾けている。いままで長い間知ろうとしてこなかったニトロを見ている気分だった。 「人間、と言うよりもっと広い意味での人は、裏切られる覚悟をした上でなお、他者を信じることができるものなんだと思う。それはとても素晴らしいことだと、僕は思うよ」 「理想論だけどな」 「そもそも人間性なんていう具体性のないものを持ち出したのは君だろう」 「もっともだ」 からりと笑ったニトロをダモンは眺めていた。エイシャの司祭が隣にいて、ニトロをにこにこと見つめている。彼の目にはいったいどのように映っているのだろう、わずかに知りたいと思う。同時に、知らずともニトロを知っている、そうダモンは感じる。 「人間性、か……。かつて氷帝フェリクスは人が人であろうとするために、人たらんと努力し続けると言ったと仄聞する。そういう、ことなのだろうな」 ニトロとダモンの会話を聞き、考えていたのだろうドンカの高司祭。具体的なことは何一つとして言っていない。それでもある意味ではそれこそが回答であるとも思う。 「君は、変わったね、ニトロ」 高司祭に微笑みそしてダモンは言った。その真っ直ぐな目。ダモンこそ、変わったとニトロは思う。あるいは自分の変化は自身では感じにくいものなのか。 「君は何かを得たんだろう。それは魂の半分かもしれないし、愛かもしれない」 「どうせそれはキアランだって言うんだろ? ――あぁ、カハルさんだ。先に行きますよ。あんたは?」 「行きますよ」 ちらりと笑ったキアラン。ニトロが照れたのだと本人よりよく知っている彼だった。くつくつ笑いながらニトロと一緒に馬車から飛び降りる。さすがに人狼、動く馬車からそうしてもよろめきもしない。 カハルはイリオ隧道からノイ村に進んだ辺りで待っていた。イーサウで娘たちから人気を得ていた髪型が意外と気に入っていたらしい。いまも高い位置の髪だけをひとくくりして背に流している。 「カハルさん!」 手を上げて走って行くニトロとキアラン。幌馬車からそれを見ているダモンの目にふとアーロンが映る。 「どうしたの?」 「あ……。私は……ニトロを知らなかったな、と思って」 率直に言ったアーロンだった。ドンカの高司祭は二人の関係を知らないのだろう、ただの友人だと思っているのか、首をかしげている。ダモンもさすがに説明する気にはなれなかった。 「ニトロも色々あったからね。イーサウは、ニトロにいいことも悪いことも教えた街だと思う。大事な友人を見殺しにした街。彼の手に魔法をくれた街。思うところもたくさんあると思うよ」 遠い目をしたダモンだった。アーロンも知らない話ではない。それを言うならば高司祭も。が、ニトロの口から詳細までをも直接に聞いたのはダモンだけだろう。 「彼は子供のころ、お友達と仲良くしましょうって学院で言われ続けたらしい。仲良くできない、仲間に入っていけない自分は人間の屑だと感じた。昔ニトロは言っていたね。――それがいまだに尾を引いていたんだと思う」 「だが、学院ではそのような教育をしてはいないはず……あぁ、そうだったな。彼は、魔術師だった」 「ですね。ああ見えて、この場の誰よりニトロは年上ですから」 くすりとダモンが笑った。高司祭も力なく笑う。社会的な体面を気遣ってニトロは司祭たちには丁重な物言いを心がけている。が、年齢だけならば彼の方がずっと上だった。 そうすることができるニトロをダモンは思う。ニトロは心からそうしているわけではない。それが「人間社会で必要な技術」と感じているから、表面だけをなぞって真似ているだけだ。 アーロンは、それを知らない。知っているのはニトロの身内とも言える魔術師たち、そして自分とティアンだけだった、とダモンは思う。いま、そこにキアランは加わったのだろうか。加わった、とダモンは信じる。 「人は、変わっていくことができる。それを僕は、身をもって知っている」 ダモンの懐かしげな響き。誰もが思い起こす、彼の前身を。忌まわしい暗殺者、人殺しであった彼を。イーサウの街で穏やかに香油の店を営み、女神の導きまで得た彼を。 「変わっていくことができる人というものを排除しない社会であれるよう努めるのも、神官の役割ですな」 一度の過ち、あるいは生まれながらの境遇。そのようなもので人生を終わらせないために。ドンカの高司祭の言葉に神官たちすべてが微笑んでうなずいていた。 神官たちの決意など聞こえてもいないニトロとキアランだった。カハルとの会話に余念がない。人狼の特性なのか、キアラン同様カハルもやはり「人間の気配」が薄い。それだけでニトロにとっては気楽な相手だった。何より魔法寄りの生き物として、話を聞いているだけで興味深い。他者に興味を持ちにくいニトロであっても、そこに魔法が介在するだけで身を乗り出すようになるのだ、とキアランは内心でそっと笑っていた。 「刀自殿はどうしました?」 「あぁ……おふくろは、決着は知りたいが、見たくはない、と言ってな」 カハルが苦笑しつつ山を見やる。クレールは今日も山にいて、こちらを見ているのかもしれない。否、空行く鳥を探しているのかもしれない。 「少し、わかる気がします。――僕も、廃坑道には、あまり足を踏み入れたいものではない。ただ、父親として、僕は見るべきだと思うから、同道しますが」 キアランがうつむき加減にそう言った。陽射しに眼差しが翳る。シアンを思うとき、彼の目は遠くなる。自分もきっとそうなのだろうとニトロは思う。シアンの面影が遠くなっていくことこそが、いまは怖い。 「忘れたくねぇから、俺は見とくよ」 「あなたは、忘れませんよ」 「そうか?」 「あなたは、僕以上にシアンを慈しんでくれた。息子の最後の時間が豊かなものであったのは、あなたがいたからでしょう?」 「――それでも、救えなかったからな。救えないってわかってて、それでも救えねぇのは、やっぱつらいもんだ」 キアランを見ず、海を眺めてニトロは言う。カハルはシアンを知らない。キアランに息子がいる、と聞いていただけ。けれどニトロと一緒になって海を見ていた。いつしかキアランも加わり。三人並んでただ海を見つめていた。そこに聞こえてくる監車からの呪詛の響き。カハルがあからさまに顔を顰め、それを二人で小さく笑った。 |